WALK あばうと 日本4,000山

「新日本山岳誌」掲載の約4,000山が修行の地。 めざせ山仙人!
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木曽駒クラシックルートを行く(1)―将棊頭山・木曽駒ヶ岳

「日本百高山」踏破まで、残すところ3山。

9月9日、10日は、山の会の仲間7名で木曽山脈の将棊頭山(しょうぎかしらやま:2,730m)へ行って来マシタ。

 

将棊頭山という山名は、その姿が将棋の駒の形に似ていることによるもの。

新田次郎著「聖職の碑」のモデルとなった、1913年(大正2年)の「木曽駒ヶ岳大量遭難事故」で知られた山だけど、単独の登山対象としては地味目なので、木曽駒ヶ岳、三ノ沢岳をセット。

車を3台使い、桂小場登山口から入山、将棊頭山から木曽駒ヶ岳、三ノ沢岳まで縦走して、木曽駒ロープウェイで下山する縦走コースを計画。 

 

小黒川上流部にある桂小場登山口は、観光客と登山客でごった返す木曽駒ロープウェイ千畳敷駅とは違い、静かな樹林の中。

駐車場や登山標識がしっかり整備され、いい感じ。

ちなみに「桂小場」というのは、旧登山口(信州大学農学部の宿舎付近)に桂の大木があり、そこが木材の集積場となっていたことによるのだそう。
桂小場の標高は約1,250m、2,956mの木曽駒ヶ岳まで標高差1,700mを一気に登ることになる。日本アルプスデビューの新人K君、体調が十分じゃなさそうで、ちょっと心配。。

 

1962年(昭和47年)木曽駒ロープウェイができる前は、駒ヶ岳へのメインルートのひとつだった桂小場の登山道は、江戸時代の信仰登山の時代から使われてきたクラシックルート。今も地元の中学校の学校登山に使われているそうで、ていねいに整備され、急登にならないようなルート取りがされている。
最初の休憩ポイントは、「ぶどうの泉」という水場。

もちろん、ぶどう味ってわけじゃなく、ブドウの蔓の絡まる山肌から湧く泉という意味だそう。

ここにも立派なカツラの大木があった。
つづら折れの「ちりめん坂」を越えると、「野田場」という水場。

昔は馬を返した場所だという「馬返し」を越え、権兵衛峠のルート、白川のルートの分岐を越えると尾根らしくなってくる。

ようやくカラマツやヒノキの単調な植林帯が終わり、コメツガやシラビソが登場。

木立の中にトタン張りの大樽避難小屋が見えてくる。
小屋を過ぎると「胸突き八丁」。

K君がアゴを出しているのを、「他の山の『胸突き八丁』は、こんな生やさしくないゾ」と、おどかすベテラン諸先輩。

津島神社という標識ばかりが残るポイントの、大岩の下にはヒカリゴケが。

胸突き八丁の頭を過ぎハイマツ帯の稜線に出ると、行者岩という岩組みを山上に持つピークが見える。

ハイマツに触れるたび「痛い痛い」と言うK君の反応が、ヤブ漕ぎ、ハイマツ漕ぎに慣れ過ぎた身には新鮮。
おだやかな稜線をたどって、西駒山荘に到着。

ちなみに「西駒」とは、赤石山脈の甲斐駒ケ岳を東に、木曽山脈の木曽駒ヶ岳を西に眺める伊那の人々が、木曽駒ヶ岳を「西駒ヶ岳」と呼んでいたことにちなむ。

花崗岩の石室部分は、木曽駒ヶ岳大量遭難事故により避難小屋の必要性を痛感した地元内ノ萱・天狗を中心とした人々の尽力で、事故2年後の大正4年(1915年)に建てられた「伊那小屋」が、名前を変えつつも今も現役で使われている。

北アルプス稜線で最も古い常念小屋の建設でさえ大正8年(1917年)、もちろん建物は新しいから西駒山荘の歴史的価値は高く2016年登録有形文化財に指定された。

ちなみに、日本最古の山小屋建物は立山室堂小屋で江戸期のもので重要文化財。ほかに登録有形文化財になっているのは、大正12年(1923年)建設の徳本峠小屋だけ。
今は営業期間外の避難小屋として使用されている石室の背後にある西穂山荘本館は、2014年に建て替えられたばかり。小屋の直下には「天命水」といううまい水場もあるし、ぜひとも次回は、この小屋に泊まるのを目的にして再訪したいもの。

小屋の周りにあるコマクサの群落は、いったん絶滅したコマクサを、学校登山の中学生が里で育成し毎年植えつけたものだそうで、濃い赤い色をしている。
西駒山荘からしばらくで、将棊頭山への分岐がハイマツの中にのびている。

おだやかな山頂からは、木曽駒ヶ岳方面の縦走路が眺められる。

(画像中央部のピークが将棊頭山山頂。)
将棊頭山山頂直下に、天水岩という平らな花崗岩の大岩があり、その窪みにある水たまりは、どんな日照りでも涸れることがないという。

比較的大きな窪みなので、降水と蒸発のバランスが取れているのだろうか。
天水岩のかたわらには、明治期の霊神の石碑などが残されている。

江戸期以来の信仰登山、心身鍛錬も兼ねた学校登山、近代登山が重層した時代もあったんでしょう。
さらに下ると、大きな岩があり、背後に回ると「遭難記念碑」と刻まれていた。

これが有名な「聖職の碑」か。。

風化が進んでいるため、かたわらに新たに彫られた小さな碑が添えられていた。
がんばってきたK君も、限界が迫ってきた様子。

アミノ酸・ゼリー飲料をあげて、最後の踏んばりを応援。
ようやく木曽駒ケ岳の山頂が近づいてきた。
無事、7人そろって木曽駒ヶ岳山頂に到着。

K君、よくがんばったね!

ちなみに、今回改めて気づいたんだけど、山頂には祠が二つ。

どうやら、伊那側と、木曽側それぞれ向けに祠があるみたい。

ま、鉢盛山みたいに、各村ごとに7つも8つも祠があるよりはましだけど、長野県が地域連合体なのを感じさせられるね。。


木曽駒ケ岳山頂直下に頂上木曽小屋、木曽側に玉ノ窪山荘、伊那側に駒ケ岳頂上山荘と3つも小屋があるのも同じような理由からかもしれない。

我々が泊まる頂上山荘の前にはテントがいっぱい張られ、日が暮れると色とりどりのランタンみたい。

ワインを飲んで、地元マルス信州蒸留所のウイスキー「信州」を飲んで、天名水で割った焼酎を呑んで、小屋の夜は更けたのデシタ。

 

<登山記録>
2017年9月9日(土) 曇ときどき晴  Su,Ho,Yo,Na,Ma,K,botti (…:徒歩、―:車)
土岐I.C.―駒ヶ根黒川平駐車場(1台駐車)7:20―桂小場(2台駐車)8:25…ぶどうの泉8:45…大樽避難小屋10:50…西駒山荘13:30~13:50…将棊頭山山頂14:15~14:25…遭難記念碑14:40…木曽駒ケ岳山頂16:40~17:00…駒ケ岳頂上山荘17:30(泊)

 

 

| ぼっち | 縦走主義でいこう! | 03:26 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
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