WALK あばうと 日本4,000山

「新日本山岳誌」掲載の約4000山が修行の地。 めざせ山仙人!
松江でOFF

231119松江というか、松江でのOB会がメインだったんですよね。
(←何を言っておる!)

松江大橋から見る宍道湖。
何度来てもいい街であります。
地元幹事さまの手あついおもてなしで、蟹すきに鯛茶漬、と贅沢三昧。
感謝感謝であります。
231119蟹すきに鯛茶漬
231120堀めぐり明けて20日は、掘りごたつ付きの船で、松江城の堀巡り。
安来節に、関の五本松
女性の船頭さんの名調子にうっとり。


橋の下が低い場所では、船の屋根が降りてきて、しばし平伏。
(二日酔いで、ちょっと苦しい。。)

茶の湯の盛んな島根県は、和菓子消費量が日本一とか。
新しくできた松江歴史館をのぞくと、そこにもおいしそうな和菓子が。
すぐ買える思って、「くださいと」と言ったら、
職人さんが、「山茶花」という銘の菓子には葉を、「花篭」には取っ手をと、さらに精緻な装飾を。
すごいこだわりだなあ。。

後で知ったけど、この職人さんこそ、現代の名工伊丹二夫さん。
これをお土産にすりゃ、家族も文句なし。
231120松江の菓子職人




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中国山地を行く(3)―鉄の作った風景

吾妻山を下山し、松江へ向かう国道432号線。
何十キロもコンビニさえ見かけない、秋の深山ドライブはおつなもの。
と、清聴庵という蕎麦屋の看板を発見。
こんな山奥で蕎麦屋なんてやっていけるのかな。
興味本位で蕎麦屋に入ったら、お客がゼロなのに、30分待ちって一体…

231119櫻井家蕎麦屋の前に「重要文化財櫻井家ならびに庭園」という看板があったので、時間つぶしに寄ってみることに。
ところがどっこい、ものすごく立派な建物と庭園。

なんでこんな山奥に?
その答えはパンフレットにのっていた。
231119櫻井家庭園「この地方は良質の砂鉄が採れ、それを製鉄するための燃料となる広葉樹がたやすく手に入ったため製鉄業(たたら製鉄)が盛んで、松江藩の重要な財源でした。櫻井家は藩主から鉄師頭取の職を命ぜられていました。」

「(同家は)正保元年(1644)この地に居を構えたという記述が残っています。庭とお成りの間は、享保三年(1803)7代藩主松平治郷公(不昧公)のお成り時に作られました。」

ふうむ。たたら製鉄か。
たしか、もののけ姫の舞台も中国山地だったような…
231119森の水車お屋敷の傍らにある水車。
「その昔から ひるまず今もはたらく 森の水車」ってにくいね。

その水車で挽いた蕎麦は、生粋の出雲蕎麦。
紅葉の滝や渕を窓の外にながめながら食べた蕎麦は、待った甲斐のある滋味。



231119清聴庵蕎麦

231119たたら国道に戻り、たたら角炉も見学。
これは、明治期の「近代的」なものらしい。





[追記]
帰ってから、中国山地の製鉄について調査。
・古代出雲の時代から、中国地方では製鉄が営まれていた。
 当初、鉄鉱石を使用していたが、平安時代頃から砂鉄を原料にした「たたら製鉄」が発達。
・道後山や、吾妻山など、砂鉄を含む風化花崗岩の山では、これを掘り崩して水路に流し、底に溜まる砂鉄を採る「鉄穴流し(かんなながし)」が盛んに行われた。
・吾妻山にある3つの池も、天然のものではなく、山麓で鉄穴流しをするための人工の溜池で、大正時代まで使用されていた。
・製鉄には薪炭が大量に必要なため木々を伐採、毛無山の名も一帯に残る。
・江戸時代には、その後を放牧地として使用。

なるほど、道後山や吾妻山の現在の風景は、たたら製鉄の生んだものだったのか。
山は頭で登るものじゃなけれど、勉強しないと見えない風景もあるんだなあ。。

| ぼっち | ひとりごと | 08:40 | comments(0) | trackbacks(1) | にほんブログ村 アウトドアブログへ
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中国山地を行く(2)―吾妻山(1,239m)
吾妻山(アヅマヤマ 1,239m)は、広島・島根県境にあって、比婆山などと連山をなしている。
比婆山(ヒバヤマ 1,264m)には、御陵とも呼ばれ、火の神を出産して亡くなった伊邪那美命(イザナミノミコト)が、葬られているという伝説が。
そして、妻を失った伊邪那岐命(イザナギノミコト)が、御陵に向けて、「吾が妻」と呼びかけたのが吾妻山。
そんな神話世界の山域であります。

比婆山の方が標高が高いけど、吾妻山の方が草原状で見晴らしがいいので、日本300名山に入ったのじゃないかと推測。(見えないけど。。)

211109吾妻山11時20分、吾妻山国民休暇村の脇から登山開始。
雨はあがり、大池の脇を通り、スキー場みたいな斜面をたんたんと登る。

途中から尾根道になって、枯草の中、高山植物の葉が真っ赤に色づいている。
眺望がきくときには、気にも留めない足元をゆっくり見られるのも、またそれで楽しい。

211109吾妻山山頂12時5分、山頂到着。
伊邪那岐命が、吾が妻と呼んだ比婆山連山も、大山も、島根半島も見えないけれど、ここは秘技「心眼」で、神話の世界を幻視。



211109南ノ原へこのまま戻ったら、往復1時間あまりで終わってしまうので、南ノ原経由で下山。
これが大正解。
ミズナラなどの大木が、霧に包まれて並び、静けさこの上なし。
落ち葉した後の、シダの美しさも、発見。

比婆山のブナは、天然記念物になっているくらいだから、きっと吾妻山とつなぐ縦走は楽しそう。
また来てみたいもの。
231109吾妻山登山道1

231109吾妻山山麓歴史ある土地なので、山麓の里の美しさも、ひとしお。

東日本大震災で、なにげないものが、ありがたく貴いことを知らされた。
この一瞬にも感謝であります。



[登山記録] (―:車、…:徒歩)
2011年11月19日(土)
道後山月見ケ丘登山口9:30―吾妻山国民休暇村11:20(駐車)…吾妻山山頂12:05 …(南ノ原経由)…国民休暇村12:50―(後略)
*国民休暇村への道路に崩壊があり、迂回が必要だったので、事前確認を。

| ぼっち | 日本300名山 | 06:15 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ
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中国山地を行く(1)―道後山(1,269m)岩樋山(1,271m)

中国地方は、名山の空白地帯。
それというのも、中国山地は、造山活動の終末期「準平原」。
兵庫県の氷ノ山(1,510m)をのぞくと、1,300〜1,000mのなだらかな山ばかりだから。
日本百名山の大山、その外輪山である200名山の蒜山、そして三瓶山は、どれも火山で、
この地方では例外的な存在らしい。

300名山クラスになってようやく、道後山(1,269m)、吾妻山(1,239m)などが登場。
いずれも、わざわざ行くのかな? っていう感じの往復2時間くらいの山。
11月19日、とあるOB会が松江で開催の予定。
じゃあ、その途中に寄っておきましょうか。中国山地。

231119道後山登山口まずは、道後山。
7時45分、登山口の月見ケ丘駐車場に立つと、雨で視界不良。
ここは、秘技「心眼」で登るしか。。

しばらくは、雑木林状のミズナラの林。
途中、イチイのなかなか味のある茂みがあって、赤い実が散らばっている。



231119道後山登山道灌木帯を抜けると、チシマザサの原。
一部、登山道に沿って、石が積まれている。
昔の放牧地で、牛が越境するのを防ぐためらしい。


231119道後山頂8時30分、道後山山頂(1,269m)に到着。
広島県の山、初登頂であります。
立派な一等三角点があるってことは、きっと、晴れれば、名峰大山はじめ眺望がすばらしいんでしょう。

帰路は、岩樋山(1,271m)にも立ち寄る。
眺望がないから何とも言えないけど、こっちの方が標高も高いのにどうして300名山に選ばれなかったのかな(?_?)>




231119岩樋山9時30分、ちょうど2時間で登山終了。
雨も次第に弱くなって、ぼんやり岩樋山が見えてきた。

[追記]
後で調べたら、道後山は、文政8年の、「芸藩通史」に図があり、「三坂町にあり、麓は、小奴可村の持丸、伯耆新屋、湯谷二村にひく、栂木多し、但山の七分以上は、花木生立ず、大鷲を栖しむ、登臨、東は備中、美作、南は四国の山、北は雲伯の地、北海を望む」とされている。
岩樋山の記載はないので、もともと全体を道後山と言っていたようであります。

<登山記録> (―:車、…:徒歩)
2011.11.19(土) 雨
自宅2:15―月見ケ丘登山口7:45 …休憩所8:00 …道後山山頂8:30〜8:45 …岩樋山9:00 …登山口9:30―(吾妻山へ)
231119道後山登山図

| ぼっち | 日本300名山 | 05:24 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ
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瀬戸窯元の休日
ぼっちの、山以外の趣味は陶芸。
名古屋は、瀬戸や多治見の産地がひかえ、陶芸には好環境であります。
ぼっちが教えてもらっているbamboo先生は、瀬戸の赤津に窯を構えられておられ、
渓流釣りが趣味の、ワイルドなアーチスト。

11月13日「赤津窯の里めぐり」イベントにあわせ、先生から「岩魚食べに来ない?」とのお誘い。
もちろん!お邪魔します。(秋山の計画にぶつからなくて良かった。。)
連れ合いも一緒でいいですか?(家族サービスもできて結構結構。)
 
231112窯元めぐり初めて訪れる赤津の里。
「瀬戸物」といわれるくらい、大量生産の多い瀬戸焼の中で、赤津は昔ながらの職人や、伝統工芸士が多い焼き物の里。

連れ合いと、絵地図片手にてくてく。
のんびりした坂道に、赤い瓦屋根や煙突がいい感じ。
窯元めぐりの後、里から外れた山裾にある、bamboo先生の工房を初めて訪問。
「昨日もイノシシが出た」とか、ワイルドな環境であります。
先生は、岩魚や焼き芋、そしてダッチオーブンで鶏の丸焼きを製作。
自宅で焚火ができる環境はうらやましいな。

工房の中も拝見。
製作の場というものは、いさぎよくて美しい。
231112bamboo先生工房
お客さんは、ギャラリーのオーナーにして釣り仲間、
陶芸教室の生徒にしてアメリカで40年医師を務めて日本に帰り無医の島に勤めたドクター、
窯業学校の教え子だったOB・OGと、各人各様。

岩魚や、持ち寄ったつまみを肴に、ゆるく語り合いながら飲む昼ビールは、山とはまた違った楽しみ。
| ぼっち | ひとりごと | 21:22 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ
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掘り出し物の名山―袈裟丸山
せっかく日光まで足をのばしたから、もう一山登っておこうかな。
となると、やっぱり、日本300名山のリストが参考に。
近くだと、栃木・群馬県境の袈裟丸山かあ、どんなとこかな。

「袈裟丸山は、前袈裟丸山・中袈裟丸山・後袈裟丸山・奥袈裟丸山・法師岳の総称。
一般には前袈裟丸山(1,878m)がそう呼ばれる。
最高点は奥袈裟丸山(1,961m)。だが、前袈裟から後袈裟のルートは風化が激しく通行禁止。」
ふうん。(←あまりそそられない予備知識。)

太郎山を降りた時点で、翌日7日は曇り時々雨の天気予報。
こういう時こそ、事前調査が大事。日が暮れる前に、登山口を確認。
そんな基本行動も、Gan先輩はじめ諸先輩に教えてもらってきた。

渡良瀬鉄道沢入(そうり)駅が最寄りの塔ノ沢が、メインの登山口。
しかし、天候を考えて、林道を登り切った最短の折場登山口を選択。
林道から初対面する袈裟丸山は、長い裾野をひいて風格がある。
まだまだ知らない名山があるもんだなあ。。

231106袈裟丸山明けて7日。心配した雨も、ぱらつく程度。
折場登山口からはじまる弓の手コースは、笹原で見晴らし良し。
この、しみじみ山と向かい合える感じって、名山のひとつの要件かも。

231106賽の河原賽の河原で尾根通しの塔ノ沢コースに合流。
ところどころの立札を拾い読み。

「袈裟丸山は、中国から戻った弘法大師が、霊場を開くため、千の谷を探したが、赤城の山神が、仏教の地とされることを嫌って、一谷を隠したため、あきらめた大師が、袈裟を丸めた場所です」
たしか、信州の独鈷山にも似たような伝説が。

「賽の河原は、弘法大師が、この地を訪れた時、鬼火が見え、子供たちが石を積み重ねていたので、その責苦を救うため三夜看経(かんき)し済度した場所。今でも子供の新仏を出した人がここで石を積むと子供に会えるといわれています」
弘法大師も独りビバークしたのかな。。
231106小丸山避難小屋小丸山を越えた鞍部に避難小屋が。
鉄のドーム型の小屋は、ほぼ6人テントくらいで、今まで見た中で、最小。
231106袈裟丸連山前袈裟丸山の取り付き点に回り込むと、袈裟丸が連峰をなしていることが分かる。
少し岩場もあるものの、登山道は終始悪い場所もなく、前袈裟山頂に。

後袈裟丸まで足をのばしたいけど、無理はしない。
これも先輩の教え。

231106折場紅葉紅葉の鮮やかさは特筆ものだし、賽の河原あたりはアカヤシオの名所でもあるらしい。
地元ではとても親しまれた名山だと実感。

日本300名山クラスになると、全国区じゃない掘り出し物の山があったりして山馬鹿にはたまらないデス。




<登山記録>
銀山平6:00―折場登山口(駐車) …賽の河原7:40 …小丸山避難小屋9:00 …前袈裟丸山10:00〜10:20 …小丸山避難小屋11:05 …賽の河原11:50 …折場登山口12:30―(後略)

*山名については、下山してから調べたら、こんな論考もあったデス。
| ぼっち | 日本300名山 | 06:15 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ
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息子は眺望一等賞―太郎山(2,367.5m)
231105朝の太郎山男体山山麓、志津小屋で迎えた朝。
夜明けの太郎山がまぶしい。

堰堤脇の登山口からしばらくは、ササと針葉樹の穏やかな登り。
鹿の気配が濃い。

本峰に取りつくあたりからは、岩場や新薙という危なっかしいガレ場が登場。
見かけは富士山みたいだけれど、簡単に頂きには立たせてくれないや。

231105太郎山での奇遇ようやく急登が終わり、針葉樹の森の中にぽっかり広い空間に出る。
お花畑と呼ばれる火口原。

ここまで誰にも出会わなかったけれど向こうの樹林帯から人の声。
おお! わが山の会のメンバー、NさんとMさんだ。
奇遇というか、いやはや、お互い、こんなところまで出張してるんですねえ。。

太郎山山頂に到着。
2つの石祠にま新しい修験者の回峰のお札。
今も信仰は脈々としてる。

231105小太郎山から白根山太郎山からの眺望は、日光では超一級。
富士山、赤石山脈、八ヶ岳連峰、皇海山、日光白根山、越後三山、燧ケ岳、会津駒ヶ岳などなど。
特に男体山も女峰山も見られるのがポイント高い。

栃木・福島県境あたりの山は、まだまだ未踏だなあ。
山馬鹿魂がくすぐられまくり。


231105太郎山剣ヶ峰太郎山から小太郎山まで足をのばす。
途中は、修験者が好きそうな、剣ヶ峰などのコンパクトな難所。
小太郎まで来ると、男体山、女峰山ばかりか息子の太郎山まで目におさめられる。
眺望一等賞は、このスポットかも。


それにしても、男体山と、小太郎山ってよく似ている。
(画像左が男体山、右が太郎山)

富士山みたいに座りの良い形。
神の降り立つ格好の場所って感じ。
火山活動でできた風景は、宇宙の一部に身を置いている実感があって、気分を大きくしてくれる。
231105男体山と太郎山

<登山記録>
志津小屋6:30―太郎山登山口6:50 …太郎山山頂9:25〜9:45 …小太郎山10:00〜10:25 …太郎山(分岐)10:45 …登山口12:15―国道122号線―袈裟丸山折場登山口(下見)15:30―銀山平キャンプ場16:45(コテージ泊)


| ぼっち | 日本300名山 | 05:34 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ
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日光女峰山(2,483m)再訪
日光は、日本百名山男体山、200名山女峰山、300名山太郎山が連なる名山の集中地帯。
これら三山は、二荒山神社のご神体で、夫婦・親子の関係。
12世紀にはじまる本地垂迹説では、仏としても信仰される、典型的な山岳信仰・神仏習合ワールド。
ぼっちは日本200名山完登をめざしていた4年前以来の再訪

231104男体山戦場ヶ原から、男体山を裏から眺める志津林道から登山開始。
馬立から、女峰山の裾野に取りつく。

飛び石連休の狭間のせいか、登山道は至って静か。
Gan先輩といろんな山の思い出話をしながらゆったり登高。

ガレ場を渡っったところにある唐沢避難小屋で、二荒山神社からの信仰の道に合流。
小屋脇には、不動明王の石像と祠が。

231104女峰山這い松のある山頂に到着。
・女峰神社
・その背後の標柱のある最高点。
・やや離れた誰もいない小峰の三角点
どの地点をゴールとみるかで、その人の登山観が分かるかも。

ぼっちの場合、最高点と、三角点両方でバンザイしてマシタ。





231104富士見峠へ前回は、志津小屋を起点に、大真名子山、小真名子山、帝釈山を越えて、女峰山山頂に立った。
そのアップダウンの激しさに参ったもの。
今回の下山は、帝釈山だけ通って、富士見峠から志津林道に降りるコース。

遥かに見えるのは、日光白根山。
231104太郎山帝釈山からは、明日向かう、太郎山が間近に。
親神・子神といった関係が、ごく自然に思われる神話的な光景。

下山後は、男体山登山口の志津小屋で芋煮と赤ワインでまったり。

<登山記録>
大坐小屋3:10―志津林道(駐車)8:10 …馬立分岐8:45 …ガレ場(水場)10:05 …唐沢避難小屋10:25 …女峰山山頂11:20〜12:10 …帝釈山12:40 …富士見峠13:35 …馬立分岐14:35 …志津林道15:10 志津小屋泊
| ぼっち | 日本200名山 | 22:49 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ
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鍋倉山へ森太郎に会いに行く

関田山地は、千曲川の北に沿うように連なる長野・新潟県境の山々。
その最高峰(1,289m)鍋倉山には、ブナの大木、森太郎がいる。
信州出身のGan先輩も会ったことがないとのことで、二人で会いに行った。

231103鍋倉山のブナ林関田山地は緩やかな山容ながら、名だたる豪雪地帯。
その山肌を、遠目には白銀色に見えるブナたちがおおっている。

231103鍋倉山登山道森太郎に会いに行く林道脇の入り口は、とても目立たない。
それには理由がある。
1986年、国有林伐採問題をきっかけに樹齢400年を超えると言われる森太郎・森姫が「発見」され、自然保護の象徴に。
その後、森太郎は、2000年には、林野庁選定の、「森の巨人たち百選」にリストアップ。
しかし、有名になった結果、多くの人々に根元を踏まれたりして、樹勢が衰えてしまった。
近くにそびえていた連れ合いともいえる「森姫」は、この春とうとう枯死。
なるべく、そっとしてやりたいというのが、保護にあたってきた地元の心情でしょう。

231103森太郎森姫は命を閉じていた。

森太郎は…なんとか生きていてくれた。
コケに覆われたコブだらけの幹。
宿り木を付けた大枝。
森太郎の樹齢からして、ブナの木の寿命の限界に近いのも事実。
少し離れて、Gan先輩と祈るような思いで見上げるばかり。

231103鍋倉山のブナ森には樹齢200年くらいの巨木は無数に。
ちゃんと次の世代につながっているのが、救い。
森太郎・森姫が残してくれた森なんだね。

実は、「森の巨人たち百選」のうち、5本がすでに枯死している。
100年足らずの寿命のヒトだからこそ、永く森を、樹を、いつくしんでいかなくては。

鍋倉山から下りて、飯山市内で買い出しをし、大坐小屋へ。
飯綱高原にある大坐小屋は、甲信越や東北方面の山へ向かう前進基地でもある。
この4日〜6日は、Gan先輩と日光の女峰山・太郎山・袈裟丸山を巡る計画。
この秋最大のイベントであります。

| ぼっち | 巨木に会う | 05:20 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ
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