WALK あばうと 日本4,000山

「新日本山岳誌」掲載の約4000山が修行の地。 めざせ山仙人!
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4年目のふくしま応援登山(1)―小野岳(1,383.4m)
東日本大震災の翌年から毎秋Gan先輩と続けている「ふくしま応援登山」。
4回目の今回は、南会津の小野岳、那須三本槍岳、博士山、志津倉山を訪問。
小屋仲間のYさんも加わって、久しぶりににぎやかな山旅でありマス。

10月2日、まずは小野岳を訪問。
南会津の名湯、湯野上温泉に近い小野観音堂脇が登山口。

20151002小野観音堂観音堂の由緒書きの立札を読むと、堂は文化10年(1813年)建てられたもの。
しかし、康歴3年(1381年)の鰐口(堂前に吊るし鳴らす仏具)が伝わるそうなので、信仰はもっと古いのかもしれない。
しばらく杉林の中を歩いていく。
20151002小野岳ミズナラ会津若松から見ると昼飯時にこの山の真上に太陽があることから、小野岳の別名は「昼飯山」。
その名のとおり、ご飯を盛ったようなこじんまりした姿ながら、登山道沿いのブナやミズナラの立派さは、なかなか。
20151002小野岳登山道小野岳も、この秋は豊作のようで、クリ、ミズナラのドングリ、ブナの実などが、登山道を埋めるように落ちている。
クリのイガの中に実があまり残っていないところをみると、熊君がしっかり食べていった後なんでしょう。
20151002小野岳ダケカンバ標高をあげると、立派なダケカンバも登場。
霧に包まれ、笹を揺らす風も激しくなる。
ひとり登山だとさびしい場所も、仲間と山談義をしながら登ると楽しいね。
20151002小野岳山頂小野岳山頂(1,383.4m)に到着。
「明治12年再建」と刻まれた石の祠がぽつり。

小野岳は、平安時代の三十六歌仙のひとり、猿丸太夫の父、朝日長者が住んでいた場所との伝承があるそうな。
猿丸太夫は、小野小町や、小野道風などと同じく小野氏との説もあるらしいから、小野岳の名もそれにちなんでいるのかな(?_?)>


20151002小野観音堂石碑下山にかかると、風もおさまり、日が差しはじめた。
観音堂まで戻り、お堂の前の石仏なんかを観察していると、文政十一年の年号を持つ「金毘羅山」の石碑と並ぶ、「東堂山」という石碑を発見。

金毘羅山は分かるけど、東堂山って聞いたことないなと、帰って調べてみると、福島県田村郡小野町にある山らしい。
小野町は小野小町生誕地との伝承がある町。
小野岳も、小野氏に関わる山とみていいんでしょう。
20151003大内宿から小野岳翌3日、那須三本槍岳に登った後、湯野上温泉に一泊。
ついでに、小野山北麓の大内宿に立ち寄ってみた。
大内宿は、学生時代、ぼっちが初めてみちのくに降り立った場所。
こけしのように可愛い男の子と女の子が、「写真撮ってけれ」なんて、人懐っこくついてきたっけ。
その思い出の背景に、小野岳はそびえていたんだなあ。。

 <登山記録>(―:車、…:徒歩)
2015年10月2日(金) 曇時々雨のち晴
 大坐小屋(前夜泊)3:30―(長野・北陸・磐越自動車道)―会津若松I.C.―(国道118号線)―小野観音堂(駐車)8:55 … 小野岳山頂11:50〜12:20 …小野観音堂13:20 ―(国道269号線経由で那須峠の茶屋へ)

<メモ>
・大内宿側からの登山口と、湯野上温泉小野観音堂側からの登山口がある。
 観光地が登山口なので公共交通機関利用がしやすく、標高が高めの大内宿側から登り小野観音堂側に下山するパターンが多いと、大内宿の方がおっしゃっておりマシタ。
・里の信仰の山だけに、登山道はしっかりしている。
・大内宿は、脇街道で、江戸の半ばからは半農半宿のな暮らしだったとか。
 1878年(明治11年)6月27日、英国の女性旅行家イザベラバードが泊っている。
 「私は大内村の農家に泊った。この家は蚕部屋と郵便局、運送所と大名の宿所を一緒にした屋敷であった。村は山にかこまれた美しい谷間の中にあった。」とあり、泊ったのは「美濃屋」、山は小野岳であろうと言われているそうデス。 
| ぼっち | 東北の山 | 21:34 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!









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