WALK あばうと 日本4,000山

「新日本山岳誌」掲載の約4000山が修行の地。 めざせ山仙人!
信州取りこぼしの山―美ヶ原 武石峰(1,973m)

「信州取りこぼしの山」探訪、今回は美ヶ原の北端に位置する一等三角点の山、武石峰(1,973m)であります。

 

美ヶ原は、松本市と上田市の間に横たわる、山上が高原状の火山で、最高峰の王ヶ頭(2,034m)、王ヶ鼻(2,008m)、茶臼山(2,006m)、牛伏山(1,990m)、鹿伏山(1,977m)、武石峰(1,973m)といったピークがあり、牧場が開けている。

かつては、松本や上田から、汗してつづら折りの道を登ると、不意に「世界の天井が抜けたかと思う」(尾崎喜八)ような高原風景が開け、「北アルプス」をはじめ、日本中央部の山岳風景をほしいままに眺められる、うら淋しいほど静かで、特別な場所だったという。

「日本百名山」や「信州百名山」になっているのも、その当時の原風景あってのことでしょう。

しかし、1957年に山頂まで林道が開通し、バス運行され、王ヶ頭にいくつもの通信塔が建てられ、さらに1981年に霧ケ峰とを結ぶビーナスラインも開通。

登山対象の山としてのこの山の生命はすでに失われていることを、深田久弥も、清水栄一も認めている。

 

ぼっちにとっての美ヶ原は、扉峠から茶臼山を経て王ヶ頭までたどり着いたら、観光客がいっぱいで、早々に退散した場所。

そんな美ヶ原の北端、武石峰は、訪れたことがなかったので、今回は、梅雨の最中でも行けそうな山として、「思い出の丘」駐車場から往復することに。

 

上田方面の武石の集落から旧街道に重なる県道62号線で武石峠まで標高を上げると、濃い霧の中。

連れ合いも誘ったけど、こんな霧の中だからと、徒歩5分の思い出の丘までしか、ついてきてくれなかった。

一人淋しく武石峰をめざす。といっても30分ほどですが。。

20190706武石峰5.jpg

笹原になった登山路は、ほとんど展望がなく、霧の中にレンゲツツジがひっそり咲いている。

20190706武石峰1.jpg

霧の中をゆるやかに下り、しばらく登り返すと、武石峰らしき頂きが近づく。

松本からだという単独行の男性とすれ違ったきり。あとは人影もない。

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一等三角点と、石積みの中に大日如来の石像がある武石峰山頂に到着。

近くの王ヶ頭でさえ見えない。

いっそ見えないからこそ、必殺心眼で、美ヶ原がうら淋しいほど静かな高原であった当時をしのんでみよう。

20190706武石峰3.jpg

露をおいた草原には、ウスユキソウや、ハクサンフウロがつつましやかに咲いている。

梅雨時、山に行けず禁断症状のぼっちには、何よりの特効薬のひと時。

20190706武石峰2.jpg

山から下り、松本市浅間温泉の共同浴場「仙気の湯」へ。

熱めの、疝気(下腹部の痛み、腰痛)に効くというお湯でさっぱりし、夏山に向け英気を養ったのでありました。

20190706仙気の湯.jpg

 

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かわいくも展望絶佳 ― 一夜山(1,562m)

2012年8月に鉢盛山で「信州百名山」を完登して以来、夏の飛騨山脈や冬の浅間山や八ヶ岳周辺以外の山への足が遠のいている。

長野県には、それ以外にも魅力的な山が潜んでいるはず。

ということで、「信州取りこぼしの山」というカテゴリーを立ててぼちぼち登っていこうと思う次第。

 

まずは、前から気になっていた一夜山(1,562m)へ。

一夜山は、戸隠山(1,904m)から西岳(2,053m)へと続く峩々たる峰々の南にポコンと頭を突き出す標高1,562mのかわいい山。

鬼無里村誌によると、その昔天武天皇のころ、風光明媚かつ岩山に囲まれた要塞堅固のこの地へ遷都しようとしたところ、ここに住む鬼共が自分たちの住み家を荒されては困ると、一夜にして山を築きあげて妨害した山といい、別名は「ひとよやま」または「夜出山(よんでさん)」という。

20190505一夜山0.jpg

鬼無里の財又という集落に「一夜山→」という標識が出ていて、いつか登ろうと思っていた。

ところが、いざ、その気になって出かけたら、災害発生のため通行止め (T0T)ヤラレタ

戸隠側に少し戻り、品沢高原からめざすこととする。

20190505一夜山1.jpg

品沢高原から林道を進み、西越開拓地という耕作地跡に駐車場と登山口の標識があり、ここからクマ鈴をつけて登りだす。

山頂まで1時間程度らしいけど、一夜山登山口と、一夜山登山道とどちらに行っていいのか分からない。

先行する、地元らしい男性が一夜山登山道側に入られたので、そちらに行ってみる。

20190505一夜山2.jpg

男性を追い越して進むが、どうやらこの道は、山頂周辺を巻いて南登山口に出る林道だったみたい。。

といっても、山頂への稜線まで標高差200mあまりだし、ヤブもないようなので、引き返さず、適当な尾根に取り付いてみる。

20190505一夜山3.jpg

岐阜県の道なきヤブ山で修行する身には、この程度は朝飯前でなくてはならない。

20190505一夜山4.jpg

稜線に出ると、素晴らしく立派な登山道だった。

20190505一夜山5.jpg

そのままスイスイ進めるかと思いきや、いきなり2mほどの雪の壁が登場。

右側の枝に取り付いて壁の上に出る。

20190505一夜山6.jpg

歩き出してから約1時間で、石の祠がある一夜山山頂に到着。

祠は、鬼無里の村々の方を向いている。

20190505一夜山7.jpg

それにしても、「この展望の良さは、いったい何なんだ」といいたくなるくらい。

飛騨山脈がはるか常念岳のあたりから、鹿島槍・五龍・白馬三山まで切れ目なく展開。

(↓地図クリックで拡大)

西から北の雪深い山々の展望も捨てがたい。

信州百名山の中で数少ない登山道のない山、東山、堂津岳を懐かしく眺める。

長野県の山岳は、後立山連峰などをのぞき、ほとんどが中央高地式気候で、冬場も比較的雪が少ない。

それに対し、日本海の冬の季節風の影響を受けるこのあたりの山は、雪深く、ヤブ深く、残雪期しか登れない。

その面では、両白山地の道なき山々と共通するところも多いんだな。。

20190505一夜山9.jpg

振り返ると、「信州のチベット」とも称される西岳がすさまじい岩肌をむき出しにしている。

信州百名山でも最も登りがいのある山のひとつ。

20190505一夜山10.jpg

帰路は、本来の登山道で下山。結局先行した男性とは会わずじまいの静かな山だった。

林道沿いには、ニリンソウ、キクザキイチゲ、コバイケイソウなどが咲き、コゴミなども芽を吹いていた。

大坐小屋から40分ほどで、こんな深山の香りする場所があるとは、うれしい発見。

 

一夜山は、その歴史といい、展望といい、自然といい、岐阜県にあったら「勝手に『岐阜百名山』」当確の山でありましょう。

やはり、信州は奥深い。「信州取りこぼしの山」めぐり、これからも楽しみであります。

20190505一夜山11.jpg

<登山記録> (―:車、…:徒歩)  (↓地図クリックで拡大)

2019年5月5日 快晴 単独行

大坐小屋5:25―財又(通行止めで引き返す)6:10―西越開拓地(駐車)7:20…一夜山山頂8:20〜8:35…西越開拓地9:25―大坐小屋

 

| ぼっち | 信州取りこぼしの山 | 06:57 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
飯縄山から霊仙寺山へ

乙妻山に登り、長野県には信州百名山以外にもまだまだ佳き山のあることを再認識した山馬鹿ぼっち。

信州未踏の山シリーズ第2弾として、霊仙寺山(れいせんじやま)に登ってきました  (ロ。ロ)/

 

霊仙寺山は、飯縄山(1,917m)の支峰のひとつで、標高は1,875m、飯縄山山頂から北に登山道が伸びている。

かつては、飯縄山や戸隠山と並ぶ山岳修験の山で、山名は麓に霊仙寺という修験の寺があったことによる。

今回は、南登山道で飯縄山に登り、霊仙寺山を経て、信濃町霊仙寺集落に下山するルートを選択。(↓地図クリックで拡大)

飯縄山南登山口は、夏木立の中。

一度皆伐されているのか、カラマツの植林や、比較的若いミズナラなどが中心。

20180715飯縄山南登山口.jpg

尾根沿いのルートには、高妻山・乙妻山と同様「十三仏」の石仏がみられる。

文化13年(1816年)に造られたものを、昭和46年に再整備したものだそうで、一不動・二釈迦・三文珠・四普賢・五地蔵・六弥勒・七薬師・八観音・九勢至・(飯縄山の場合ここに馬頭観音が入る)・十阿弥陀と数えていき、十一阿悶如来のある駒つなぎ場と呼ばれる小平地に至る。

ここから尾根が急になるため、山腹をジグザグに巻いていくと、十二大日・十三虚空蔵に出会う。

ただし、虚空蔵菩薩の石仏が山頂にあるわけでなく、さらに登りは続く。

20180715六弥勒.jpg

樹林帯が切れ、お花畑になった斜面を登り、避難小屋を兼ねた飯縄神社のお堂のある1,909mピークに出る。

ヤナギランの赤紫の花越しに、飯縄山本峰のピークが見える。

20180716飯縄山南から.jpg

夏の盛りは、花の盛り。

ユリ、ギボウシ、シモツケソウ、トリアシショウマ、ハクサンフウロなどが目を楽しませてくれ、思わず脚が止まりがち。

20180716飯縄山の花.jpg

お花畑あたりは、遮る樹木もない斜面で、飛騨山脈北部の稜線展望もすばらしく、またまた足が止まってしまう。

手前右の戸隠連峰西岳越しに、白馬三山、唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳、爺ヶ岳など。

20180716西岳白馬連峰.jpg

その延長に、槍ヶ岳もしっかり確認。

近日伺いますので、待っていてください。

20180716槍ヶ岳.jpg

飯縄山山頂から北に登山道が続き、少し下ったところで、左手の瑪瑙山経由で戸隠中社に向かうルートと、直進の霊仙寺に向かうルートに分かれる。

行く手の霊仙寺山ピークの右側に、北信五岳のひとつ、斑尾山が顔をのぞかせている。

20160716霊仙寺山.jpg

いったん大下りすると、そこは鬱蒼としたコメツガやダケカンバの樹林帯。

飯縄山南面にくらべると、人の手があまり入っていないのか、深い森のたたずまい。

早朝からにぎわう飯縄山登山道と違い、人の気配もなく、山修行の気分。

20180716コメツガ.jpg

飯縄山山頂から1時間弱で、霊仙寺山山頂に到着。

標高は若干低いけど、やはりお花畑が展開し、東から北にかけての展望がある。

山頂には、神の名(大日霊貴命・大己貴命・事代主命)を刻んだ石碑が立ち、「飯縄山道」という古い道標も残されていた。

20180716霊仙寺山頂.jpg

飯縄山方向を振り返ると、針葉樹の巨木が多いことが、遠目にもよく分かる。

霊仙寺山まで来たからからこそ見ることができる、南面とは異なる表情。

20180716飯縄山北側.jpg

霊仙寺山山頂から、少し飯縄山側に引き返した地点に、霊仙寺集落への下山道が分かれる。

上部は灌木、途中からはブナ、そしてミズナラやアカマツの樹林帯に入る。

中腹以下は、こちらも皆伐があったようで、それほど太い樹は見当たらない。

20181716霊仙寺への下山道.jpg

ササに覆われた長い山裾の道をたどると、大岩がゴロゴロした場所に出る。

五社権現奥の院跡で、ご神木だった桜の樹や護摩をたいたという巨岩などが残されている。

明治4年に神仏分離で寺部分が廃され、その後明治43年に神社部分も高山神社に合祀され、石段や礎石、手水鉢などわずかの石造物だけが往時をしのばせる。

20180716霊仙寺手水蜂.jpg

登山口となる霊仙寺の跡では、ちょうど霊仙寺集落の人たちが、祈りをささげてから、草刈り作業をされていた。

よく手入れされた、田畑を過ぎ、いつも通る飯綱山麓の県道に出たのでありました。

20180716霊仙寺入口.jpg

<登山記録> (…:徒歩) 

2018年7月16日(月) 晴時々曇 単独行

大坐小屋4:45…飯縄山南登山口5:05…駒つなぎ場5:55…飯縄山山頂6:55〜7:10…霊仙寺山山頂8:00〜8:10…霊仙寺跡9:55…霊仙寺集落入口10:20

<メモ>

・霊仙寺、霊山寺という寺は、全国に分布し、その多くは天台宗か真言宗で山岳修験に関わる。

・福島県霊山の霊山寺、滋賀県霊仙の霊山寺、福岡県英彦山の霊仙寺(霊泉寺に改称)、佐賀県脊振山の霊仙寺など、今まで登った山岳信仰にまつわる山にも同名の寺があった。

・戦国時代に英彦山を拠点として彦山流の修験道儀軌をまとめた大先達即伝は、大永4年(1524年)に戸隠を訪れ、その儀軌を伝えたというから、寺の名は、修験道ネットワークの証しなのかもしれない。

・それらの寺の歴史を概観すると、明治初年の神仏分離〜廃仏毀釈の動きの中で、今回訪れた霊仙寺と同様廃寺になったり、場所を移された寺も多い。

| ぼっち | 信州取りこぼしの山 | 21:14 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
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