WALK あばうと 日本4,000山

「新日本山岳誌」掲載の約4000山が修行の地。 めざせ山仙人!
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「史跡」の山―宝満山(ホウマンサン:829m)

文化財保護法に基づいて指定される「史跡」。
2014年現在、その総数は1,724件。
城跡や寺社などとして山の一部が史跡指定されていることはあっても、山岳信仰の遺跡として山そのものが史跡となっているのは、富士山、鳥海山、そして宝満山の三山だけ。

富士山、鳥海山は分かるけど、日本300名山にも入っていない宝満山は、「それってどこ?」って方が多いかも(←実は、ぼっちもそう)。
でも、福岡市から近く、太宰府天満宮の鬼門を守る山でもあることから、九州では登山者の最も多い山なんだとか。
それでは、実際に行ってみましょうか。

20150315宝満山3月15日、JR博多駅5:11の始発で、二日市駅から西鉄に乗り継ぎ太宰府駅へ。
受験祈願で賑わう天満宮の門前町も早朝は静か。

駅から登山口の竈門(かまど)神社まで約2.5kmをてくてく進むと、丸い山容がせまってくる。
宝満山は、福岡平野に単独で横たわるその姿から、古くは竈門山とか、御笠山と呼ばれ、大和の三輪山などと同じように、神の宿る神奈備として古代から信仰を集めてきた。

20150315宝満山礎石たどり着いた、竈門神社の鳥居の脇、梅林を前にして礎石が並んでいる。
ここは、最澄が遣唐使として唐に渡る前、旅の安全を祈った竈門山寺の跡なんだとか。

20150315竈神社石段を上り、楠の大木に包まれた竈門神社にご挨拶。
しんとした神社のたたずまいは、太古そのままのように見えるけど、中世には山自体を「宝満大菩薩」とする神仏習合の信仰形態をとり、英彦山とならぶ修験道の一大根拠地だったそう。
20150315宝満山石段神社脇から始まる「正面登山道」は、アカガシやモチノキなどの風格ある樹林帯に入り込む。
その独特なところは、城の石垣のように立派に造作された花崗岩の石段がどこまでも続いていること。
段の高さが、通常の倍くらいあるので、普段から山修行として階段の2段とびを心がけているぼっちには、ちょうどいい感じ。

20150315水場平野の真ん中にもかかわらず、山中には水場や井戸が何箇所か。
山岳信仰の拠点として成立するには、水が確保できることが重要なポイント。
この点でも文句なしだね。
20150315宝満山百段ガンギ石段はさらに立派になって「百段ガンギ」と呼ばれる急坂に。
これだけの石を切りそろえ、積み上げるには、なみなみでない人力と時間がかかったはず。
20150315宝満山中宮跡登りきった石垣の上の小平地が「中宮跡」。
中宮には、かつて宝満山の本地仏十一面観音を本尊とした大講堂などが建ち並んでいた。
しかし、明治初年に吹き荒れた廃仏毀釈の嵐に堂塔はことごとく破壊され、わずかに残る石の祠の仏さまの顔も欠き取られている。
そんな傷あとも、歴史の証跡と言えるんじゃないかな。。


20150315馬蹄石さらに登り詰めると、山頂手前に巨岩が横たわっている。
「馬蹄石」と呼ばれ、岩の上に馬の足が他のようなくぼみを残す巨岩は、山の神、玉依姫の乗った馬が天に飛び立つ際残した脚跡との伝説が。
そんな由来を岩に刻んだのは、博多に住んだ江戸期の高僧、
20150315宝満山山頂巨岩に取りつけられた最後の急な石段を登り詰めると、上宮と呼ばれる宝満山山頂に。
巨岩そのものが磐座(いわくら)として山頂をなしているたたずまいは、霊山の名に恥じない。
そして、筑紫の国と海を見はるかす素晴らしい展望。
雲海に浮かぶのは、南東に英彦山、西に脊振山、九千部山など、いずれも修験道の拠点となった山。

20150315仏頂山宝満山頂の巨岩を鎖に頼りながら降り、再度登り直した頂きが三角点のある仏頂山(868.7m)。
宝満山と仏頂山の鞍部直下に、「キャンプセンター」の赤い屋根が。
この場所は、かつての修験の中心的な「座主」の地位にあった楞伽院の跡なんだとか。

九州北部には、英彦山、犬ヶ岳、脊振山、求菩提山、福智山など、信仰の山が集中している。
そこには、古代の神奈備山の信仰、中世の神仏習合の信仰、それらとやや断絶して、江戸期の山伏の活動が重層している。
また、福岡藩の初代藩主、昨年の大河ドラマの主人公、黒田長政(官兵衛)は、キリシタン大名でありながら、宝満山や英彦山に堂塔を寄進したり、求菩提山で花見をしたりもしている。
修験の地、吉野や醍醐で花見をした秀吉の影響を受けたのかな(?_?)>
なんて、山を巡る歴史には、汲めど尽きない謎や物語がありそう。
史跡の山の頂きからそれらの山々を眺めれば、行きたい山が増えるばかりなのが山馬鹿の証し。

<登山記録>
2015年3月15日(日) 単独行
博多駅5:11―JR二日市駅…西鉄二日市駅―太宰府駅6:11 …竈門神社6:50 …(正面登山道) …(百段ガンギ)…中宮8:05 …宝満山山頂8:20 …仏頂山山頂8:50 …宝満山
8:25 …(行者道)…竈門神社10:30 …太宰府駅(以下略)

<メモ>
平成25年、文化庁が発表した、史跡指定の理由は次の通り。
「宝満山(標高829m)は大宰府の北東に位置する山で,大宰府と密接な関係をもって成立した信仰の山である。山頂に竈門神社上宮,麓に下宮,8合目に堂舎はすでにないが,中宮跡が存在する。
延暦22年(803),最澄が渡海の平安を祈るため,大宰府竈門かまど山寺やまでらに薬師仏を造ったと史料にみえ,宝満山は古く竈門山と呼ばれていた。また,承和7年(840)竈門かまどの神かみに従五位上が授けられ,『延喜式』には名神大社として竈門神社がみえる。大山寺や有智山寺等の名称も使われ,円仁は承和14年(847)帰朝し,大山寺において竈門大神のために読経を行っている。中世には宝満山とも呼ばれ,宝満大菩薩という仏神となり,修験の山となった。
また,戦国時代には坊中が山中に移動し,近世を通じて信仰の山として発展した。花崗岩の巨岩で構成される山頂において,8世紀から11世紀まで祭祀が行われ,沖ノ島における祭祀との関連性が指摘されている。下宮地区などにおいて平安時代から鎌倉時代の礎石建物が検出され,本谷地区からは沙弥證覚が承平3年(933)に造立した宝塔と考えられる遺構が発見されている。祭祀跡や堂舎跡,窟,坊跡などの遺構は保存状態が良好で,我が国の山岳信仰のあり方を知るうえで,重要な遺跡である。」

| ぼっち | 日本4000山 | 06:30 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!









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