WALK あばうと 日本4,000山

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飛騨の隠居さまに会いに行く

2月1日、小雪舞う高山市へ。

今回の目的は、登山でも観光でもなく、「飛騨の隠居さま」にお会いすること。

ご自身で「隠居」とおっしゃっているけど、飛騨山岳界の重鎮であられ、アルピニストとしてのご経験も、登山史などに関するご見識も卓越された大先輩。

ここでは最大限の敬意をこめて「飛騨の隠居さま」と呼ばせていただきます。

 

「ぼっちの『岐阜百秀山』勝手に選定委員会」の取り組みは、「勝手」と言いつつも、独りよがりのものでは、岐阜県山岳に対して申し訳が立たない。

特に飛騨山脈については、美濃の片隅に住む、ぼっちの上っ面の知識・経験だけでは、いかにも心もとない。

ひととおり候補の山に登り、絞り込み作業が進んで原案ができたので、飛騨の隠居さまにご意見を拝聴しに高山を訪問した次第。

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時間調整のため、飛騨の歴史をひととおり知っておこうと、いつも山の往復に素通りしている市内を探訪。

まずは、かつて高山城の置かれていた、城山公園へ。

城山には、室町時代、高山外記が天神山城を築城、高山という地名は、彼の名を取ったとの説がある。

二ノ丸跡にある騎馬像は、初代高山藩主金森長親公。戦国末から江戸時代前期におかれた高山藩の基盤を気付いた名君であります。

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雪の天守跡から見下ろす高山市街、山また山に囲まれた土地であることがよく分かる。

向かいの山が、高山市民に親しまれる松倉山。

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城山中腹にある照蓮寺の本堂は、御母衣ダムに沈むため白川郷から移築された室町後期の建築で、現存する浄土真宗(一向宗)の本堂では最古のもの。

照蓮寺は、飛騨に広がった一向宗勢力の中心的な寺で、ここでは省略するけど、飛騨の歴史を語るうえで欠かせない寺院。

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「飛騨の里」も、初訪問。
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木挽小屋(手前)や、杣小屋(奥)など、かつての飛騨の山の暮らしをしのばせる建物がある。

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木挽を生業としていた民家の中には、飛騨の林政史や、木挽の道具の展示が。

木材の運搬には、木曽川、長良川などが利用され、飛騨国と美濃国が物資輸送の面で密接につながっていたことが分かる。
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飛騨の里の背後にある松倉山(856.7m)にも登る。標高857mながら、飛騨盆地からの高度差は350mあまり。

山頂には、戦国時代三木(姉小路)頼綱の松倉城があった。

彼は越中富山城主佐々成政と手を組んでいたが、羽柴秀吉より討伐の命を受けた越前大野城主、のちの初代高山藩主金森長近に落とされた。

天守閣跡は、飛騨山脈の大展望台になっている。

今回は雪雲に覆われ、残念。。

飛騨の里に隣接する、高山民俗村の旧高山測候所にも立ち寄り。

現在は、山岳資料館となっていて、飛騨登山史が概観できる。

本当は、是非こここそ見たかったのだけれど、冬季閉館中で、外から眺める。

おお、そろそろお約束の時間(緊張。。)

飛騨のご隠居さまにお会いし、いろいろお話を伺った2時間あまりは、とても濃密な時間。

飛騨の山について、だいたいいいところを選んでいると言っていただけ、まずはほっとした。

そうはいっても、もっと調査したり、差し替えたりする必要がありそうなご指摘をいくつかいただいた。

今年夏までに、調査登山を進め、より納得の百の山を選ぼうと、さらなる精進を誓った次第。

飛騨のご隠居さま、いろいろありがとうございました。

今後ともよろしくお願いいたします。

 

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