せっかく日光まで足をのばしたから、もう一山登っておこうかな。
となると、やっぱり、日本300名山のリストが参考に。
近くだと、栃木・群馬県境の袈裟丸山かあ、どんなとこかな。
「袈裟丸山は、前袈裟丸山・中袈裟丸山・後袈裟丸山・奥袈裟丸山・法師岳の総称。
一般には前袈裟丸山(1,878m)がそう呼ばれる。
最高点は奥袈裟丸山(1,961m)。だが、前袈裟から後袈裟のルートは風化が激しく通行禁止。」
ふうん。(←あまりそそられない予備知識。)
太郎山を降りた時点で、翌日7日は曇り時々雨の天気予報。
こういう時こそ、事前調査が大事。日が暮れる前に、登山口を確認。
そんな基本行動も、Gan先輩はじめ諸先輩に教えてもらってきた。
渡良瀬鉄道沢入(そうり)駅が最寄りの塔ノ沢が、メインの登山口。
しかし、天候を考えて、林道を登り切った最短の折場登山口を選択。
林道から初対面する袈裟丸山は、長い裾野をひいて風格がある。
まだまだ知らない名山があるもんだなあ。。
明けて7日。心配した雨も、ぱらつく程度。
折場登山口からはじまる弓の手コースは、笹原で見晴らし良し。
この、しみじみ山と向かい合える感じって、名山のひとつの要件かも。
賽の河原で尾根通しの塔ノ沢コースに合流。
ところどころの立札を拾い読み。
「袈裟丸山は、中国から戻った弘法大師が、霊場を開くため、千の谷を探したが、赤城の山神が、仏教の地とされることを嫌って、一谷を隠したため、あきらめた大師が、袈裟を丸めた場所です」
たしか、
信州の独鈷山にも似たような伝説が。
「賽の河原は、弘法大師が、この地を訪れた時、鬼火が見え、子供たちが石を積み重ねていたので、その責苦を救うため三夜看経(かんき)し済度した場所。今でも子供の新仏を出した人がここで石を積むと子供に会えるといわれています」
弘法大師も独りビバークしたのかな。。
小丸山を越えた鞍部に避難小屋が。
鉄のドーム型の小屋は、ほぼ6人テントくらいで、今まで見た中で、最小。
前袈裟丸山の取り付き点に回り込むと、袈裟丸が連峰をなしていることが分かる。
少し岩場もあるものの、登山道は終始悪い場所もなく、前袈裟山頂に。
後袈裟丸まで足をのばしたいけど、無理はしない。
これも先輩の教え。
紅葉の鮮やかさは特筆ものだし、賽の河原あたりはアカヤシオの名所でもあるらしい。
地元ではとても親しまれた名山だと実感。
日本300名山クラスになると、全国区じゃない掘り出し物の山があったりして山馬鹿にはたまらないデス。
<登山記録>
銀山平6:00―折場登山口(駐車) …賽の河原7:40 …小丸山避難小屋9:00 …前袈裟丸山10:00〜10:20 …小丸山避難小屋11:05 …賽の河原11:50 …折場登山口12:30―(後略)
*山名については、下山してから調べたら、
こんな論考もあったデス。