吾妻山を下山し、松江へ向かう国道432号線。
何十キロもコンビニさえ見かけない、秋の深山ドライブはおつなもの。
と、清聴庵という蕎麦屋の看板を発見。
こんな山奥で蕎麦屋なんてやっていけるのかな。
興味本位で蕎麦屋に入ったら、お客がゼロなのに、30分待ちって一体…
蕎麦屋の前に「重要文化財櫻井家ならびに庭園」という看板があったので、時間つぶしに寄ってみることに。
ところがどっこい、ものすごく立派な建物と庭園。
なんでこんな山奥に?
その答えはパンフレットにのっていた。
「この地方は良質の砂鉄が採れ、それを製鉄するための燃料となる広葉樹がたやすく手に入ったため製鉄業(たたら製鉄)が盛んで、松江藩の重要な財源でした。櫻井家は藩主から鉄師頭取の職を命ぜられていました。」
「(同家は)正保元年(1644)この地に居を構えたという記述が残っています。庭とお成りの間は、享保三年(1803)7代藩主松平治郷公(不昧公)のお成り時に作られました。」
ふうむ。たたら製鉄か。
たしか、もののけ姫の舞台も中国山地だったような…
お屋敷の傍らにある水車。
「その昔から ひるまず今もはたらく 森の水車」ってにくいね。
その水車で挽いた蕎麦は、生粋の出雲蕎麦。
紅葉の滝や渕を窓の外にながめながら食べた蕎麦は、待った甲斐のある滋味。
国道に戻り、たたら角炉も見学。
これは、明治期の「近代的」なものらしい。
[追記]
帰ってから、中国山地の製鉄について調査。
・古代出雲の時代から、中国地方では製鉄が営まれていた。
当初、鉄鉱石を使用していたが、平安時代頃から砂鉄を原料にした「たたら製鉄」が発達。
・道後山や、吾妻山など、砂鉄を含む風化花崗岩の山では、これを掘り崩して水路に流し、底に溜まる砂鉄を採る「鉄穴流し(かんなながし)」が盛んに行われた。
・吾妻山にある3つの池も、天然のものではなく、山麓で鉄穴流しをするための人工の溜池で、大正時代まで使用されていた。
・製鉄には薪炭が大量に必要なため木々を伐採、毛無山の名も一帯に残る。
・江戸時代には、その後を放牧地として使用。
なるほど、道後山や吾妻山の現在の風景は、たたら製鉄の生んだものだったのか。
山は頭で登るものじゃなけれど、勉強しないと見えない風景もあるんだなあ。。