WALK あばうと 日本4,000山

「新日本山岳誌」掲載の約4000山が修行の地。 めざせ山仙人!
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木曽三川を見下ろす―多度山(403m)

12月28日は、ぼっちの山の会恒例の登り納め。今年は養老山地最南部の多度山(403m)。

多度山は、三重県桑名市多度町と、岐阜県海津市南濃町にまたがる県境の山。

ただし、山頂は三重県側で、伊勢の二ノ宮、多度大社の神体山になっているので、三重県の山といった方がいいのでしょう。

旧いたたずまいを残す参道から、愛宕神社の鳥居をくぐり、総勢15名で登山道に入る。

20191228多度山1.jpg

愛宕神社で、いったん車道に出合い、そこからが本格的な登山道となる。

スギ木立に、アラカシやツバキなどが混生する登山道は、養老ー伊勢湾断層の活動でできた山なだけになかなかの急登。

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約1時間で、多度山山頂に到着。

三角点周辺は広場になっていて、東側は濃尾平野に面しているので、標高403mの山と思えないほどの展望が広がる。

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南東方向には、手前から揖斐川、長良川、木曽川の木曽三川が伊勢湾に流れ込むのが眺められる。

岐阜県は内陸県だけど、県の最南部から海まで約13辧多度山からだと約16辧

気候は、太平洋の影響を大きく受ける。

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東を見ると、木曽三川公園の展望タワーと、松林の続く油島締切堤が見える。

このあたりは、江戸時代、徳川御三家筆頭の尾張藩の方が堤防を高く作ったため、美濃側は洪水に苦しんだ。

特に長良川と揖斐川は水位が異なり、洪水のもととなったため、幕府が薩摩藩に命じて、宝暦年間に締切提を作らせた。

莫大な経費の掛かる大工事で、工事を監督した薩摩藩士平田靭負(ひらたゆきえ)も完工後切腹したと伝わる。

その後、明治に入り、オランダ人技師ヨハニス・デ・レーケが中心になり木曽三川分流工事を行い、水害は大幅に減った。

平田靭負は、多度大社に工事の成功を祈り、ヨハニス・デ・レーケは、1900年(明治33年)4月木曽三川分流工事の成工式の折、当時の山縣有朋総理大臣を多度山頂から工事の全容を説明したという。

20191228多度山6.jpg

木曽三川の向こうには、濃尾平野と、さらに木曽川の源流御嶽山、木曽山脈、赤石山脈などが遠望できる。

20191228多度山5.jpg展望

すっかり心を奪われているうち、食事班は、鍋と鹿肉のステーキを準備してくれてた。

20代から70代までのメンバー約20人で鍋を囲み、旧交を温める。

20191228多度山7.jpg

鍋を食べつつも、山が気になるぼっちは、ふたたび山頂から山を眺める。

取り組んできた、「『岐阜百名山』勝手に調査委員会」で、登ってきた山々をもう一度眺めておく。

20191228多度山8.jpg

下山し、登山口にある多度大社にお参り。

来年も、安全に登山できますように。

そして、来年は5年間にわたり取り組んできた「『岐阜百名山』勝手に選定委員会」仕上げの年。

無事、出版にこぎつけられますように。

20191228多度山9.jpg

帰路、国道258号線の歩道橋上から多度山の山容を眺める。

活断層のある東が急で、西はゆるやかなほか、個性はあまりみられず、今は通信塔の巣みたいになっている。

しかし、南北に連なる養老山脈最南部の多度山は、海に面し、川に面し、国境に面し、展望に優れる。

古代より重要な山だったことが分かる。

20191228多度山10.jpg

<登山記録> (…:徒歩)

2019年12月28日(土) 快晴 メンバー15名+食事班3名+家族2名

多度大社(集合)9:50…多度山山頂11:00~12:50…多度大社13:30(解散)

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