WALK あばうと 日本4,000山

「新日本山岳誌」掲載の約4000山が修行の地。 めざせ山仙人!
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伊吹山(1,377m) 雪の弥高尾根〜中尾根

「ぼっちの『岐阜百秀山』勝手に選定委員会」で、後回しにしてあったのが伊吹山。

 

滋賀・岐阜両県にまたがり、山頂は500mくらい滋賀県側で同県の最高峰。

都に近く、交通の要所にそびえ、ヤマトタケルが東征の帰路、伊吹山の神に返り討ちにあった伝説で知られるように、歴史も古い。

日本海からの季節風のため豪雪の山で、なおかつ石灰岩でできているため、標高1,377mながら高山植物の宝庫。

修験の拠点ともなった霊山で、ぼっちの敬愛する円空や、槍ヶ岳を開山した播隆も山中で修行をしている。

 

一方、伊吹山は、さまざまな開発にさらされ、痛めつけられ、傷つけられてきた。

1952年(昭和27年) 大阪セメントが伊吹鉱山の操業を開始 山容を損なうほど採掘

1957年(昭和32年)近江鉄道が伊吹山スキー場を開業 雪不足もあって2009年閉鎖

1965年(昭和40年) 伊吹山ドライブウェイが山頂まで供用を開始 植物の踏み荒らしが進行

さらに、日本百名山ブームによるオーバーユース、鹿の増加による高山植物の食害など

そのため、調査登山にも気乗りしないで今に至った次第。

 

ところが、地元山岳会のNuリーダーに、弥高尾根を行く積雪期限定のルートがあると教えてもらった。

貧雪の今冬ながら、2月11日新雪が積もって晴天という、格好の条件の日が到来。単独行でいそいそ出かけてきました(ロ。ロ)/

 

岐阜県関ケ原町玉集落からから滋賀県に入り、藤古川にかかる藤古大橋を渡る。

ここから見上げる伊吹山は、往年の姿をとどめ、ぼっちの好きなポイントであります。

20200211伊吹山1.jpg

橋を渡ったところにある集落が、上平寺。

今は静かな山里のたたずまいだけど、かつては、戦国時代の武将京極高清の拠点となっていた場所。
最近の日本百名山ブームで、こんなマイナーなルートにも立派な駐車場ができていた。

集落の一番奥にある伊吹神社の参道に入る。いい感じで新雪が積もっている。

20200211伊吹山2.jpg

参道沿いには京極氏の武家屋敷跡が、神社の手前に京極氏館跡と庭園跡があり、かつてをしのばせる。

神社の鳥居の西側が登山口、「伊吹山五合目」の標識と、登山ポストがある。

20200211伊吹山3.jpg

スギ林の斜面をジグザグに進むと、明確な尾根となり、コナラなどの二次林となる。

標高669mの地点に、次のような歴史を持つ、京極氏の上平寺城の遺跡がある。

 ̄弊2年(1505年)、京極高清がこの頃に築城。

 眼下の北国脇往還を押さえ、北近江、関ヶ原盆地、濃尾平野を一望できる絶好の拠点であり、国境警備の「境目の城」であった。
大永3年(1523年)、この城を預かり高清を補佐していた上坂氏の専横に家臣の浅見氏、浅井氏らがクーデターを起こし、落城。
8亀妓鞠(1570年)頃、浅井長政が織田信長の侵攻に備えて、朝倉義景軍の援助で上平寺城を改修。

 しかし同年、城を守備していた樋口直房、堀秀村が寝返り、落城。

今は、登山道沿いに小平地や土塁らしきものが雪に包まれただけの、兵どもが夢のあと。

ちなみに、京極氏は戦国時代を生き抜き、丸亀藩ほかいくつかの大名となって、明治維新を経て華族となっている。

20200211伊吹山4.jpg

本丸跡からは、東に関ヶ原から濃尾平野、西に琵琶湖を望み、直下に山にはさまれた北国脇街道が見下ろせる。

確かに、重要な戦略拠点だったことがよく分かる。

城跡を後に、さらに落葉広葉樹林の尾根道を登高、839mピークまで出ると、伊吹山が真正面に姿を現す。

様々に痛めつけられたこの山の傷跡があまり目に入らず、ベストの角度ではないだろうか。

目指すのは中央の尾根。

ピーク直下が急峻で、かつて修験者などに使われていたけれど、今は積雪期にわずかに登られているだけ。

山仙人をめざすぼっち向けの道といえましょう。

20200211伊吹山6.jpg

今日初めての登山者追いつかれ、一気に追い越された。

その、踏み跡に(ついていきたいわけじゃないけど)ついていくと、どんどん尾根を離れていく。

「伊吹山五合目」って、スキー場からのメインルートの五号目ということかな? 

 

やっぱり、メインルートの五合目でありました。

スキー場の跡地から登ってくる登山者の多いこと。心の準備ができていなかっただけに、げっそり感半端なし。

20200211伊吹山7.jpg

まあ、このルートも調査が必要だったし、八合目で円空が修行したという平等岩(行導岩)が確認できたのでよしとしよう。

20200211伊吹山8.jpg

九合目を越えると、樹氷やエビの尻尾も見られ、背後には琵琶湖が。

20200211伊吹山9.jpg

山頂に到着。小学生の夏休みの作品のようなヤマトタケルの石像の背後に、伊吹山地、越美山地の山々がひしめく。

傍には石の祠があり、かつてここに弥勒堂があり、信仰の中心になっていたという。

20200211伊吹山10.jpg

画像では鮮明じゃないけど、地平線には、御嶽山、乗鞍岳、穂高岳、笠ヶ岳が。

足下にひしめき合う伊吹山地、越美山地の山々の向こうには、能郷白山、そして真っ白な白山が。

円空もこの大景を見渡していたんだな。。

風もなくおだやかな山頂で、大勢の登山者と(並びたいわけじゃないけど)並んで弁当を食いながら、弥高尾根を見下ろす。

下りはじめが、かなり急でちょっとひるんじゃうけど、もし、この尾根で下らなかったら、今日一日は何だったのだろう。

アイゼンを装着、ピッケルを右手に、一気に尾根を下る。

人の踏み跡のないルートって、なんて気持ちがいいんだろう。

20200211伊吹山11.jpg

しばらくすると、雪が切れて、ガラガラした石灰岩が現れる。

標高が1,377mに過ぎないのに、高山の様相なのは、石灰岩の山だからなんだな。。

20200211伊吹山12.jpg

残雪期だけに登られるルートのため、尾根上部は、ほとんど踏み跡も目印もない。

下の方のブッシュに入るあたりになると、残置テープが見られ、さらに下ると膝ほどのササの中に踏み跡もひろえるようになる。

20200211伊吹山13.jpg

往路の表(上野)登山道へのルートと、尾根ルートとの分岐。

テープがいくつか杉の木に巻いてあるけど、標識がないので分岐とは、なかなか気が付かない。

 

帰路は、839mピークから右手の分岐に入り、山岳寺院弥高寺跡に立ち寄る。

弥高寺は、役行者や白山開山の泰澄が入山したと伝えられ、仁寿年間(851〜854年)に三修が建立した伊吹山寺を前身とする伊吹修験道の中心的寺院だったという。

時代が下り、京極高清が上平寺城を築城した頃は、軍事拠点化し、永正9年(1512年)には兵火で焼失し、その後山麓に移転している

上平寺城と同様、こんな山上に小平地があり、アジール(自由領域としての宗教空間)として機能していたのがしのばれる。

斜面の巻き道で往路に合流、さまざまに中身の濃い山行でありました。

<登山記録>  (―:車、…:徒歩)

2020年2月11日 (火祝) 快晴 単独行

自宅6:00―上平寺集落(駐車)7:10…上平寺城址8:30…839mピーク9:15…五合目10:35…伊吹山山頂12:30~12:45…(弥高尾根)…839mピーク14:00…弥高寺跡14:45…上平寺城址15:30…上平寺16:00ー(帰路)

 

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<メモ>

後で調べたら、尾根の名前やルートについてあいまいにとらえていたことが分かったので、整理してご紹介。

(↓地図クリックで拡大)

・弥高尾根(やたかおね)道

 米原市弥高から南の尾根を登るルートで、三角点「城跡」(標高838.7 m)から先は、はっきりしない道となる。

 標高900m付近からトラバースして上野登山道の5合目に合流する。

・上平寺尾根(じょうへいじおね)道
 米原市上平寺から弥高尾根の東にある尾根を上り、三角点「城跡」で弥高尾根に合流する。
 両尾根が合流した先は、山頂まで延びる中尾根と呼ばれる尾根があり、かつては山頂に至る道があったとされている
Nuリーダーに教えてもらったのは、この「中尾根のかつては山頂に至る道があったとされる」ルートでありました。
| ぼっち | 「岐阜百名山」勝手に選定委員会 | 22:34 | comments(0) | - | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!









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