WALK あばうと 日本4,000山

「新日本山岳誌」掲載の約4000山が修行の地。 めざせ山仙人!
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平湯大ネズコに会いに行く

新穂高温泉で午前10時解散、他のメンバーは名古屋方面に帰っていった。

残された岐阜県民ぼっちは、前から気になっていた「平湯大ネズコ」に会いに行くことに。

大ネズコは、クロベ(黒檜)とも呼ばれるヒノキ科の針葉樹で、「木曽五木」にも入る銘木。

 

新穂高温泉から高山市街に向かう国道158号線の平湯キャンプ場の先に大ネズコ入口の看板がある。

冬はスキー場の駐車場になるがらんとした空地に愛車奥地君を待たせ、一般車両進入禁止の林道に入る。

約15分歩いたところで林道と分かれ、大ネズコへの遊歩道を進む。

ブナや、サワグルミなどの樹林に包まれた遊歩道は、山馬鹿ぼっちにはいい道だけど、観光客にはほとんど登山かも。。

20180727大ネズコへの道.jpg

山道をさらに15分で、小平地に打ち出ると、 おお! そこに大ネズコが出現。

赤く艶のある幹はごつごつ節くれだち、大人5人が腕を伸ばしてようやく一周できるほど。

会津朝日岳や、立山の鍬崎山で、クロベ(ネズコ)の大木に出会ったことはあるけど、これほど問答無用の巨木は初めて。

畏敬の念に打たれながら、巨木の周りを一巡り。

20180728平湯の大ネズコ.jpg

林道の入口まで戻り、往きには読み飛ばした由来書きを読んでみる。

「昭和初期、林野庁より村人が原木を払い下げていただき、炭焼をして生活の支えとしていた時、巨木を発見しました。

大正時代、社会教育家『篠原無然』先生が10年間、平湯温泉を拠点に飛騨の人々を教育されました。無然先生から自然の大切さを教えられた村人は、将来きっと地元の貴重な財産になると思い、『平湯大ネズコ』と名づけ、残した巨木であります。」

 

篠原無然といえば、兵庫県浜坂町の生まれながら、大正4年、当時僻遠の地といわれた平湯にあえて代用教員として入り、青年の教育や工女の待遇改善などに尽力したが、同12年、指導下にあった工女が入水自殺し、これを無然と結びつける地元素封家を中心とした排斥運動が起き、追われるように関東大震災の救援活動に出ていく。そして、大阪の芸娼妓専門の病院に大阪府の嘱託として勤務、翌13年11月、平湯に向かおうとして雪の安房峠で遭難し、36歳の生涯を閉じている。

「人界に師なし」として、深山に修養の場を求め、大自然を師とした無然はまた、北アルプスに山岳公園を作ろうと、地元の青年たちと乗鞍岳登山道を整備し、乗鞍岳の桔梗ケ原などの命名もしている。

ネズコは銘木なので、伐れば金になるのをあえて残した昭和初期の平湯の人々の心には、そんな無然先生の教えがしみこんでいたのでしょう。

 

昭和9年北アルプスは中部山岳国立公園に指定され、中部縦貫自動車道の安房トンネルが開かれた今、平湯は冬でも都会の人を迎え入れ、僻遠の地の面影は、もはやそこにない。

大自然を師とした無然先生は、今の平湯をどのように見るのだろうか。

 

| ぼっち | 巨木に会う | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!









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