この寺を、三行で説明するなら、
・弘法大師の孫弟子、理源大師聖宝が開いた、真言宗系修験道の山上霊場(上醍醐)
・醍醐天皇以来、秀吉など時の権力と関わりながら山麓に形成された大伽藍(下醍醐)
・上下合わせて敷地200万余坪、国宝多数、特別史跡で特別名勝おまけに世界遺産
とまあ、「たいそうなお寺」であります。
前に行った時は、修験道の霊場という視点がなかったので、
改めてしっかり見ようかと、連れ合いと娘を連れて愛車OUT BACKの奥地君でGO!
「とにかく広んだからね!」「喉乾くから、飲み物もいるよ!」
と事前に釘をさしておいたのに、「上醍醐まで1時間」の案内板に、
「考えられない」
「勝手に行って来たら」と、パスされマシタ。。
ま、いいか。
山麓の下醍醐のシンボルは、五重塔。
醍醐天皇の冥福を祈るため天暦5年(951年)に建てられた京都府で最も古い建物。
よくこれだけ立派な塔が残ったもんだねえ。。
(おっと、先を急がなきゃ。)
下醍醐のはずれにある女人堂。
いきなり山の気配が濃くなり、霊場のたたずまい。
山馬鹿のあこがれ、役行者も登場。
せせらぎ沿いの参道は、ほとんど登山道。
がぜん元気になる、ぼっち。
約40分で、秋風の吹き抜ける稜線に。
山上の伽藍は、風格ある建物が散在。
色づきかけた楓に埋もれた、簡素で優雅な建物は、清瀧宮拝殿。
室町時代の国宝建築は、神仏習合のたたずまいを今に伝えている。
こちらの建物は、薬師堂。
保安2年(1121年)に作られた国宝の平安建築。
山上には、ほかにも豊臣秀頼寄進の如意輪堂・開山堂などもあるけど、山の中だけに、落雷などもたびたびあった。
五大堂は昭和初期に再建され、西国三十三箇所札所でもある准胝堂は、平成20年(2008年)に焼失したばかり。
そんな中、平安時代の修験のたたずまいを残す薬師堂は、よくぞ残ったもの。
薬師堂前から眺める山並み。
たぶんここから、鷲峰山(じゅうぶさん)や、竜門岳など、いくつかの山上霊場をつなぎながら吉野、熊野に至る「修験道スカイライン」とでもいうべきルートが確立していたはず。
南北朝時代、醍醐寺は、後醍醐天皇側とも、足利尊氏側とも関係が深かったとか。
「修験道スカイライン」を駆け抜ければ、京の情報は1昼夜のうちにも吉野まで届いたのでは。
秀吉の有名な花見は、吉野(文禄3年:1594年)と醍醐(慶長3年:1598年)で催された。
そこには、物見遊山の形の裏に、信仰と権力誇示と権謀うずまく特別な意味が込められたんだろう。
修験道パワーは、霊界だけでなく、現実世界においても、なみなみならぬ役割を果たしたんだ…なんて、考えはじめると、穏やかな山並みが、歴史そのもののようにみえてくる。