WALK あばうと 日本4,000山

「新日本山岳誌」掲載の約4000山が修行の地。 めざせ山仙人!
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恵那山(2,192m)集中登山(1)―前宮ルート

恵那山(2,191m)は、木曽山脈最南部、長野・岐阜県境にある日本百名山で、岐阜県美濃地方にとっての最高峰。

それだけに、歴史も古く、多くの登山道があり、「ぼっちの『岐阜百秀山』勝手に選定委員会」の調査をやり残している。

ようやく雪も解けたので、集中的に踏査するつもり。

 

恵那山の主な登山道として、次の4ルートがある。

黒井沢ルート(登山口(標高1,220m)から山頂まで約6.8辧標高差972m)

 岐阜県中津川市の中津川上流黒井沢沿いのルート(ルートは何度か少しずつ変更されている)。

 1959年に開かれ、翌年深田久弥がこのルートで登っている。

 ぼっちも2度このルートで登っていて、沢音と深い針葉樹林がすがすがしかった。

 ただし、アプローチの林道があまり良くないのと、登山道の地盤が脆弱なので、通行止めとなることがある。

神坂(みさか)峠ルート(登山口(標高1,569m)から山頂まで約6.8辧標高差622m)

 黒井沢ルートの林道が2000年9月の豪雨で林道が崩壊し4年間通行できなかった時期にルートとともに整備された。

 恵那山と神坂山(1,576m)の鞍部、かつての東山道最大の難所「神の御坂」と呼ばれた神坂峠が登山口となるルート。

 岐阜・長野県境稜線をたどり、標高差は少ないが結構アップダウンがあるので累積標高はもっとある。

 途中稜線の岐阜県側が何カ所か崩れているので通過に注意が必要。

前宮(まえのみや)ルート(登山口(標高743m)から山頂まで約8.0辧標高差1,448m)

 恵那神社(山頂の奥宮に対し前宮と呼ばれる)を起点とするもっとも古い歴史を持つ信仰の道。 

 明治26年(1893年)、ウェストンが登ったのもこのルート。

 明治の後期から大正にかけては中津川駅に登山案内所が開設され、「恵那登山案内」というガイドブックも出版されていたほど。

 しかし、1959年の伊勢湾台風で大きな被害を受け、同時期に開発が始まっていた短い黒井沢ルートがメインの登山道となった。

 廃道状態だったが、2001年に川上集落に「ウエストン公園」が開設さたのに合わせ中津川山岳会が42年ぶりに復活させた。

 標高差がもっとも大きく、長丁場となるが、緩やかな尾根を行くため、安定感があるルート。

広河原ルート(登山口(標高1,255m)から山頂まで約3.9辧標高差936m)

 長野県阿智村の広河原に2001年10月新設されたルートで、最も短く、アップダウンも少ない最も歩きやすいルート。

 ただ、やや単調と聞くので、踏査して確認したい。

 百名山ブームもあり、今ではこの長野県側の登山道が多くの登山者を集めている。

 

5月17日(日)は、その第1弾として、歴史あるA圧椒襦璽箸鯆敢催仍魁

山仙人をめざす身としては、かねてから登ってみたかったルートであります。

まずは、恵那神社に参拝。樹齢600〜800年という夫婦杉は歴史を感じさせる。

恵那山は、天照大神の胞衣(えな へその緒のこと)を納めた地であり、かつては恵那山自体が御神体であったという。

神仏習合により、恵那権現とも称されていた。

安全登山を祈念し、いざ出発!

20200517恵那山1.jpg

前宮ルート案内図。長いルートだからか、山頂まで通常の倍の20合目まであり、信仰にちなむ地点名も多い。

20200517恵那山2.jpg

しばらく正ヶ根谷沿いの林道を進むと、登山口に出る。

ここで、沢を渡渉することとなるが、昨日の大雨で増水していたので大事を取り、登山靴を脱ぎ、首からぶら下げて無事通過。

ヒノキの植林地を行く。

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もう一か所、小滝の上の渡渉点は、靴のまま通過、尾根に出る。

標高200mあまり急登すると、五合目に出る。北側が大きく崩落して、治山工事をしていた。

更にミヤコザサにびっしり覆われた植林帯の急登は続くけど、刈り払いがしっかりされ、たんたんと進んでいくことができる。

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標高1,400mほどで、枯大桧に出合う。

このあたりでようやく植林帯を抜け、天然ヒノキやコメツガなどの針葉樹とリョウブやドウダンツツジなどの落葉樹の混合林となる。

いろいろないわれのある地名の標識が連続して登場するので長丁場も飽きない。

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小さな平地は、中の小屋跡で、小さな平地には江戸時代は籠堂があったという。

大岩の間にある不動明王の石仏が、神仏習合の時代を偲ばせる。

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しばらく急登し、1,801mの八右衛門の頭という小ピークに出る。三等三角点の基準点名が空峠。

いったん少し下ると、行者越という岩がごつごつ露出した鞍部に出る。

岩をよじ登ると、小さな役行者石像に出合う。弘化3年(1846年)のものだという。

岩場はこの部分だけで、あとは針葉樹の森が続く。

空八丁という登りを過ぎるとササ原の稜線の展望が開け、恵那山の山頂方向が見えてくる。

雲の上に出たらしい。

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2,010m地点の16合目を通過、さらに進むと残雪の道の上に一之宮の祠がある。

このあたりからが、別名覆舟山(ふなふせやま)ともいわれるように、広い山上部分に出る。

祭神に合わせ、祠が次々登場。

20200517恵那山12.jpg

山上のシラビソなどの樹林は、一度皆伐されているのか細々と密生しているけれど、針葉樹のツンとする香気が心地よい。

このあたりの雰囲気は、山梨県の奥秩父あたりのたたずまいを彷彿させる。

標高と降水量の少ない中央高地式気候なところが似ているためだろうか。

やがて、神坂峠からのルートと合流。

ここまで5時間あまり、誰とも出会わなかったけれど、山頂までに神坂峠ルートからの2組とすれ違う。

しっかり避けて、ソーシャルディスタンスを確保。

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避難小屋のある最高点は、人の声がしたので、ひとまずスルーして、7番目の奥宮の祠と一等三角点のある恵那山山頂へ直行。

展望台の櫓があったので登ってみたけれど、針葉樹林に囲まれ、ほとんど眺望は得られなかった。

20200517恵那山14.jpg

昼食後、最高点に引き返す途中、ササ原の間に踏み跡があったので入ってみると、伊那谷越しに赤石山脈が間近に見える。

伊那方面からだと、前衛峰のために同定がなかなか難しいけど、恵那山まで上がってしまうと前衛峰よりも高い視点になる。

そのため、仙丈ケ岳、白根三山、塩見岳、荒川三山、赤石岳と、程よく間隔を置いて並び、同定がすこぶるしやすい。

明治26年(1893年)に登ったウェストンも、ここから赤石山脈を眺め、いつかはと闘志を燃やしたんでしょう。

1902年〜1905年の2度目の来日は、赤石山脈(南アルプス)を主に攻略している。

20200517恵那山15.jpg

避難小屋のある最高地点に戻る。

最近国土地理院の調査で、2,190.3mの三角点よりちょっとだけ高い2,091mの最高地点が地形図に表記されるようになった。

小屋の背後の岩の上が見晴らしが良く、人がいなくなったのでよじ登る。

赤石山脈は、先ほどの地点の方がよく見えた。その代わり、北の木曽山脈方面が見えた。

20200517恵那山16.jpg

下山しかけると、樹林の合間に、神坂峠や富士見台方向が見下ろせる。

標高は500mほど低くても、樹林に包まれた恵那山山頂部より、ササだけの富士見台あたりの方が視界が広がり展望がいいのが分かる。

20200517恵那山17.jpg

下りも長丁場、日没前に下山するため、さくさく進む。

行者越を過ぎたあたりのササ原越しに、恵那山の針葉樹に包まれた大きな裾野が眺められる。

やはり、美濃地方でこれほど大きな規模を持つ山はほかにないなあと実感。

20200517恵那山18.jpg

眼下には、木曽川沿いに開けた中津川の街や、笠置山が見えてくる。

さあて、もうひと踏ん張り。

20200517恵那山19.jpg

帰りは靴を脱がずに渡渉でき、無事17:15恵那神社に帰着。

黒井沢ルートでは知ることのできなかった、恵那山信仰の名残りをしっかり確かめられ、充実の山行でありました。

 

帰路、黒井沢ルートとの林道分岐点にある、ウェストン公園に立ち寄る。

ついつい像の碑文をチェックしてしまう。(画像クリックで拡大。詳しくは↓メモへ。)

<登山記録>  (−:車、…:徒歩)

2020年5月17日(日) 曇 山上は晴  単独行

自宅4:15―恵那神社(駐車)6:45…登山口7:05…(渡渉)…五合目8:25…枯大桧9:15…中の小屋跡9:30…空峠(八衛門ノ頭)10:10…行者越10:45…一之宮11:55…神坂峠ルートとの合流点12:05…恵那山最高点(避難小屋)12:30…恵那山山頂12:40〜13:00…恵那山最高点13:10〜13:20…合流点13:50…行者越14:50…空峠15:10…中の小屋跡15:40…五合目16:25…登山口17:00…恵那神社17:15―(帰路)

ブログ「ぼっちの『岐阜百名山』勝手に選定委員会」へ>←クリック!

 

<メモ>

ウェストン胸像の碑文抜粋「1893年(明治26)5月11日、ウェストンは友人2人と中津川から川上・恵那神社を経て外国人として初めて恵那山に登山、世界に向けて恵那山を紹介➀しました。彼は山頂からの眺めを『ここからの眺めのすばらしさは、とても言葉で表すことができない』と書いています。」

➀恵那山のことを記した彼の著作『日本アルプスの登山と探検』が、世界に向けて紹介というほどのものだったかは、「お山の勉強室(2)−ウェストンの虚像・実像」を参照ください。

∋劃困らの眺めについては、もう少し長く引用すると、次のとおり。

 「一番高いところに測量標があって、骨だけの木の櫓が建っていた。ここからの眺めのすばらしさは、とても言葉で表すことができない。展望の広さは近くの駒ケ岳とほぼ同じで、日本の名だたる山々がいすれも純白のケープで肩をくるんで、ずらりと目の前に並んでいる。」

 彼は、恵那山の山頂の眺め全体を言っているのではなく、ここから=櫓の上からの眺めと限定してすばらしいと言っている。

 一等三角点の三角測量が明治18年(1885年)なので、ウェストンが登った1893年には測量用の櫓が残されていたのだろう。

 さらに、測量にあたっては、視界を確保するために伐採などもされていたはず。

 今、三角点の傍に最近できた櫓があるけれど、その上に登っても針葉樹林が視界をさえぎって、ほとんど眺望は得られない。

 今現在、山上で、駒ケ岳のように360度の展望を得られる場所はなく、それを望むなら富士見台となる。

  

| ぼっち | 「岐阜百名山」勝手に選定委員会 | 20:37 | comments(0) | - | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!









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