WALK あばうと 日本4,000山

「新日本山岳誌」掲載の約4000山が修行の地。 めざせ山仙人!
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日本遺産〜美濃の正倉院 縦走

5月9日は、ぼっちの「勝手に『岐阜百秀山』候補リスト」未踏の山、妙法ヶ岳(667m)へ。

登山口は、ぼっち家から40分ほどのご近所の低山で、後回しにしておりました  (ロ。ロ)トウダイモトクラシ

 

西国三十三カ所観音霊場の三十三番目の札所、天台宗谷汲山華厳寺の背後の山で、中腹には奥の院がある。

華厳寺は地元で「たにぐみさん」と呼ばれることの方が多く、所在地は、揖斐川町と合併する前、谷汲村だった。

それでは、谷汲山=妙法ヶ岳なのか、調べてもよく分からなかった。

 

旧谷汲村には、もう一つ両界山横蔵寺という天台宗の古刹があり、地元では、「ミイラのある寺」として知られている。

妙法ヶ岳には、この二つの寺を結ぶ小縦走ルートが東海自然歩道として通じている。

横蔵寺門前にMTBジャイアン号を待たせ、華厳寺門前から小縦走開始 (ロ。ロ)/オウ

華厳寺は、最近西国三十三カ所として「日本遺産」に指定され、横蔵寺は、多数文化財を保有し「美濃の正倉院」と呼ばれる。

ありがたい縦走であります。

華厳寺は、関西以外唯一の三十三カ所霊場としてよく知られた観光地。

ソーシャルディスタンスを確保するため、早朝6:30に出発。本堂の脇から、奥の院への参道に入る。

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参道は途中で、東海自然歩道と合流する。

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ま新しい三十三観音の石仏を数えながら奥の院に到着。

後ろから鈴の音がしたので、ソーシャルディスタンス確保のため、ギアを入れ替えて、さくさく進む。

以後、後続登山者の気配はなくなった。

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山頂までは、比較的若いヒノキの植林の単調な急登。

東海自然歩道に付きものの、プラスチック製の疑似丸太の階段ではなく、間伐材なのが救いでありましょうか。

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華厳寺から1時間あまりで、妙法ヶ岳山頂に到着。

展望は南(画像左)も、北(右)も、植林で全く得られなかった。

全山植林で眺望も得られないのは、少し寂しい。

南側20本くらいヒノキを伐って落葉樹に戻せば、観光地としての価値も上がるのでは。。

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妙法ヶ岳からは、標高600m前後のゆるやかなアップダウンの稜線縦走。

次第に稜線周辺は、単調な植林からアカマツに、シロモジ、リョウブ、ユズリハなどの新緑となり、行く手の山々も樹間に見える。

ただし、しっかり展望できる地点はなかった。

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632mポイントあたりが、本コースのハイライト。

ミツバツツジや新緑が爽やか。

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横蔵寺背後の三等三角点(基準点名「神原」)のある606mピークあたりからは、再び植林帯に入る。

ただし、妙法ヶ岳側よりずっと風格があり、中には、蕪山の株スギを思わせる大木や、シャクナゲもみられる。

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いったん舗装された林道と交差し、562mピークから、横蔵寺に向けて下りはじめる。

途中のヒノキとスギの混植された林は、ヒノキの皮が剥がされている。

どうやら、横蔵寺のお堂の屋根の檜皮葺きに使われているらしい。

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谷間の少し広い場所に出ると、「横蔵寺旧蹟」の石碑と、本堂などの礎石があり、本格的な山岳寺院だったことがしのばれる。

元亀2年(1571年)織田信長に焼き討ちにされる前、この場所に伽藍があり、最盛期の鎌倉時代には38坊を有する大寺院だったという。

比叡山延暦寺とは深い関係があり、最澄作という横蔵寺の本尊の薬師如来が、同年信長に焼き討ちで焼失した延暦寺の本尊薬師如来の代わりとして移されている。

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仁王門跡などを経て、江戸時代山麓に移った現在の横蔵寺に到着。

参拝者は、まったくなくて、閑散としている。

そのまま、通過するつもりだったけど、「ミイラを見ていきませんか」と、寺の女性に声を掛けられ、拝んでいくことに。

横蔵寺のミイラ(舎利仏)は、地元出身の妙心法師のもの。

文化14年(1817年)、断食修行の後、御正体山満36歳で入定、即身仏となったという。

当初は入定した御正体山の中腹の堂に安置されていたが、明治の廃仏毀釈で山から降ろされ、見世物として京都の博覧会などに展示されるなどした後、明治7年(1874年)に山梨県庁が引き取り、その後は県病院で医学資料として保管されていた。

それを親族の嘆願で、地元の横蔵寺に移されたという。

ぼっち的には、宝物殿の鎌倉時代の仁王像など、かつて山上に会った仏像が感慨深かった。

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待たせていたMTBジャイアン号で、華厳寺まで8.5kmほどの道のりを戻る。

史跡めぐり登山としてはなかなかいいルートだけど、妙法ヶ岳単体では、植林低山という印象だろうか。

ちなみに、いずれも回峰行の伝統を持つ天台宗の寺ながら、華厳寺から妙法ヶ岳を経て横蔵寺に至る稜線には、両寺のつながりを感じさせる痕跡は見られなかった。

現代では、それぞれにキャッチフレーズを持つ、紅葉の名所の観光地の印象。

しかし、こじんまりした旧谷汲村に、霊場として広く信仰を集めた華厳寺と、山岳寺院として僧兵を擁した横蔵寺と個性が全く違う天台宗の古刹が2寺もあるのはなぜか、改めて考えてみるとよく分からない。

ご近所でも知らないことが多いなあと感じされられた小縦走でありました。

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<余談>

横蔵寺の駐車場にあった、「いびがわ観光マップ」が気になった。

 

濃尾平野の北西端にある揖斐川町は、2005年「平成の大合併」で、背後の山村である旧谷汲村、久瀬村、春日村、坂内村、藤橋村と合併した。

これによって、面積は46㎢から803㎢と、17倍に増えたのに対し、人口は2000年に約2万7千人だったのが、これらの村から8千人加わったのに、2005年は2万6千人に減少している。

 

合併前の揖斐川町には、山らしい山はなかったのに対し、編入された村には、能郷白山(日本200名山)、三周ヶ岳、冠山(日本300名山)、金草岳、花房山、小津権現山、蕎麦粒山、伊吹山(日本百名山)、金糞岳、貝月山など、美濃地方を代表する山々がひしめく。

しかも、日本一の貯水量を持つ徳山湖や、伊吹山の薬草や、旧春日村の「天空の茶畑」など、個性ある観光資源も多い。

しかし、「いびがわ観光マップ」では、旧揖斐川町以外のエリアが軽く扱われているのは、実際の地図と照らし合わせれば一目瞭然。

 

観光マップは、揖斐川町の生活者目線と、観光者や登山者の関心が相当異なっていることを如実に表している。

そのギャップを意識化していかないと、地域振興はなかなか難しいのではないかと思う。

特に登山者受け入れについては、あまりに立派な山が多すぎて、手つかずっていうのが、現状でありましょうか。

(↓地図クリックで拡大)

 

| ぼっち | 縦走主義でいこう! | 06:17 | comments(0) | - | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!









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