WALK あばうと 日本4,000山

「新日本山岳誌」掲載の約4000山が修行の地。 めざせ山仙人!
お山の勉強室:「日本百名山」と「地域版百名山」

山に行けない梅雨時は、調べものをするにはいい時。

今回の「お山の勉強室」は、深田久弥著「日本百名山」と、その影響を受けて派生した「地域版百名山」について一緒に勉強していきましょう (ロ。ロ)/

 

〇深田久弥著「日本百名山」の成立まで

 「日本百名山」は、小説家・随筆家の深田久弥(1903年−1971年)が1964年(昭和39年)に出版した山岳随筆。

 同書が成立するまでには、次のような経緯があった。

 ・戦前1940年(昭和15年)3月から12月まで、朋文社の山岳雑誌「山小屋」に、日本百名山の初期構想となる連載を開始。

  初回に「日本百名山を選ぶのは、多年の僕の念願であった」と記している。

  また、この取り組みには、江戸期文化9年(1812年)画家谷文晁が出版した「日本名山図会」が念頭にあったとも言われる。

  毎月2座、計20座まで連載され中断。20座には、のちの「日本百名山」に入らなかった山もある。

 ※1953年(同28年)、中日新聞社の山岳雑誌「岳人」3月号で、「岳人選定による日本百名山」がまとめられる。

  登山家たち53名へのアンケートに基づくもので、1年ほどの選考を経たもの。うち78座がのちの深田「日本百名山」と一致。

 ・1959年(同34年)3月から1963年(同39年)4月号まで、朋文堂の山岳雑誌「山と高原」に、日本百名山を連載。

  その後1年あまりの推敲を経て、1964年(同39年)新潮社から「日本百名山」の単行本を出版。  

 ※この後、深田は、若干の差し替えを考えていたが、しないまま、1971年(同46年)茅が岳で死去。

 →「岳人選定による日本百名山」が現代まで残らず、深田久弥「日本百名山」が残ったのは、

   ➀単行本山岳随筆集という企画の良さ ∧絃呂量ノ蓮,箸箸發法↓残る22座について、平均的な名山を選んだ「岳人」版に対し、

   利尻岳、トムラウシ、幌尻岳、雨飾山、宮之浦岳など、より個性的な山を発掘し、選んでいるからだと思う。

   

〇「日本百名山」ブームとは

 ・「日本百名山」は、1964年単行本出版当時も評判がよく、版を重ね、第16回読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞している。

  しかし、当時はアルピニズムを基調とした第1次登山ブームの中にあり、登山界を巻き込んだブームとなったわけではない。

 ・初版出版から25年後の1990年あたりから、第1次登山ブームを経験した世代を中心とする「中高年登山」がブームの兆しをみせる。 

  そこに、1994年(平成6年)から翌年にかけ、NHKが衛星第二TVで「日本百名山」を放映、大きな反響があった。

 ・さらに、1995年(同7年)NHK教育で「中高年のための登山学」が放送され、

  1997年(同9年)「中高年のための登山入門〜日本百名山をめざす」が放送されると、「日本百名山ブーム」は拡大・社会現象とさえなった。

    

〇「地方版百名山」の制定・改訂状況 

 「日本百名山」出版以降、何度かの波をむかえながら、「県別百名山」「☆地方版百名山」およびその改訂版が出版されていった。

 ・1970年代

   1970年 「信州百山」(信濃毎日新聞社刊 2011年に同社から長野県山岳協会監修で「信州ふるさと120山」刊

   1973年 「越中の百山」(県教職員山岳研究会, 県高等学校体育連盟山岳部 編  北日本新聞社刊 1981年改訂新版刊 現在廃版)

   1975年 「ぎふ百山」(岐阜県山岳連盟編 岐阜日日新聞社刊 現在廃版)

   →いずれも地元の新聞社に掲載され、新聞社から出版されていること、「百名山」でなく「百山」としていることが共通。

    新聞読者になじみの深い山を選んでいるためか、「信州百山」「越中の百山」には、のちの日本三百名山で入っていないものもある。

    「越中の百山」が132山、「ぎふ百山」が124山など、100という数に必ずしもこだわっていないのも類似。

    ちなみに「ぎふ百山」の場合、未踏の山が多かっため、発刊まで調査登山に10年近くかかっている。

 ・1978年日本山岳会「日本三百名山」選定以降1980年代

   1979年 「信州百名山」(清水栄一著「わが遍歴の信州百名山」桐原書店刊 1990年に3山差し替えた決定版刊

   1980年 「大分百山」(日本山岳会東九州支部創立20周年記念誌 支部30周年の1991年、40周年の2002年に改訂

   同  年 「宮崎百山」(同上:当時東九州支部20周年記念誌 1985年に宮崎支部が独立、2000年宮崎日日新聞社より同支部編集刊

   1989年 「越後百山」(日本山岳会越後支部 新潟日報社 2008年同社から佐藤れい子著の改訂版刊

   →清水栄一は、深田久弥の信奉者で、同書が初めて都道府県版に「百名山」のタイトルを付けた。

           当時「名山」という言葉のハードルは相当高かったはずで、日本百名山を29座も擁する長野県ゆえ成立しえたのでしょう。

    日本三百名山をすべて含み、きっちり100山で、「地域版百名山」の祖型といえる。

    

 ・1990年〜1993年(中高年登山ブーム発生後・日本百名山ブーム前) 

  ☆1990年 「東北百名山」(東北写真家集団編 山と渓谷社刊 2000年10山入れ替えた新版、2010年地図帳刊 現在廃版)

   1991年 「静岡の百山」(静岡県百山研究会 朋文出版社刊 現在廃版)

  ☆1992年 「九州百名山」(山と渓谷社刊 2002年新版(廃版)2011年「九州百名山地図帳」でそれぞれ山を差し替え

  ☆1993年 「北海道百名山」(山と渓谷社刊 2003年同社より8山差し替えた「新版 北海道百名山」刊 現在廃版)

   1993年 「ぐんま百名山」(群馬県:2007年上毛新聞社から横田昭二著「ぐんま百名山 まるごとガイド」刊

  ☆1993年 「関東百名山」(山と渓谷社刊 2019年大幅な差し替えをして刊

   →「東北百名山」は、東北写真家集団が1987年に先行する白黒の写真集を刊行、

    同集団に山と渓谷社が「百名山」のフォトガイドとしての刊行を勧めたもので、同社が展開する「地方版百名山」の祖型となった。

    1993年に「続ぎふ百山」(岐阜県山岳連盟編 岐阜新聞社刊)も出たが、これは「ぎふ百山」の改訂版ではなく別の130山を掲載した続編。

 ・「日本百名山」ブーム以降(1994年「日本百名山」テレビ放映以降)

   1995年 「ひろしま百山」(広島県山岳連盟 1998年中国新聞社で「ひろしま百山ガイドブック」刊 現在廃版)

        「山口県百名山」(中島篤巳著 葦書房刊 現在廃版)   

   1997年 「山梨百名山」(山梨県 山梨日日新聞社刊 2010年同社「山梨百名山 新版」刊) 

   1998年 ☆「関西百名山」(山と渓谷社大阪支局 2010年「関西百名山地図帳」刊 現在廃版) 

        「うつくしま百名山」(福島テレビの記念事業で選定委員長は田部井淳子 1999年奥田博著で同名本が同社より刊 現在廃版)

       「ふるさと兵庫50山」(兵庫県山岳連盟創立50周年記念 神戸新聞刊 2008年60周年に「ふるさと兵庫100山」に 2013年改訂版刊)

        「広島県百名山」(中島篤巳著 葦書房刊 現在廃版)

   1999年 「あおもり110山」(東奥日報社員村上義千代が同紙に連載後同社刊 現在廃版)

        「近江百山」(近江百山之会編 ナカニシヤ出版刊)

   2000年  ☆「甲信越百名山」(山と渓谷社 現在廃版)

        ☆「中国百名山」(山と渓谷社大阪支局刊 現在廃版)

        ☆「四国百名山」(同上) 現在廃版)

        ☆ 「東海の百山」(読売新聞中部本社 山好きの編集局長伊佐早幸男中心に新聞連載されたものを出版 現在廃版)

        ☆「北海道の百名山」(北海道新聞社選定 同社の子会社道新スポーツ刊。山と渓谷社版と違い難峰も含む 現在廃版)

        「岡山県百名山」(中島篤巳著 葦書房刊 現在廃版)

   2002年 「大阪50山」(大阪府山岳連盟 ナカニシヤ出版刊)

   2003年 「なら百遊山」(奈良県健康推進課 出版なし 県のHPは現在掲載終了)

   2004年 「栃木百名山」(下野新聞社の記念事業で栃木県山岳連盟編 2013年同社より「栃木百名山ガイドブック」改訂第2版刊

   2008年 「飛騨百山」(飛騨山岳会創立百周年に自費出版 ナカニシヤ出版の働き掛けで2010年「飛騨の山―研究と案内」として刊)

   

   2010年 「新潟百名山」(新潟県山岳協会 新潟日報社刊 2017年新版刊

   2014年 「富山の百山」(富山県山岳連盟編 北日本新聞社刊「越中の百山」には入らなかった剱岳等を含む 2017年改訂版刊)      

   2017年 「やまがた百名山」(山形県環境エネルギー部みどり自然課編 みちのく書房刊)

   →こうやって並べると、山と渓谷社が中部を除く地方版日本百名山を網羅し、「百名山ブーム」をビジネスとして牽引していったのがよく分かる。

    ただし、同社は1996年に「分県登山ガイド」を発行以来改訂を重ね累計200万部と、こちらを主力にしているようで、

    「地方版百名山」は、九州と関東以外廃版状態。

    「百名山ブーム」の過熱やその弊害、ブームの去った後を見据えた堅実な戦略だなとおもう。

    また、葦書房(福岡県)が中島篤巳著で、山口・広島・岡山と立て続けに県別百名山を出しているのも目を引く。

    中島氏は、地元で有名な登山家らしいけど、百名山という言葉が乱発された象徴という観は否めないでしょう。

 

〇まとめ

 こうして、時系列に追うと、「日本百名山」が、山岳・放送・新聞・出版・登山用品業界などに長く広くインパクトを与えたか、分かっていただけると思う。

  また、「地域版百名山」の刊行は、従来「日本アルプス」や谷川連峰など、アルピニズムの対象となる特定の山にばかり向かっていた登山者の目を、地元の山にも向けさせ、登山道の整備が進むなどの効果ももたらした。

 この過熱気味だったブームも、中高年登山をけん引した「団塊の世代」が後期高齢者となる「2025年}を控え、今後急速に退潮する可能性がある。

 「百名山ブーム」は、ポイントラリーみたいな登山のあり方や、登山道のオーバーユースの問題など、批判も多い。

 しかし、いわゆる「近代登山」がいったん断ち切った、信仰登山や、谷文晁の「日本名山図会」などに代表される江戸期の文人たちの登山など、世界でも類を見ないほど長く深い日本人と山との関わりの歴史の伝統を、結果的に今に繋げた功績は大きい。

 ブランドにこだわらず、群れず、ITを駆使し個人で情報を集め、ゆとりをもって自然に親しむ若い世代に、その良い部分のエッセンスをどのようにつないでいくかが、先輩登山者としての課題でもありましょう。

 それにつけても、山馬鹿岐阜県民として言いたいのは、ただひとつ。

 「地域版百名山」で、1973年に地元新聞社から刊行以来、44年間も124山という中途半端な数のまま、見直しもせず放置しているのは岐阜県だけだということ。

 岐阜県といっても、飛騨地方は別個に立派な「飛騨百山」を選定・出版しているので、問題の中心はぼっちの住む美濃地方。

 だからこそ、非才をかえりみず、ブログ「ぼっちの『岐阜百名山』勝手に選定委員会」をやっている次第。

 

| ぼっち | お山の勉強室 | 09:55 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
飛騨の山岳探訪(12)―飛越国境の山  唐堀山

唐堀山は、飛騨地方中央部を縦断する高原川(国道41号線沿い)や宮川(国道360号線・JR高山本線沿い)より西側に限ると、岐阜県最北に位置する岐阜・富山県境の山。

この地域の人には、今でも「飛越国境」といった方が、しっくりくるのかもしれない。

標高は1,159mと、この一帯でも特に高くはなく、ぼっちのバイブル「改訂 新日本山岳誌」にも掲載がない。

それなのに、「富山の百山」「飛騨百山」(※末尾「余禄」参照)になっている。どんな山か、安峰山、流葉山登山の後に訪れてみることに。

 

この山があるのは、西側の富山県八尾市側の万波川と、東側の飛越国境にあたる宮川に挟まれた場所。

万波川側山麓に関西電力の万波発電所があり、その送電線が山頂脇を通り、宮川側へと伸びている。

送電線に沿って巡視路があるため、万波川側からも、宮川側からもヤブ漕ぎなしで登ることができる。

ただし、万波川側は林道に鍵付きのゲートがあり、国道360号線から簡単にアプローチできる宮川側から登られることが多い。

それでは、14時40分発と遅めだけど、いざ実登 (ロ。ロ)/オウ

登山口となるのは、国道360号線の加賀澤トンネル北側入口。

トンネル入口手前の駐車スペースには、平日なのに富山ナンバーの車ばかり7台も止められていて、びっくり。

富山県民には人気の山なんだ。。

ちょうど下山してきた方に伺うと、「タケノコ採りを兼ねて登山に来た」とのこと。そういうことね。。

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地図で見ると、唐堀山の巡視路に取り付くには、加賀澤トンネルより一つ南の飛越トンネル南側入口の方が近そうに見える。

しかし、加賀澤トンネルと飛越トンネルの間の宮川を渡る部分もトンネル状に覆われ一体となっているので、加賀澤トンネルから入り、宮川を渡り切った部分にある非常口から外に出るのが、送電線巡視路への最短路となる。

なお、非常口にはトンネル内部から鍵を掛けられるので、帰りに閉められていて困らないよう、扉の間に棒を差しこんであった。

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JR高山本線の鉄橋の下をくぐると、唐堀山の尾根に向かう巡視路が、斜面にジグザグに取り付けられている。

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しばらくは、スギの植林地。

下山者とすれ違うたび、こんな遅くに登ってくる変な登山者に、「テント泊ですか?」と声を掛けられる。

確かに変だろうなあ  (ロ。ロ;

20190506唐堀山3.jpg

尾根が近づくあたりからは、ブナの純林に。

皆さん下山されたようで、一人ぼっちの時間がやってくる。

20190605唐堀山5.jpg

尾根に出ると鉄塔があり、それから鉄塔4基分送電線の下を歩くことになる。

樹林に覆われているので、鉄塔基部の刈り払い部分以外、送電線はほとんど目に入らない。

20190605唐堀山4.jpg

全体的には、流葉山より若目のブナが多い中、流葉山以上のほれぼれするような巨木も、何本か残されていた。

20190605唐堀山6.jpg

鉄塔は、標高650mから900mあたりにかけて4基ある。

地図で見ると、その上で送電線は山頂を避け、尾根の南側へそれて通っているけど、巡視路は引き続き尾根沿いに山頂方面に向かっている。

急登になると、巡視路お約束のプラスチックの階段が登場。

20190605唐堀山7.jpg

登山開始から2時間あまり、16時50分に三等三角点のある山頂に到着。

ブナとスギとヤブに覆われた、展望なしの山頂でありました。

富山県民のみなさんは、この辺りで富山で「ススタケ」と呼ぶネマガリタケを採ったんでしょう。

山頂の200mほど先に、休憩に好適なヘリポートの空き地があるらしい。今回は、日没時間に追われ、立ち寄らずに下山開始。

20190605唐堀山8.jpg

結局、登山道中見晴らしの良かったのは、伐採された鉄塔のまわりだけ。

特に最上部の4番目の鉄塔の周辺は、送電線の下が大きく伐採され、東側の展望が得られる。

今回は曇って薄ぼんやりしていたけれど、飛騨山脈の薬師岳〜黒部五郎岳方面が見える。

ただし、標高がさほど高くなく、宮川の対岸に並ぶソンボ山(1,193m)、漆山岳(1,393m)の方が高いだけに、この一帯の山で、特段に見晴らしがいいというわけではない。

20190605唐堀山9.jpg

さくさく下山し、駐車場所には、何とか日没前の18時45分に到着。

(今回、愛車奥地君は、悪路で負傷して修理中なので、娘の赤いFITちゃんを拝借。)

 

唐堀山に実登しての考察。

チシマザサに覆われた山は、飛越国境周辺には数多いけど、この山がタケノコ採りに特に人気があるのはなぜか。

・登山口が山里に近い場合は、山菜採集が禁止されていることが多い。(漆山岳、六谷山など)

 それに対し、唐堀山は人里からは離れ、なおかつ送電線巡視路に接しているので、採集禁止になっていない。

 オゾウゾ山も送電線巡視路が使え、国境の似た印象の山だが、富山市から70卍離れている。

 この山は、約30辧⊆屬覆1時間弱で登山口に立て、往復4時間あまりと登りやすい。

・逆に言うと、山麓の里の人々との関わりが少ない山ともいえる。

・飛騨や富山の人たちにはタケノコ狩りに絶好の山。

 しかし、それ以外の時季や、山菜に興味のない遠方の登山者が登りに来る甲斐があるかというと、難しいところでしょう。

20190605唐堀山10.jpg

<登山記録> (−:車、…:徒歩)

20190年6月5日(水) 曇

流葉山登山口13:40―(国道41号線・360号線)―加賀澤トンネル北口(駐車)14:40…トンネル内非常口14:53…最初の鉄塔15:45…唐堀山山頂16:50〜17:00…トンネル北口18:45―(帰路)

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<余禄>

「富山の百山」は、2014年富山県山岳連盟が選定したもの。

  北日本新聞社からその最新版ガイドブックとして「改訂版 富山の百山」が2017年に出版されている。

  なお、これに先立ち、1973年に「越中の百山」が富山県教職員山岳研究会, 富山県高等学校体育連盟山岳部によってまとめられ、北日本新聞に連載された。 ただし、132山あって、難易度が高い山が多く、それでいて立山や剱岳が入っていないというものだった。このあたりは、「ぎふ百山」の成立と共通するところがある。

  このような経緯から、「越中の百山」を現代の登山志向に合わせ改定したのが、「富山の百山」とみることもできる。

「飛騨の百山」は、飛騨山岳会創立百周年を記念して選定され、自費出版で「ふるさとの山 飛騨百山」として刊行されたもの。

 その後、2010年ナカニシヤ出版から飛騨の百山の紹介を中心にした「飛騨の山―研究と案内」が出版され、現在も入手できる。

 

・ついでに調べてみたところ、地方版の百名山の類は、「日本百名山」ブームもあって、1990年以降に制定されているか、それ以前に選定された山を差し替えたりして改訂しており、「ぎふ百山」のように、1975年以来内容を見直しもせず放置されたものはひとつもない

 

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飛騨の山岳探訪(11)―スキーとブナの森と 流葉山

安峰山を後に、次は流葉山へ。

流葉山は、標高1,423m。飛騨山地のうち、JR高山本線の通る宮川と国道41号線の通る高原川の間に挟まれた山域では最も高い。

飛騨地方では最も大きい飛騨流葉スキー場(※)のある山として知られる。

(※)2万5千分の1地形図では今もこの名称だが、経営が変わり、「スターシュプール緑風リゾート飛騨流葉」という、おそらく日本で最も長い名前のスキー場となった。 

 

山頂に立つには、冬はゲレンデの最上部から徒歩で数十分。

無雪期は、山麓から「飛騨流葉・数河高原 カントリーウォーク」のコースのひとつ「雲の上 水源の森コース」をたどる。

同コースを周回すると、19km、6〜7時間。今回は数河高原側から西側半分を往復することに。

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国道41号線沿いの、上数河の除雪ステーション脇の道から、林道に出る。

ある程度は歩きたいから、林道入口あたりに車を止め、熊鈴をつけて登山開始。

20190605流葉山1.jpg

スギ林の中の林道は、しばらくで左手に洞数河林道をたどる「数河ブナ林コース=15辧廚鯤ける。

「雲の上 水源の森コース」は、右手の屋敷ヶ洞林道をたどる。

しばらくで、かつてはスキー場だった広々とした飛騨山脈を展望できる牧草地に出る。

さらに進むと、小さな水力発電所があり、その先は伐採地となる。

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このまま伐採地が続くのかなあ、と残念に思っていると、谷沿いにトチの大木などもみられてひと安心。

20190605流葉山3.jpg

林道脇に小屋や標識がある場所で林道を離れ、カントリーウォークのための独立した尾根道に入る。
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尾根道は、豪雪地帯らしい見事なブナ純林で、白神山地を思い出すほど。

ブナ純林といえば、樹下を背丈ほどのチシマザサがびっしり覆っていることが多いけれど、しっかり刈り払われ、快適。

飛騨高地は、里に近い山は植林に置き換わっていて、ブナの森を訪ねようとすれば残雪期狙いの道なき奥山ということが多い。

国道41号線から直接登りだせ、気軽にブナ純林が楽しめるのは、ありがたいこと。

道端に、タケノコが生えているので、歩きながら採っていたら、すぐ50本ほどになった。

20190605流葉山5.jpg

分岐から1時間ほどでゲレンデに出る。

今度は、一面にワラビが顔を出していて、ほんの3分ほどで50本ほど収穫。

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ゲレンデの西側には、岐阜・富山県境の、白木峰や金剛堂山などのおおらかな姿が重なり、その先には白山が。

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最高所のリフト終点からは、ふたたびブナとチシマザサの道。

20190605流葉山8.jpg

山頂は、東側が刈り払われ、飛騨山脈の大展望が得られる(はず)。

あいにく、薄ぼんやり曇っておりました。

20190605流葉山9.jpg

三角点があるのは、少し先で、チシマザサに展望はきかず、関西電力の通信中継施設の建屋なんかもある。

二等三角点「流葉」の標石は草に埋もれかけていた。

山頂を辞して、戻る途中で振り返る。

スキー場を離れると、深い森の残された山なんだなあと、改めておもう。

20190605流葉山12.jpg

結局、飛騨山脈の展望がもっともよかったのは、林道に出てからのゲレンデ跡地。

残雪の薬師岳、北ノ俣岳、黒部五郎岳が連なって見える。

また、冬のきりっと晴れあがった日に、スキーで訪れてみたいと思った次第。

20190605流葉山13.jpg

<登山記録> (―:車、…:徒歩) (↓地図クリックで拡大)

2019年6月5日(水) 単独行

案峰山登山口8:55―(国道41号除雪ステーション入る)―林道入口(駐車)9:35…林道と登山道の分岐10:35…ゲレンデ最上部11:40…流葉山山頂11:50〜12:00…分岐12:50…林道入口13:40―(唐堀山登山口へ)

 

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<メモ>

・地誌「斐太後風土記」(1873年 明治6年)の伏方村(飛騨市神岡町伏方)の項には、「那賀禮波乃嶽(ナガレハノタケ)は、村の後にある高峰で、山上の東西には広原がある。暁には、旭日の光で山が輝くのでそこを朝日ヶ原という。」とある。

・山名の由来は伝わっていないけれど、御嶽山の高山市側に流葉谷がある。葉が流れるのは谷なので、かつてこの山にも同名の谷があり、山の名となったのかもしれない。

 

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飛騨の山岳探訪(10)―飛騨古川の展望台安峰山

飛騨の山岳探訪には、早出をしないと日帰りはできない。

どうしても単独行が多くなり、ぼっちのぼっち登山が連続しておりますが、どうぞお付き合いを 。

6月5日(水)は、梅雨入り前にと、休暇を取って飛騨地方北部の安峰山・流葉山・唐堀山に集中登山。

 

最初の安峰山(あんぼうざん)は、飛騨市古川町の背後にそびえる。

古川町のシンボルともいえる存在であります。

20190605安峰山.jpg

古川町と言えば、映画「君の名は。」の舞台とされる飛騨古川駅などがあり、その「聖地」巡りの人も多いんだとか。

安峰山は、その駅から歩いて登りだすこともできる。

山麓には、気多若宮神社があり、ここも映画の「宮水神社」のモデルになったとして、聖地扱いをされている。

日本三大裸祭「起こし太鼓」で知られる古川祭は、この神社の祭礼。

20190605安峰山1.jpg

神社脇の道を進み、獣避けのゲートを通過すると、スギ木立の中の林道となり、終点近くが登山口。

安峰山は1,058mで、千葉県の最高峰より2.5倍くらい高いけど、登山口が760mほどなので、標高差は300mくらい。

20190605安峰山2.jpg

さすが、古川町のシンボルの山だけに、登山道はよく整備されていて、気持ちがいい。

スギ木立の中をジグザグに登ると尾根道らしくなり、アカマツやミズナラなど木立の中に、いきなり五合目の標柱がある。

標柱には、「安望山」とある。

また、地誌「斐太後風土記」には、「飛騨国司が広瀬(国府町)の国府より愛宝山の上に三度にわたって紫雲を見た」とあり、これが安峰山となったとも言われている。(※)

(※)斐太後風土記は、高山代官所地役人頭取で、慶応4年高山県判事となり、国学者でもあった富田礼彦が1873年(明治6年)まとめたもの。

  愛宝山は、安房山(2,219m)や位山(1,529m)との説もあるそう。ただし、国府から安房山や位山は見えやすい山ではない。

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尾根道には、アカマツなどの落葉が積もり、歩きやすい。

40分ほどで、二十五菩薩跡という石壇のある場所に出る。

二十五菩薩を祀る前には以前観音堂があって、それがどのように移動してとか、今はなき堂の来歴が石柱に記されている。

いつもながら、飛騨びとの「記憶しようとする努力」には頭が下がる。

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山頂が近づくと、急斜面になって、それまでのハイキング気分から、ちょっぴり登山らしくなる。

ただしそれも10分足らず。

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山頂の展望台からは、宮川の流れる古川の町が見下ろせ、その向こうに猪臥山、さらにその向こうに白山が望める(曇だったので白山は案内板の写真で確認)。

展望台は、古川町にかかる朝霧の展望スポットとしても知られ、発生するのは10月〜12月頃が多いそう。

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そんな人気スポットだからと、山頂まで林道がのび、山頂は展望がきくように公園状態にされ、モミジやサクラが植樹されている。

登山の対象としてはさることながら、ピクニックにならこんなのもいいんでしょう。

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古川町を見下ろす展望台と反対方向には、北展望台があって、飛騨山脈の山々から御嶽山まで展望できると展望図にある。

今回は、湿った大気のせいで見えずに残念。

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「『岐阜百名山』勝手に選定委員」としての、ぼっちの感想。

安峰山は、飛騨市古川町にとってはふるさとの風景を構成する大事な山。

山際には小島城という城跡があり、気多若宮神社があるほか、円空仏の大作が伝わる山岳修験の寺清峯寺も、かつてはこの山の中腹にあったとの由緒もある。

展望台のおかげで、古川市街が見下ろせ白山や飛騨山脈、御嶽山も眺められる。

また、秋などには古川市街を覆う雲海の展望台としても、近年知られるようになっている。

登山道もよく整備され、地元では大変大事にされているのがわかる。

この山が飛騨以外の場所にあれば、地域版百名山の資格は十分あるはず。

ただし、山国飛騨は、登りがいのある名峰・高峰がひしめく日本有数の激戦区。

山頂まで林道が通じ、標高が飛騨としては低めなので、登り甲斐という面では、他の飛騨の山に一歩譲る。

とはいってもハイキングの山としては絶好。聖地を俯瞰するために登るのも一興では。

 

<登山記録>  (―:車、…:徒歩)  (↓地図クリックで拡大)

2019年6月5日(水) 曇 単独行

自宅4:00―気多若宮神社6:35―(林道ゲート)―下気多登山口7:05(駐車)…二十五菩薩跡7:50…安峰山山頂8:00〜8:15…登山口8:45―(流葉山登山口へ)

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「第73回ウエストン祭」参加してきました

「日本アルプス・上高地を広く世界に紹介し、登山の楽しみを伝えた日本近代登山の父とも言われるイギリス人宣教師ウォルター・ウェストン(1861−1940)。氏の功績を称え偲ぶ行事が毎年6月第1土曜日・日曜日に行われます。
土曜日は、かつてウェストンも歩いた島々谷から徳本峠を越え、上高地までの記念山行。日曜日の式典では、ウェストンレリーフ前にて献花や詩の朗読、合唱、記念講演などが開催されます。」(JAPAN ALPS KAMIKOCHI Official websiteより)

 

ウエストン祭の経緯は以下の通り、今年で73回目となる、歴史ある行事であります。

 昭和12年 (1937) 額面型の浮彫胸像(レリーフ)が取り付けられる
 昭和17年 (1942) 太平洋戦争にともないレリーフ撤去
 昭和20年 (1945) 日本山岳会に保管されていたレリーフが空襲で一部焼損
 昭和22年 (1947) 修復されたレリーフを上高地に復旧設置
                    *この復旧式がウェストン祭の起源

この歴史ある催しに、山仙人をめざす岐阜県民は場違いではありますが、縁あって参加してきました (ロ。ロ)/

 

6月1日(土)は、ウエストンをしのんで、松本市島々を起点に、徳本峠越え。

スタートにあたって、主催者の日本山岳会信濃支部の挨拶や、地元島々地区のご接待などがある。

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今は、上高地に入るといえば、梓川沿いの沢渡経由で入るのが一般的。

しかし、かつて梓川沿いは、渓深く、雪崩や土砂崩れも多く、1924年(大正13年)に釜トンネルが開通する以前は、徳本峠越えをしなくてはならなかった。

ウエストンが上高地に入ったのも、この徳本峠越えの道。

往年の苦労をしのんで、上高地までは20辧▲魁璽好織ぅ猝10時間の長丁場に、いざ出発!

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二俣までは、林道歩き。

途中、天正13年(1585年)、飛騨に侵攻した金森長近に追討された姉小路秀綱(父頼綱降伏後も徹底抗戦しようとした)の奥方が、実家のある信濃側に逃げる途中、杣に襲われて命を落としたことをしのぶ、折口信夫の歌碑がある。

 ※落命したのは、二俣の少し峠寄りとされる。

つまり少なくとも戦国時代末期には、徳本峠を経由する、飛騨・信濃を結ぶ道があったということになる。

つい先日、金森長近ゆかりの茂住鉱山跡に行ったばかりだし、戦国史が身近に感じられるな。。

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二俣からは、山道となり、谷を分け入っていく。

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そのうちに、にぎやかな声がして、後ろから地元島々の小学校の子どもたちが登ってくる。

正確にいうと、中学校と一体になった「安曇小・中学校」の生徒の4,5,6年生が、恒例で峠越えに参加するんだとか。

ちなみに、中学校の学校登山は奥穂高岳2泊3日というから、山の子の脚力は半端じゃない。

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岩名留小屋に到着。

ぼっちが登山を始めて2年後の11月に徳本峠を往復した時、すばらしい黄葉に感動したカツラの巨木も、毛筆の落書きがある小屋も、変わらぬ姿をとどめていた。

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岩魚留小屋を過ぎると、谷は狭まり、巨木は少なくなって、あたりは淡い新緑に包まれる。

最初は大集団だった徳本峠越えの登山者も、標高を上げるにつれ、小集団に分かれ、歩きやすくなる。

あらかじめ、それに合わせ、トップ、中盤、しんがりにきちんと係員の方が配置されているので安心。

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登山道まわりには、エンレイソウ、サンカヨウ、ニリンソウなどの群落が続く。
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ちから水という最後の小さな水場を過ぎると、峠沢の急登が始まる。

標高約400mのササ原をジグザグに登り詰めると、おお! ウエストンも涙したという穂高岳の雄姿。

 

穂高岳をピークごとに分けて呼ぶようになったのは、1909年(明治42年) 鵜殿正雄らが穂高~槍の縦走を行って以降。

それまで、穂高嶽・保高嶽などと総称されており、御幣岳とも呼ばれていた。

たしかに、徳本峠から眺める場合、明神岳から前穂高岳までがジグザグに重なって、御幣のように見える。

それに対し、奥まった(のちの)奥穂高岳は、低く平板に見え、当時の人はあまり注意も払っていなかったのだろうなと、改めて山岳史を目でおさらいする。

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徳本峠小屋では、ウエストン祭にちなんで「上ストン汁」としゃれた豚汁をふるまってくださっていた。

営業小屋としての徳本峠小屋開業は、大正12年(1923年)というので、大正4年(1915年)に最終的に日本を離れたウエストンは、小屋を見ているわけではない。

それでも、日本でも有数の古いたたずまいを残す、思い出深い小屋であります。

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峠から、上高地明神までの途中は、例年にない残雪で、慎重に下る。

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明神側に降り立つと、ようやく長丁場の緊張からも解放され、会話もはずむ。

身長2m近いアメリカ人も参加されていた。

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それにしても見事だったのは、樹林の下いちめんに広がるニリンソウの大群落。

6月に訪れるのは初めて。やはり、季節を変えながら何度も訪れないと、上高地の魅力を味わい尽くすことはできないのでしょう。

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キャンプ地小梨平には、温泉じゃないけど立派な風呂があって、汗を流すことができた。

温泉前のキャンプ場売店も充実していて、ほぼここだけで食材が調達ができるくらい。

ぼっちが調達したのは、缶ビールだけでありますが。。

 

ちょうど花盛りを迎えた、コナシ(ズミ)をながめながら、風呂上がりの花見酒。

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河童橋までたどり着いたのは、17時近く。

観光バスの観光客も引けて、ゆっくり穂高の吊尾根をながめることかできた。

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今宵の宿は、日本山岳会の上高地山岳研究所。

各地域の山屋が懇親して雑魚寝でき、楽しかった。

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翌6月2日は、ウエストンのレリーフの前で式典が行われる。

早朝起きて、焼岳の山裾まで散歩。

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火山活動の影響を受けたにもかかわらず、上高地の中心部に比べると、焼岳山麓の樹林は立派。

その登山道のまわりも、ニリンソウが埋め尽くしていた。おっと、朝ごはんまでに帰らなくては。。

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10時から、「碑前祭」として、献花と挨拶のあと、地元安曇小学校の生徒の合掌と、リコーダー演奏。

その後、ホテルに会場を移して午餐会。カレーライスが恒例なんだとか。

これだけの行事を73年間欠かさず催されてきた、日本山岳会信濃支部はじめ、関係者のご尽力の賜物。

単なる山岳界の行事にとどまらず、「上高地」という山岳リゾートのブランドの維持向上にも貢献してきたんでしょう。

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山仙人をめざす非リゾート系山馬鹿岐阜県民ぼっちは、ウエストンと同様上高地も、敬して遠ざけ、飛騨山脈南部には新穂高温泉や安曇野側からばかり入山し、上高地はなんと2008年の2月以来。

各ホテルもずいぶんおしゃれになり、釜トンネルも新しくなっていて、今浦島の気分。

今回のご縁がなければ、ニリンソウに埋もれる上高地の6月も知らないままだったかもしれない。

ウエストン祭に感謝であります。

 

<余談>

ウエストン祭の時季だからでもあるのでしょう、6月3日の日本経済新聞文化欄に「異邦人たちの名峰ガイド」として、ウエストンの書き始めた上高地の彼の定宿の日記帳の話が紹介されていた。

その中で、「ウエストンは1988年に宣教師として日本に赴任した時から日本の山に関心を抱いていた。(中略)普段は横浜の教会で活動し、夏期になると軽井沢の別荘に移る。そこから上高地に来て登山を楽しんだ」との記述がある。

 

しかし、ウエストンは、来日までにヨーロッパアルプスの登山経験はあったものの、初来日の当初2年間(1888〜1889年)は、登山をしていない。日本の山に関心があって日本に来たわけでもない。

また、1892年、軽井沢から松本をへて槍ヶ岳に登攀したのは事実だけど、ウエストンの3回の日本滞在中の山行記録を見ると、特に2度目は赤石山脈を集中的に訪れており、上高地には行っていないはず。

いずれにしても、戦前からの国威発揚的なウエストンに対するキャッチフレーズ:日本アルプス・上高地を広く世界に紹介」したというのを守ろうとするからややこしくなるのであって、「登山を楽しみとして行うアルピニズムを広く日本に紹介」したといえば、だれも異論はないと思うのですが。。

 

詳しくは、「お山の勉強室(2)−ウエストンの虚像・実像」をご一読ください (ロ。ロ)/

 

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飛騨の山岳探訪(9)―岐阜県最北端キラズ山(1,188m)と六谷山(1,398m)

飛騨の山岳探訪、今回は富山県境の六谷山(1,398m)とキラズ山(1,188m)であります。

 

六谷山(ろくたんやま)は、一等三角点の山で、その名は6つの谷を持つことにちなむ。

三角点は富山県側で、茂住谷以外の5つ谷は同県側、しかも谷を「たん」と呼ぶのも富山方言なんだけど、登山口の茂住峠への入り口は岐阜県側にあって、東茂住から茂住林道で向かうことになる。

 

キラズ山は、岐阜県最北端の山で、その名は、かつて木を伐ると祟りがあると伐採が禁じられていたことに由来する。

今は、富山県側猪谷から林道が伸び、しっかり伐採・植林がされ、登山口もこの林道沿いにある。

 

この2山は、高山市街からでさえ登山口まで約60劼發かることもあって、岐阜県側ではあまり登られていない。

しかし、富山市街からだと40卍度、しかも平成の大合併で2山とも同市に編入され、「富山の百山」にも選ばれている。

「『岐阜百名山』勝手に選定委員」ぼっちとしては、岐阜県であまり知られていなくても、調査リストから外すわけにはいかない。

ということで、梅雨入り前に、いざ踏査  (ロ。ロ)/オウ

まずは、六谷山

国道41号線、飛騨市神岡町東茂住の郵便局のあたりから茂住林道に入る。

この林道は、かつて亜鉛鉱山の搬出路として使われ、さらに江戸時代に遡れば、越中街道の裏街道として使われていた歴史ある道。

おっと、民家のはずれで、(ゆるい)通行止めになっていた。

こんな時のためにと、MTBを積んできたけど、先行のわだちがあったので、進んでみる。

登山中より身の危険を感じるような悪路ながら、周囲には、トチ、ホウ、カツラなどみごたえのある巨木が多い。

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何とか茂住峠に到着。富山ナンバーの車が2台止まっていた。

どうやら登山者じゃなく、山菜採りが目的みたいで、だから通行止めがされていたのかもしれない。

峠には登山口の看板があるので、気分的には安心。

なお、峠から富山県長棟へ抜ける長棟林道はゲートが閉鎖されていた。

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登山口からすぐに、2体の石の地蔵様があり、一方には江戸期の銘文がある。

手前にある、「池田コロ」という碑はどういう意味だろう。

ぼっちの妄想の中では、マタギが愛する猟犬を埋葬した場所じゃないか、なんておもうのですが (?_?)>

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登山道は、中部電力の通信用反射板の巡視路になっていて、その標識や一定の刈り払いがある。

道沿いは、イワカガミの花盛り。

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それにしても、ブナ純林のまばゆい新緑に、目を奪われる。

あまり期待していなかった山なのに、想像をはるかに超える樹林の美しさ。

こんなことがあるから、山馬鹿はやめられないんだよな。。

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取付きの結構な急登に、巡視路お決まりのプラスチックの階段が付けられていて助かった。

途中の少したわんだところは、ササ原で、白山連峰や、山頂方向が眺められる。

約50分で、稜線上に出ると、風が強いせいかブナも灌木状態で見晴らしがいい。

御嶽山、乗鞍岳、笠ヶ岳が、それぞれ独立した風格で並んでいる。

飛騨では、槍・穂高じゃなくて、里や峠から眺められる笠ヶ岳が、乗鞍岳、御嶽山と並んで大事にされてきたのがよくわかる。

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稜線からみる六谷山山頂。

丸くて特筆するような山容ではないけれど、反射板が山頂直下にあるので、同定はできる。

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登山口から1時間半足らずで、六谷山山頂に到着。

登山時間はわずかでも、稀少な一等三角点の山だし、登山口に至るまでがはるばる遠いし、展望も植生も立派なので、登頂の満足感は大きい。

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三角点の周りの灌木をかき分けると、立山連峰の展望が得られる。

黒く鋭い剱岳を、こんなに近くにみられるのも、最北端の山だからこそ。

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笹の被った巡視路をたどり、山頂の少し先(西南)にある反射板まで足を延ばしてみる。

間近に3月に登った漆山岳、その背後には白山連峰が。

残念ながら、西隣のキラズ山の山容は見えなかった。

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結局、六谷山登山道で一番見晴らしが良かったのは、山頂手前の小ピーク。

北側以外灌木がなく、登って来た尾根の向こうに、立山連峰から御嶽山までの雄大なパノラマが広がる。

六谷山、「勝手に『岐阜百名山』」当確であります。

次は、キラズ山。県境を越え、猪谷の神峡橋を渡り、林道に入る。

奥地君が通行止めの道をナビして、必死にバックしたり、猿の一団に遭遇したり、これまた登山より緊張感あり。

途中から未舗装になり、車の腹をガリッとやりながらも、なんとかパンクせずに登山口手前に到着。ふう。

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ここも登山口には、きちんと登山口の看板がある。

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整然としたスギの植林は、林道から離れるにつれ、植えっぱなしで雪やシカに痛めつけられ、ヤブだらけになる。

踏み跡はしっかりあり、残置された赤テープがあるからいいけど、いったん外れたら、相当厳しいヤブ漕ぎとルートファインデングを強いられるはず。

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ルートは、尾根の腹をへつるように付けられ、植林地が途切れ、麓の猪谷が見下ろせる場所もあった。

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山頂直下100mあまりは、相当な急登で、ブナの純林が残されていた。

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登山口から1時間15分ほどで、キラズ山山頂に到着。

チシマザサがびっしり生い茂り、展望はきかない。

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富山平野のある北側を、かなりがんばってチシマザサを刈り払ってあったが、努力むなしく展望はほんの少し。

ただし、立派なブナの巨木を目のあたりにすることができた。

岐阜県側には登山道がないけれど、そちらはキラズ山と言われたような巨木が残されているのだろうか。。

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<登山記録> (―:車、…:徒歩)

2019年5月26日(日) 快晴暑い 単独行

自宅4:00―飛騨清見I.C.―(県道90号、国道41号線)―飛騨市神岡町東茂住7:15―(林道)―茂住峠(駐車)8:00…六谷山山頂9:20〜9:35…反射板9:45〜9:50…山頂10:00…茂住峠11:20―(林道・国道41号線)―富山県富山市東猪谷12:20―(林道)―登山口手前(駐車)13:15…キラズ山登山口13:20…キラズ山山頂14:30〜14:40…登山口15:30―(流葉温泉入湯後帰路)

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<メモ>

・六谷山の登山口茂住峠までの約8劼領啼擦蓮∋該擇了期など通行止めと(一応)される。

 舗装がない悪路のため、運転にはかなり緊張を強いられる。自己責任で。

 登山道自体は、中部電力の茂住反射板の巡視路になっているので、まずますの整備状態。

 ただし、ヤブが被ることもあるので、踏み跡をきちんとたどっていく。

・キラズ山は、神峡橋を渡り小糸という集落を経由する登山口まで約10劼領啼擦蓮¬な涸になってからが悪路。

 登山口の少し手前の林道分岐あたりが広く、駐車適地。そこから徒歩150m程で登山口。

 登山道はスギの植林を行く。踏み跡は明確で、赤テープも残置されていた。

 途中から植林は荒れ、道の周辺はヤブだらけとなるので踏み跡を外さずに進む。

 最後の標高100m分は急斜面の直登となる。このあたりだけブナ林がすばらしい。

・2017年富山県山岳連盟編「富山の百山 改訂版」では、本峰と北峰の稜線をつなぐ北方稜線が最近刈り払われたとあるが、その存在を事前に知らなかったこともあり、確認できなかった。

 

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簗谷山(1,214m)再訪

連休5月2日に、クマガイソウを訪ねて連れ合いと登った、下呂市・郡上市にまたがる簗谷山。

昨年は4月中に咲いたということだけど、今年は残念ながらまだつぼみだった。

今回、せっかく下呂市の仏ヶ尾山まで来たので、再訪してみることに。

 

今回は(迷わず)弓掛川から簗谷を5劼気のぼった登山口に直行。

新緑はずいぶん進んで、その分、あっけらかんと明るかった谷は、緑の陰影がかんじられる。

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比較しては申し訳ないけれど、里山の仏ヶ尾山に比べ、森の深さが違う。

簗谷山は、この地域では貴重な山なんだなと改めて実感。

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さあて、クマガイソウはどうだろう。

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おお! 満開。

しっかり開いた扇形を2枚合わせた葉から、いかにもラン科らしい華やかで大きな花が一斉に咲き誇っている。

山野草にも、こんな立派な大輪があるんだな。。

園芸種とは違う淡い色調が、森の緑と響きあい、音楽が聞こえてきそう。

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クマガイソウの名は、花姿を源平合戦の熊谷直実の母衣(ほろ:矢や石つぶてを避けるため兜の後ろに絹を付け風で膨らませる防具)になぞらえたものだという。

同じく熊谷直実に打たれた平敦盛の名を取り、より紅色が鮮やかなアツモリソウとともに、その豪華な花のために乱獲されて、絶滅が危惧されている。

簗谷山登山道でも、その姿見られるのは、南尾根ルートのこの一か所だけ。

写真を撮るためにロープの中に入って踏み荒らしたり、ましてや盗掘するなんてことのないよう、祈らずにはいられない。

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話は変わって、山麓の「飛騨金山の森」について。

このキャンプ場は、木曽川水系の馬瀬川に岩屋ダムが建設され、ダム湖に沈んだ旧弓掛村のうち、水没しなかった上流部分の集落跡(全員離村)につくられたもので、宿泊所として使われていた画像の建物は、昔の分教場だそう。

ダムができる前は、道路事情もずいぶん悪く、僻遠の集落だったんでしょう。

簗谷山の登山道は、「飛騨金山の森」整備に合わせ、新たに開かれたもの。

だからこそ、深山としてのたたずまいを今に残すことができたんでしょう。

「飛騨金山の森」は、2018年にいったん閉鎖され、規模縮小して「ゆがけの里」として、今年から営業再開されている。

時代の移ろいをさまざまに感じさせられる場所でありました。

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飛騨の山岳探訪(8)ー仏ヶ尾山(1,139m)

仏ヶ尾山(1,139m)は、下呂市萩原町の飛騨川右岸にあって、左岸の御前山(1,647m)と向かい合っている。

南にある八尾山(1,101m)とともに飛騨高地最南部の山で、中央高地式気候のため年間通じて降水量が少なく、標高も千mをこえる程度のため、初冬や早春も登ることができる。

また、「癒しの道南飛騨森林浴回廊」という取り組みで、登山道やHPが整備されており、JR高山本線上呂駅から直接登りだすことができるのも良いところ。

この山に、小屋仲間Yaさんと、「ぼっちの『岐阜百名山』勝手に調査」登山。

個人的には、里に近いのに里から山頂が見えず、「隠れ山」の異名を持つ御前山の山容を拝めそうなのも、楽しみであります。

 

登山口は萩原町下野上集落にある。

案内板には、野上の猟師庄兵衛が、この山に黒谷から山の尾に向けて猟に出かけ、明るい山の頂きにいた山鳥を撃って手ごたえを感じ、確かめたところ、阿弥陀仏像だったので、以後殺生をやめたという伝説が、山名の由来となったと紹介されている。

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飛騨地方は、雪の苦手なイノシシの被害は少ないけれど、南飛騨のこの山はイノシシ除けの柵のゲートを開けて通過。

地元手づくりの道標を見ながら、ヒノキの植林された斜面に取り付く。

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送電線鉄塔のある小平地を過ぎると、かなりの急登となる。

しばらく進むと、おだやかな尾根になって、ヒノキにアカマツが混じりだす。

尾根右側の黒谷は、落葉樹が多く、新緑があざやか。

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最初の休憩場所、萩原市街方向が切り開かれた展望所を過ぎると、岩が目立ち、尾根にもコナラなどの落葉広葉樹林が多くなる。

1,045mピーク付近手前で、穴岩という大岩に出会う。

岩には窪みがあって山姥が住んでいたと伝わり、この窪みに煙を流し入れると雨が降ると言われる。

野上の集落では、雨が必要になると、麓の氏神に集まり、太鼓を叩き、竹法螺(竹製の笛)を吹きながら社殿真上の尾根(=登山道)を穴岩まで登り、その周りで焚火をし、穴の中に煙を入れ、その後山頂で御嶽山と白山を拝んだそう。

また、山姥がお産の時に産水がいったので、穴岩から益田川(飛騨川)の水を汲もうとしたときの足跡が岩に残っているともいわれる。

 

裏側から穴岩の上に立つことができ、登ってみたところ、御嶽山や御前山の方向には、あいにく雲がかかっていた。帰路に期待。

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尾根を登りきったピークには、明治25年の御嶽大神、白山大神と書かれた石碑がある。

植林される前は、御嶽山だけでなく、白山も遥拝できたのでしょう。

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いったん大下した後、登り返すと、二等三角点のある仏ヶ尾山頂に到着。

ここも東側が伐り開かれており、うれしいことに雲が去って、御前山や御嶽山、さらに乗鞍岳方面の展望が得られる。

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御前山の山頂(1,647m)は、画像の三角錐のピーク(1,650m)ではなく、そのすぐ右手の平らな部分。

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帰路、ふたたび穴岩の上に立つ。

展望は山頂よりいいくらいだけど、標高が下がった分、御前山山頂部の平らな部分が、やや見えにくくなる。

山麓からは、1,650mピークに隠れて見えなくなってしまうんだな。。

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登山中目に付いた花は、取付きあたりのつつじの花くらい。

山頂付近にたくさんつぼみがあったので、これから華やかな季節を迎えるんでしょう。

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下山後、クマガイソウの花を見るため、簗谷山方向に移動しかけて、萩原町側からの山容の画像がないことに気付く。

ありがたいことに、西側の馬瀬側で、全容が拝める場所があった。

どっしりして独立峰の風格があるけど、植林がかなり進んだ山だなと、改めておもった。

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<登山記録> (―:車、…:徒歩) (↓地図クリックで拡大)

2019年5月18日(土) メンバー:Ya、botti

自宅5:30−(Yaさんお迎え)―恵那I.C.−下呂市荻原町下野上集落登山口(駐車)8:45…穴岩10:30…仏ヶ尾山山頂10:55〜11:30…穴岩12:10…登山口13:10―簗谷山登山口(駐車)14:10…クマガイソウ群生地14:30…登山口14:45―(金山湯ったり館入湯後帰路)

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<メモ>

・今回の、下野上集落からのルートのほか、北側の蓮坂峠からのルートもある。

 

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飛騨の山岳探訪(7)―火山(1,379m)

「せせらぎ街道」は、郡上市と高山市を結ぶ国道472号線および県道73号線の愛称で、標高約1,100mの西ウレ峠を分水嶺とするせせらぎ(※)に沿って落葉広葉樹林の中を抜けていく。

※太平洋側に流れる木曽川水系馬瀬川と、日本海側に流れる神通川水系川上川

東海北陸自動車道の開通前は、郡上と高山を結ぶ主要道路として交通量も多かったけれど、今は新緑や紅葉の楽しめる快適なドライブルートとして、岐阜県民をはじめ中京地方の人々に愛されている。

 

火山は、この街道の西ウレ峠の北西に位置する標高1,379mの山で、「かざん」ではなく「ひやま」と呼ぶ。

山名のいわれは定かではないが、少なくとも火山活動に由来するものではない。

ぼっちの「岐阜百名山」勝手に選定委員会、蕎麦角山に引き続き、ダブルヘッダーでいざ踏査  (ロ。ロ)/オウ

20190511せせらぎ街道.jpg

西ウレ峠の東側にある、金山谷の未舗装の林道に入る。

しばらく進むと、道は南・西・北方向に分岐し、真ん中の金山谷本谷に沿った西向きの林道に入る。

道は細く、進んでいくのが心配なので、愛車奥地君を待たせ、MTBのジャイアン号に乗るまではなかろうと、徒歩で進む。

20190511火山1.jpg

予想通り、倒木が道に横たわっていたりして、徒歩が正解だった。

あたりは植林の山ながら、沢沿いにはサワグルミなどの渓畔林が芽吹き、せせらぎの音を聞きながら進むと、めざす火山が見えてくる。

20190511火山0.jpg

林道歩き約30分で、終点に到着。「保安林」の黄色い看板があるだけで、登山用の標識などは全くみられない。

先行者の登山記録を読むと、次のようなルートが取られていた。

/神橘未糧根を直登して山頂をめざす

∈玄蠅梁瑤鯏肋弔靴堂仍各遒1,358mピークに出て稜線伝いに山頂をめざす

真正面の尾根右手の谷沿いに山頂をめざす

,世函標高差200m足らずであっけなく着いてしまいそうなので、今回は、△播个蝓↓で下るフルコースを選択。

林道終点から少し戻り気味に沢を渡り、ヒノキの植林された尾根に取り付くと、何とか踏み跡を拾っていくことができる。

20190511火山2.jpg

途中からは、ブナやミズナラの森にかわり、コブだらけの大木もみられる。

20190511火山3.jpg

1,358mピークは、ヤブも薄く、芽吹きの始まった木々の梢が明るい。

20190511火山4.jpg

芽吹き直後なので、何とか木の間越しに、飛騨山脈の白い山並みが透かし見えた。

もう1週間もすれば眺望は得られなくなるだろうな。。

20190511火山5.jpg

1,358mピークからの稜線は、ブナやミズナラの巨木が多くなり、梢を見上げては、挨拶をしていく。

20190511火山7.jpg

次第にササが登場し、途中からは背を越すチシマザサに覆われ踏み跡も明確ではなくなり、本格的なヤブ漕ぎとなる。

特に稜線上はヤブが濃いので、やや左下あたりを狙っていくと、沢から上がってきた踏み跡なんかも見えだす。

背後の郡上方面で、黒い雲が湧きだし、遠雷も聞こえはじめたので、きびきび進む。

山頂直前になると、急に稜線の濃いヤブが刈り払われた明確なルートとなり、ひと安心。程なく山頂に至る。

20190511火山6.jpg

二等三角点の標石のある山頂周りも広めに刈り払われていた。

ただし、周囲はチシマザサに覆われ展望はなく、山名の看板などもみられなかった。

20190511火山9.jpg

下山路ののルートも、チシマザサが刈り払われ、ブナやダケカンバの間を快適に下っていくことができる。

20190511火山10.jpg

快適すぎてあっけないほどすぐに植林帯に入り、林道終点に到着。

山馬鹿的には、往路に△領農ルートをたどって、ちょうどよかったという印象。

20190511火山11.jpg

火山の北麓、高山市荘川町六厩(むまい)は、かつて宿駅があり、六厩金山があった。

金山谷の名は、その歴史に由来しているのでありましょう。

ただし、今の火山は、標高、山容、眺望、登り応えなど、この山の個性というか、売り物には事欠く。

もっとも、せせらぎ街道沿いで、ブナやミズナラの新緑や黄葉の探勝をしたいなという時には、ちょうどいい山。

ぼっち的には、ヤブ漕ぎの訓練場としても、程よいのではと思う次第。

 

<登山記録>  (―:車、…:徒歩)  (↓地図クリックで拡大)

(蕎麦角山登山口飛騨市宮川町西忍)12:15―せせらぎ街道金山谷分岐―(林道)―分岐付近(駐車)14:20…林道終点14:40…1,358mピーク15:10…火山山頂16:00…林道終点16:35…駐車地点16:50―名宝温泉(入湯)17:30〜18:00―自宅20:00

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<メモ>

・ダニ対策について

 ヤブ漕ぎにダニはつきもの。

 事前対策としては、肌を露出しない服装、ディード成分の入った防虫剤(蚊やヒルにも効果あり)が効果的。

 山から下山したら、温泉に寄るなどして早めに着替えることも心がけたい。

 今回も、温泉でシャツを脱いだら、ダニが2匹出てきて、食われずにひと安心。

 

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飛騨の山岳探訪(6)―蕎麦角山(1,222m)

川上岳を源流とし、飛騨高山を流れる宮川は、富山県境で高原川と合流して神通川となり日本海に流れ込む。

蕎麦角山(1,222m)は、飛騨市宮川町(旧吉城郡宮川村)にあって、宮川を見下ろす位置にあり、蕎麦の実の角のように三角錐をしていることが、山名の由来とされる。
ぼっちの「『岐阜百名山』勝手に選定委員会」、今回は、この北飛騨の山を新緑の時をねらって調査登山。

 

宮川沿いの国道360号線を北上すると、「嫁ヶ淵」という、嫁が大蛇だったという伝説を持つ淵の向こうに蕎麦角山が見えてくる。

20190511蕎麦角山1.jpg

かつての宮川村の中心地のひとつで、高山本線の坂上駅や宮川小学校のある坂上の対岸にある西忍集落が蕎麦角山への林道の入口。

付近には、稲葉遺跡という約2万年前、後期石器時代の遺跡もあった。

20190511蕎麦角山.jpg

古い薬師堂のある標高約450m地点からはじまる林道は、入口からワイヤーで通行止め。

まずは、ここから標高約1,030mの林道終点をめざす。

愛車奥地君に待っていてもらい、買ったばかりのMTBのジャイアン号(※)をお供にいざ出発!

※GIANT製のマウンテンバイクで、ドラえもんのジャイアンのように頼もしいのでこう名付けてみました。

20190511蕎麦角山2.jpg

林道は、途中から舗装がなくなり、傾斜がきつい場所が多いので、3分の2は降りて引いていく。

コゴミなどの山菜も多そうなので、通行止めにしているのかな。。

20190511蕎麦角山3.jpg

1時間30分あまりで林道終点に到着。

ジャイアン号を置いて、尾根に取り付く。踏み跡がかすかに残っている。

20190511蕎麦角山4.jpg

尾根側のスギの植林、谷側のブナ林の間に、踏み跡をたどることができる。

残置テープもそこそこあるが、信頼できるものか分からないので、自分で赤テープを付けていく。

途中短いけれどチシマザサに突っ込んだ後尾根に取り付きなおすところのルートファインデングがむつかしかった。

20190511蕎麦角山5.jpg

展望は得られないけれど、ブナの若芽の輝きに包まれているだけで、山馬鹿は十分幸せであります。

20190511蕎麦角山6.jpg

林道終点から30分ほどで、1,116mの小ピークに出る。

この山の歴史は古く、永禄・天正年間(16世紀後半)飛騨を根拠にして越中、越後で武威をふるった塩屋筑前守の拠点として天険の高台に城が築かれ、山頂の南側台地に城跡が残されているとされる(「改訂版 新日本山岳誌」)。

この場所が一番平らで広かったので、城跡はここではないだろうか。。

20190511蕎麦角山7.jpg

登高するほどにブナは見事になり、タムシバの白い花も混じる。

左手の西側斜面は、カラマツが植林され、こちらも芽吹きが始まっている。

カラマツ越しには、白木峰方面の白い峰が透かし見えた。

20190511蕎麦角山8.jpg

しっかりした展望は得られないまま進むと、尾根東側のブナの大木が倒れて、そこだけ空が広がり、飛騨山脈が拝めた。

全体がつかめないので同定は難しいけど、黒部五郎岳あたりが見えているのではないかとおもう。

20190511蕎麦角山11.jpg

山頂直下で、再びチシマザサが登場。

かすかな踏み跡を見失いそうになりながら、何とか突破。

山頂の三角点は今まで来た稜線を右手(東)に折れた場所にあった。林道終点から約1時間30分。

周りはびっしりヤブと樹林におおわれ、眺望はなし。

少し離れて山林局の古い標石も見られた。

20190512蕎麦角山10.jpg

今回特筆すべきは、ギフチョウがたくさん見られたこと。

きれいに画像におさまってくれているのは、それくらい多く見られたため。

20190511ギフチョウ.jpg

しっかり赤テープを付けたつもりだったけれど、下りでは2回ほど往路のルートを見失った。

GPSあっての単独行だと、まだまだ修行不足を実感。

林道終点からは、ジャイアン号が威力を発揮、往路の半分くらいで西忍の集落に戻ることができた。

 

それにしても思うのは、学校登山の盛んな長野県や東濃地方であれば、小学校から見上げられ、歴史のある蕎麦角山は、必ずやその対象になっていただろうなということ。

林道終点から登山道を整備し、山頂を少々刈り払えば、小学生でも往復3時間ほどで登れ、飛騨山脈や、山麓のふるさとの集落や宮川を見下ろす、望郷の山になれるはず。

現状の評価は、(標高★★★、山容★★★、眺望★、山深度★★★、愛山度★)ってとこだけど、(標高★★★、山容★★★、眺望★★★★、山深度★★★、愛山度★★★)くらいになる潜在的な魅力は十分持っているだけに、もったいないなあ。。

 

<登山記録> (―:車、…:徒歩、‥:自転車)  (↓地図クリックで拡大)

2019年5月11日(土) 快晴 単独行

自宅4:10―高山I.C.―(国道360号線)―飛騨市宮川町西忍集落(駐車)7:30…林道終点(駐輪)9:05…蕎麦角山山頂10:25〜10:35…林道終点11:25‥西忍集落12:15―(火山へ)

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<メモ>

・林道起点の飛騨市宮川町西忍集落の標高が約450m、終点が1,030m、山頂が1,222mと、林道歩きが長い。

 MTBの利用が効果的。

・林道終点から山頂までは、おおよそ南側の尾根をたどるが、尾根真上ではなくやや東寄りに踏み跡がある。

 残置テープがあるが、迷って付けられいるものもあった。自己責任でルートファインディングを。

・1,116mピークを過ぎ、山頂をめざす途中は背を越すチシマザサに覆われ、ヤブ漕ぎとなる。

 山頂をめざす登りより、下りの方が迷いやすいので注意を。GPSがあった方が確かでしょう。

 

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