WALK あばうと 日本4,000山

「新日本山岳誌」掲載の約4000山が修行の地。 めざせ山仙人!
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伊吹山の円空さん

長梅雨の続く中、7月19日は、久しぶりの青空。

伊吹山山麓の米原市春照(すいじょう)にお出かけ。

目的は、太平寺観音堂の円空作十一面観音に会いに行くこと。

 

太平寺は、伊吹山の中腹450m程のところにあった集落で、山岳寺院太平寺があった場所。

中世には30程の坊を有する大寺院だったらしいけど、戦国時代を経て江戸時代の初めには中の坊などがわずかに残るだけだった。

円空は、若かりし日伊吹山で修行をしており、中の坊がその拠点となったらしい。

 

久しぶりの青空の下の伊吹山。

左手の、地肌がむき出しになったあたりは石灰鉱山。

20200719伊吹山1.jpg

この白黒写真は、昭和28年の伊吹山。

白く見えるところは「白ジャレ」と呼ばれ、石灰岩が自然に露出していたところで、江戸時代から石灰岩の採掘がおこなわれていた。

太平寺は真ん中に見える中腹の小平地。

その真上の、山頂直下の黒い点のような部分が、円空が修行した平等岩(行導岩)と言われる岩屋あたり。

 

太平の集落は、「38豪雪」と語り継がれる昭和38年の豪雪に見舞われ孤立する。

それを契機に、石灰鉱山に土地を売り、30戸あまりが集団離村した。

その落ち着き先が、山麓の春照で、太平寺にあった円空の十一面観音をおさめる観音堂が移設された。

近年公民館を兼ねた建物に建て替えられ、第1、第3日曜の午後、要予約で拝観させてもらうことができる。

20200719伊吹山6.jpg

地元で観音堂をお守されている男性お二人が待っていてくださった。

拝みたいとずっとおもっていた円空さんの十一面観音と対面。感動であります。

 

普通仏像の撮影は禁止されていることが多いけど、ここはどうぞとおっしゃる。

おひとりの方は、かつて石灰鉱山に勤め、仕事の関係でイエメンに何年か行かれていたそう。

その時、円空さんの十一面観音の小さな写真をもって行き、すいぶん慰められたのだとのこと。

イスラム教のイエメンの人たちは、偶像崇拝は受け入れないけど、円空さんの像の微笑みは別物で受け入れられたのだとか。

 

円空さんの普遍性、すごいです。。

20200719伊吹山3.jpg

縦長のガラスケースに収められた像は、全体が180僂曚匹両し左にねじった桜の一木で作られ、ひょろりと背が高い。

衣文が魚のウロコのようになっていて、下部は魚のしっぽみたいな縦の筋がある。

お腹の部分がふくらんでいて、安産祈願で撫でられ、黒光りしている。

冬は雪に閉ざされる太平寺の集落では、お産も命がけのことだったんでしょう。

 

像の載せられた木の台は回転させることかでき、ガラスケースを開けて、背面を見せてくださった。

上部には、仏に手向けた漢詩と和歌が記され、その下に、次の銘がある。

 

四日木切 五日加持 六日作 七日開眼
圓空沙門 花押 
元禄二己巳年(1689年) 三月初七日
中之房祐春代

 

円空さんの息遣いが聞こえそうな鮮明な文字にも感動。

木を伐って、祈祷し、1日で180冂の像を一気に彫り上げ、開眼供養をしたという手早さ。

円空さんは、きっとせっかちで、生き急いだ人だったんだろう。

しかし、その仏の魅力と普遍性は、書や抽象画のように、無駄を切り落とした一気呵成なところにもあるとおもう。

20200719伊吹山2.jpg

観音堂には、北海道の洞爺湖観音島観音堂に安置されていた観音菩薩坐像(北海道有珠町善光寺保管)の大きな写真もあった。
背中に彫られた銘文「うすおくのいん小嶋 江州伊吹山平等岩僧内 寛文六年(1666年)丙午七月廿八日 始山登 円空(花押)」

によって、円空が伊吹山で修行をしていたことが明らかになった。

20200719伊吹山5.jpg

また、額に入れられた、不動滝についても説明してくださった。

太平集落の背後に不動滝という険しい岩の裏にある滝で、円空さんは修業をしたのだという。

左手の白黒の写真は大正年間のもので、当時は梯子などもかかっていたというけど、今はたどり着くのもままならないらしい。

まあ、こんなところを日常的に往復していたのなら、飛騨山脈の岩峰に向かい合っても、恐れはしなかったはず。

20200719伊吹山4.jpg

観音堂を辞して、すぐ近くにある伊吹山文化資料館で、伊吹山についてさらにお勉強。

廃校になった小学校を利用した手作り感たっぷりの資料館で、展示内容は次のとおり。

展示室1 伊吹山にいだかれた暮らし

展示室2  伊吹山の恵みとなりわい

展示室3 伊吹山の自然と文化

展示室4 掘り起こされ伊吹の歴史

 

興味深かったのは、「日本植物学の父」牧野富太郎と伊吹山の関わり。

植物の宝庫である伊吹山に牧野富太郎は何度も訪れており、対山館という旅館の主人と親交が深かったそう。

また、口癖が「そもそも…」だったことから、発見したイネ科の植物に学生が「イブキソモソモ」にしましょうと提案したそうな。

https://www.digitalsolution.co.jp/nature/ibuki/Information/old-story/makinotomitaro.htm

20200719伊吹山8.jpg

石灰岩でカルシウム豊富な伊吹山は、陸貝の宝庫でもある。

ぼっちの地元も石灰鉱山があって、昔はいろんな小さな陸貝を見たものだけど、最近は見かけなくなったな。。

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伊吹山には、ひとつがいのイヌワシが生息し、幼鳥が育ったけど、残念ながら死んでしまった。

その剥製が展示され、イヌワシの、ノウサギや子鹿を捕える映像なども見た。

かつては、天狗にもなぞらえられたというその雄姿、なんとか守っていきたいものです。

20200719伊吹山9.jpg

 

| ぼっち | お山の勉強室 | 20:58 | comments(0) | - | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!









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