WALK あばうと 日本4,000山

「新日本山岳誌」掲載の約4000山が修行の地。 めざせ山仙人!
笹ヶ峰(1,285m) 中ツ又遡行ミト谷下降周回(2)

翌20日。7:35幕営地を出発。

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中ツ又は途中まで素直で、ブナやミズナラの巨木に、カエデやシロモジなどの混じる原生林を楽しみながら進む。

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標高800mあたりからは、急登となり、滝がいくつも登場。

地図に記載がなく、GPSでは読み切れない分流もあるので、しっかり地図と磁石で方向を確認しながら進む。

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苔が生えて足元の悪い滝もある。折々ザイルを下してもらい、よじ登る。

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大きめの滝では、高巻きし、ザイルで懸垂下降する。

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短い区間だけど、いちいちザイルを出してもらっているので、地図で見るよりずっと時間がかかる。

脚ばかりじゃなくてこれほど肩や腕の筋肉を使って登ることはなかなかない。

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沢の水が冷たくなってくると源頭が近い証拠。

稜線直前に涸れ、Nuリーダーの目論見通り、三角点の100mほど南の稜線に出る。

山名の通り背を越すチシマザサに覆われているけど、山頂直下の斜面は見晴らしがきき、南側の美濃俣丸や三周ヶ岳が展望できる。

積雪期と違いそこは緑の海のよう。

山頂が近づくとチシマザサは丈高くなり、前のメンバーを見失わないよう声を掛け合う。

12:35、山頂に到達。一生見ることはないとおもっていた三等三角点にタッチし、全員で万歳三唱。

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13:05、山頂を後に、北側の鞍部からミト谷に向け下降を開始。

この地点が最も見晴らしが良く、ミト谷越しに釈迦嶺、冠山、若丸山、そして能郷白山が。

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ミト谷は、下降開始直後が崖状。リンドウやトリカブトの咲く斜面をへつる。

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その後、谷の左岸を巻いて、ヤブ漕ぎして、最後懸垂下降で沢に戻る(大変過ぎて画像なし)。

ぼっちの技術では降りられなかったはずで、強力なメンバーに感謝のし通し。

途中からは、Nu先輩によると谷が土砂で埋まったらしく、比較的容易に降りていくことができる。

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16:25、赤谷との合流点に出る。

やれやれと思うけど、往路、ウソ越峠からここまで3時間かかっている。

日没を覚悟し、ヘッドランプを用意して、赤谷を下る…じゃなくて源流に向けて登る。やれやれ。。

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赤谷は、水苔(水垢)で赤く見えるためともいわれるが、ミト谷に比べると、川底の石も赤みがかっている。

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18:00、いよいよ日没。。

道はまだ長く、とりとめのないような心になりがちだけど、先頭を行くNuリーダーは流れを読みさくさく先導される。

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淵の両側が切り立った場所で、崩落した斜面によじ登り、廃林道に出る。残照もなくなりヘッドランプを点ける。

楽に進めるかと思いきや、2か所くらい沢の出合部分が削り取られ道がえぐり取られ、登り返しにザイルを出してもらった。

左からの沢の出合で林道を離れ沢に戻る。

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19:30過ぎ、釈迦嶺山麓の林道に入り、一安心。19:55全員無事にウソ越峠に到着。

火照った体が一気に冷え、山の秋の深まりを感じる。

安堵の気持ちとともに、久し振りに大きな山に登ったなという手ごたえをずっしり感じる。

それにしても、残雪期福井県側から入れるからこそ『岐阜百秀山』に入れたけど、

無雪期だけなら千回沢山や不動山と同様、難峰過ぎて選外とせざるを得なかっただろうと思う。

 

そんな難峰に立つことができ感謝一杯。 Nuリーダー、皆さまありがとうございました。

 

<登山記録>  (―:車、…:徒歩)  ↓地図クリックで拡大

2020年9月19日(土) 曇時々晴 メンバー:Nu(L)、Na(SL)、H、O、S、botti

ふじはし道の駅(集合)5:30―高倉林道ウソ越7:15…赤谷入渓7:35…ミト谷出合10:35…(高巻き)…中ツ又・赤谷出合13:35…幕営地(泊)14:50

20日(日)曇時々晴

幕営地7:35…稜線12:20…笹ヶ峰山頂12:35〜13:05…鞍部下降点…ミト谷出合16:25…車道歩き18:10…赤谷戻り19:00…釈迦嶺林道19:35…ウソ越19:55〜20:10―藤橋道の駅21:30(解散)

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<コメント>

・生半可にはたどれないルート。熟達したメンバーと同行して初めて到達できる世界。

 こういう場所に憬れるなら、地元山岳会への入会が近道でしょう。

 

| ぼっち | 沢登り | 13:31 | comments(0) | - | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
笹ヶ峰(1,285m) 中ツ又遡行ミト谷下降周回(1)

9月19日(土)〜20日(日)、地元の山の会で、越美山地の笹ヶ峰(1,285m)へ沢登りで行く計画が入った。

 

笹ヶ峰をはじめ徳山ダム湖ができ、ダム湖西側の県境の山々は岐阜県側からのアプローチが困難になっている。

そのため、道路事情のいい福井県の広野ダム側から残雪期に登るのが一般的になりつつある。

ぼっちも2017年の3月に美濃俣丸(1,254m)経由で稜線を縦走して笹ヶ峰から天草山経由で下山する周回をした。

今回は、高倉林道のウソ越から赤谷から中ツ又を遡行して笹ヶ峰に立ち、ミト谷で下降して赤谷で戻る沢周回計画。

奥美濃の山最奥の笹ヶ峰の沢に行けるとは夢のまた夢。

これは万難を排して(=『岐阜百秀山』の原稿をそれまでに仕上げて)参加するしかない。

冠峠に向かう冠林道途中から高倉峠に向かう高倉林道でウソ越峠へ。

ここは県境のように見えて、県境ではない。今回たどる赤谷(あかんたに)の源頭に近い。

揖斐川支流の赤谷は不思議な沢で、釈迦嶺の周囲を北西南と巻くように流れるので遡行するうちに方向感覚がおかしくなる。

 

今回のメンバーは、わが会のレジェンドNu先輩、沢屋のHさん・Naさん、進境著しい新人S君、根性ある女性Oさん。

この最強メンバーで、脱落するならぼっちだな。。

7:15スタート。それでは、よろしくお願いします。

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最初は釈迦嶺(1,175m)を巻く廃林道をたどる。

釈迦嶺は、1970年代に林道が付けられ皆伐される前は、素晴らしいブナ原生林の森だったという。

今はアクセスも良好なので、もし残されていたら、すばらしい観光資源にもなっていたはずで、惜しいことをしたもの。

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7:35入渓。赤谷源流部は穏やかな表情。

釈迦嶺が皆伐された直後は、沢は荒れて無残だったらしいけど、渓畔は二次林がそれなりに育っている。

(ただし、釈迦嶺自体は二次林が密生して成長が悪く、樹林に見所はない。)

今回は、中ツ又出合までは赤谷を下っていくことになるのが奇妙な感じ。

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いくつもの支沢を合わせて、赤谷の水量は次第に豊富になっていく。

淵や小滝も登場。岩の縁をへつる部分も出てくる。

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10:35ミト谷出合に到着。右側のミト谷から明日無事に戻って来られるかしらん。。

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谷が狭まり、ゴルジュ(喉の意)状の部分が多く、ルートの取り方も難しくなってくる。

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赤谷と中ツ又の出合の直前は両岸が切り立っているので、高巻きする。

シャクナゲなどがびっしり生い茂って、テント泊の大きめのザックが引っかかって苦労する。

へつって、下降点でザイルを出して懸垂下降、幸いその後は細い尾根上の地形が川岸まで下りていた。

この短い区間の通過に、12:15〜13:25くらいまでかかる。

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13:35出合に到着。ここで釈迦嶺の方へ戻っていくように東へ流れる赤谷を離れ、中ツ又に入る。

笹ヶ峰の東斜面にあたる中ツ又に入ると、みごとな原生林が残され、沢の風格が格段に違う。

斜面にはブナやミズナラの巨木がゆったりした空間にそびえ、「きっとマイタケの宝庫」(メンバー談)。

沢沿いは、トチやサワグルミの巨木が連続。

昭和15年刊の『樹林の山旅』の「天魚の渓谷(釈迦嶺をる谷)」で記された赤谷もかつてはこんなだったんでしょう。

14:50、中ツ又では数少ない小平地を幕営地と定める。

今回は、新しい登山様式ということで、ソロテントor2人テントを設営。

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焚火を囲んでのひとときは、沢泊の醍醐味。今回は(も?)、ぼっちが食当。

「新しい登山様式」ということで、鍋をつつきあうことはせず、フリーズドライのカレーライスとキノコ豚汁。

明日も長丁場、20:30就寝。

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(2)につづく。

 

| ぼっち | 沢登り | 11:51 | comments(0) | - | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
雷倉(1,169m)に登山道ができた

もうそろそろ、表に出してもいいと思うけど、ぼっちの勝手な『岐阜百秀山』来春出版が決定しました (ロ..ロ)/

以後、勝手を外した『岐阜百秀山』でいきたいとおもいます。

 

ただ今、9月中完了を目途に初稿執筆に取り組んでいるところだけど、ぎりぎりになっても新しい情報が入ってくる。

小津三山のうち唯一登山道のなかった雷倉(1,169m)に、最近登山道ができたというのもそのひとつ。

これは、再調査しないと原稿が書けない―ということで、大型台風来襲直前の6日に行ってきました。

 

残暑厳しき折、早立ちして、6:20登山口となる本巣市根尾八谷の集落へ。

八谷川に架かる橋の手前のポールの 黄色の◇マークに着目。「33/33 雷倉スタート」とある。

このマークは本巣市の山岳会共通のものらしく、大白木山などにもある。

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八谷集落奥の道の終点が登山口。

入口のポストは、登山届入れではなく、八谷自治会の清掃協力金入れ。

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登山口から少し上がってすぐ左手に折れ、コンクリートの蓋のされた用水に出る。

谷に沿い斜面を巻いていく用水をたどると、右手の中又谷と左手の下津谷の出合がある。

下津谷側に堰堤があるがそちらに曲がっていく用水の道に入る手前で出合部分に下降する。

すると、鉄の橋がある。この橋を渡って尾根に取り付く。

尾根に取り付くと、あとは素直な尾根登りになるけど、ここまでが従来分かりにくかった。

今回は、要所要所に案内標識があり、だいぶん分かりやすくなった印象。

 

尾根道は、二次林からスギの植林、ヒノキの植林を経て、ブナ、ミズナラ、カエデなどの多い落葉広葉樹林帯に入る。

もともと植林帯は作業道があったが、登山道としてより歩きやすくなった印象。

新緑、黄葉を楽しめる、自然面では本ルートのハイライト。

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次第に尾根は急登になり、踏んばっていくと、ごつごつした岩の続く場所に出る。

石灰岩のカルスト地形で、テープや補助ロープがあるので、登りやすくなった。

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尾根が右手に大きく折れた部分を進むと、廃林道に出る。

この周辺は伐採後の二次林となっている。

かつてはここまで車で上がれたようだから、ここまでの登山道が廃れたのかもしれない。

林道が使えた時期、使えず登山道もなかった時期、登山道が整備された現在、山の印象は大きく違うはず。

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林道から山頂に向けて登っていくと、雷岩の標識。

立ち寄ってみると、雨宿りのできそうな岩屋だった。

山名にゆかりの岩なのだろうか。。

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雷倉の山容は台形で、その山上部は細長く平坦。

ブナやヒノキの生えた山上の道を行く。

やはり、夏じゃなくて新緑か紅葉の頃訪れたいもの。

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登山口から約3時間で二等三角点の雷倉山頂に到着。

立派な山名標識と、その下に、ここで記念撮影して画像を持って行くと、山麓のうすずみ温泉ので割引特典があるとの案内。

尾根登りは汗ダクダクになったけど、山上は涼しい風が吹いていい気分。

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山頂の少し先(南)からは、花房山が見える。

『岐阜百秀山』完成したら、もっと好きなままに山をたどってみたい。

花房山〜雷倉の積雪期縦走も、やってみたいなあ。。

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山頂での画像を持って、「うすずみ温泉」でさっぱり。

国道から高台に上がったところにあるので、雷倉の好展望台なんだけど、あいにくゴロゴロいいだして、雲の中。

 

雷倉は、うすずみ温泉に近いため道路事情も良く、岐阜から1時間、名古屋からでも1時間30分くらい。

正直、小津三山で登山道のある小津権現山や、さらに奥の花房山よりアプローチはずっといい。

展望もいいし、新緑や紅葉も楽しめる。特に難しいところもなく往復5時間あまり。

どうして今まで登山道がなかったのか不思議なくらい。

山に対する関心の低い岐阜県、雷倉のように本来良く登られてもいい山は潜在的に多い。

ただし、登山道ができると、ない時の緊張感と達成感は遠のきがち。なかなか悩ましいもんです。

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<登山記録>  (―:車、…:徒歩)

2020年9月6日(日) 曇晴れ間あり下山後雷 単独行

自宅4:20―八谷入口(駐車)6:20…登山口6:30…尾根上8:15…林道出合8:30…雷倉山頂9:35〜9-55…林道出合10:40…登山口11:55…駐車点12:10―(うすずみの湯入湯後帰路)

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| ぼっち | 「岐阜百名山」勝手に選定委員会 | 17:28 | comments(0) | - | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
ブンゲン(1,260m) 竹屋谷・北谷 沢登り

伊吹山地のブンゲン(射能山)は、国土地理院の2万5千分の1地形図に名前のない山。

北麓に奥伊吹スキー場があって、その最高点から登山道が開かれ、ぼっちも2016年4月、このルートで登った。

琵琶湖方面などの見晴らしはいいけれど、このルートをたどるだけではそれほど個性は感じられない。しかし沢は面白いという。

今回、地元山の会で、岐阜県側の粥川の源流部、竹屋谷・北谷の沢登りが計画され、ぜひともと行ってきました(ロ。ロ)/

 

揖斐川町春日美束地区の奥、西谷の大平八滝を目標にカーナビをセット、その駐車場に車を止める。

今回は8名のメンバー、リーダーのIさんはじめ、沢登りが本業のメンバーに、ぼっちはじめ初級者が3名。

久しぶりの沢登り、竹屋谷で登り、北谷を下るフルコース、緊張しながら入渓。

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花崗岩の明るい沢で、石灰岩の沢のようにヒルなどの心配が少ないのがありがたい。

滑滝を進んでいく。周囲は自然林で、トチの大木などにも出会い、いい感じ。

 

谷には滝が多く、地元の方が独力で遊歩道や看板を作られている。

滝マニアにはいいんでしょうが、手つかずの自然を愛するメンバーは、あまり歓迎していないみたい。。

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岩に水が乱れ散るこの滝には「気まま滝」のプレートが。

トップのNaさんがみごとによじ登り、ザイルを下してくれる。

ここで、ぼっちは登攀が素人なことを露呈。もっと修行をせねば。。

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大岩から流れ落ちるこちらは「流厳滝」のプレートが。

こちらは高巻きする。

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何段にも重なり落差最大となる「観音滝」が遊歩道の終点。

上流にはまだまだ名もなき滝が連続する。

ぼっちたち初級者はトップの後ろを従順についていくけど、エキスパートたちは、シャワークライミングなどを自由に楽しむ。

長い割れ目を手足を突っ張りながら登る。

最後、女性メンバーは、男性メンバーの背中を踏み台に割れ目から這い上がる。

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標高1,050mほどの所で、滝の連続は終わり、別天地の穏やかな世界が待っている。

このあたり、キャンプをしても楽しそう。

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水がなくなり、急斜面を登る。

ヤブが出てきて、しばらく漕いでいくと、ポンと岐阜・滋賀県境稜線上の登山道に出る。

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ブンゲンの山頂まで、あとわずか。

怪しい雲行きに、伊吹山は雲に覆われる。

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ブンゲン山頂で恒例の万歳。沢登りの湿気でレンズ曇ってます。

山上は暑いので、Iリーダー推薦の北谷の休憩場所で大休止することとする。

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山頂と、先ほど出た一つ北のピークの間の鞍部のヤブをかき分け、北谷に入る。

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花崗岩の岩屋の前の小平地に出る。確かに休憩にはいい所。

山籠もりして修行するにもいいような感じ。

花崗岩の山が多い旧春日村は、このような岩屋がいくつもある。

関ケ原の戦いの際、本願寺の教如が隠れた「鉈ヶ岩屋」もそのひとつ。

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沢登りも大変だけど、登っていないルートを下るのも足元が見えずにこれまた大変。

北谷上部は、比較的大きな滝はないけれど、時間も考えて巻いていく部分が多かった。

 

そんな中、落差も大きく二筋に分かれた立派な滝に出合う。

名前はついていないようだけど、メンバーは「両門の滝」と呼んでいる。

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下りも一か所ザイルを出して、懸垂下降。

北谷下部には、大谷八滝という岩の割れ目を樋状に流れる八つの滝がある。

高巻きしたこともあり、あまり印象に残る大滝は目にしなかった。

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トダナ岩屋という「鉈ヶ岩屋」よりも立派だという岩屋への道に合流、予定よりやや早く、林道に出た。

夏の盛りの涼しい沢登り、新型コロナウィルス流行中の今年も無事経験できて良かった。

 

弱点を露呈してしまったけれど、長丁場だったので、自分なりに何を身につけたらいいのか、勘どころはつかめた気がする。

次回、沢登りでは、思い切って突っ込んでいろいろ経験を増やしたい。

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<登山記録>  (―:車、…:徒歩)  (↓地図クリックで拡大)

2020年8月23日(日) 曇時々晴れ間、少し雨  メンバー:I(L)、Oh、Ni、Na、H、Ot、Og、botti

大垣集合―(大谷林道)―大平八滝駐車場(駐車)7:05…竹屋谷入渓7:10…気まま滝7:45…観音滝8:20…稜線11:05…ブンゲン山頂11:05〜11:10…北谷岩屋(昼食)11:40〜12:00…両門の滝13:20…トダナ岩屋入口14:00―(帰路)

 

| ぼっち | 美濃百山 | 13:21 | comments(0) | - | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
7年ぶりの御嶽山(2)―火口1卞發寮こ

(五ノ池小屋からつづく)

こじんまりした白竜避難小屋は、改修作業を行っていた。

ここからいったん、「賽の河原」へ下り、二ノ池を経て剣ヶ峰山頂へ向かう。

長丁場にはなるけれど、単純な最高峰への往復ではなく複合成層火山の諸相をじっくり味わえるのが、飛騨頂上経由ルートの特徴。

賽の河原から二ノ池山荘に向けて登り返すと、現在も立ち入りが規制される火口1勸米發離┘螢△箸覆襦

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二ノ池山荘は、防災機能も付加して新築され、すっかり小ぎれいになっていた。

ただし新型コロナウィルスにより、今年はトイレと防災機能だけで、宿泊は受け付けていない。

そして驚いたのは、目の前の二ノ池がほとんど火山灰で埋まっていたこと。残雪もほとんどない。

いよいよ、噴火の爪跡を残す区域に入ってきたのを実感し、ヘルメットを装着。

黒沢口からの登山者も合流するので、行き合う登山者数はぐっと多くなる。

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剣ヶ峰までの最後の急登は、首の取れ傾いた石仏、枯れた植物など、噴火のすさまじさが残されている。

噴石が飛んで来たら、ヘルメットしてても、石仏と同じ運命なんだろうな  (ロ。ロ; マシテヘルメットナシデハ

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山頂直下には、コンクリートのシェルターが据えられものものしい。

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シェルターの脇の慰霊碑。火山はいずれも危険と隣り合わせなことを肝に命じねば。。

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飛来した石で欠けた部分のある階段を登り剣ヶ峰の山頂に立つ。

鳥居は根っこから撤去され、山頂部全体が平らに整地され、以前より人工的になってしまった。

マスクもせずに近寄り、スマホのシャッターを押してくださいと頼んでくるコロナ以前の「密」スタイルの輩がいて、早々に退散。

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前回たどった一ノ池周りのお鉢巡りのルートは通行禁止。いちめん火山灰を被っていた。

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御嶽頂上山荘は解体し、新たに避難小屋を建設中。

今も通行止めの王滝口からのルートは、岩がごろごろし、噴火時の悲惨な状況が目に浮かび、ご冥福を祈るしかない。

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御嶽ロープウェイを利用し、黒沢口から登ってくる登山者はさすがに多い。

白装束で法螺貝を吹きながら登ってくる集団もある。

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帰路は黒沢口の分岐点まで寄り道してみた。九合目の覚明堂の鳥居が見える。

太陽をさえぎるもののない単調な登りで、登山者が集中するから、ぼっち向けではないな。。

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二ノ池山荘から二ノ池ヒュッテに回る。

「二ノ池山荘新館」だったものを現在の女性オーナーが譲渡され改築し2018年から営業されている。

今年も、新型コロナウィルスのため完全予約制で受付中。

山小屋も含め信仰色が強かった御嶽山で、五ノ池小屋や二ノ池ヒュッテのような、純粋に登山向けの小屋ができ、

高山でもできる限り快適に過ごしてもらえるようさまざまな工夫をされているのは、うれしい限り。

陰ながら応援したい気分。(二ノ池ヒュッテHP←クリック!)

賽の河原に下り、帰路は摩利支天山(2,960m)に立ち寄り。

賽の河原、恐山にくらべちょっと緑が多めだけど、スケールは格段。

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帰路、三ノ池の水の色を、もう一度目に焼き付ける。

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飛騨頂上から濁河温泉までの下りは、黒沢口側と違いとても静かで、針葉樹の香りに心癒される。

山馬鹿ぼっちとしては、御嶽山に登るなら、岐阜県側の濁河温泉からのルートが、おすすめだなと改めておもった次第。

 

 

下山後、濁河温泉の市営露天風呂でさっぱりできるのもうれしい。

高地トレーニング施設のある日和田高原側から、最後に見上げる継子岳(左)と摩利支天山。

「『岐阜百秀山』勝手に選定員会」の調査登山もようやく完了。

あとは、出版に向け原稿書きにいそしまねば。。

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<登山記録> (―:車、…:徒歩)  (↓地図クリックで拡大)

2020年8月16日(日) 快晴 単独行

自宅4:20―(高山市・日和田高原経由)―濁河温泉(駐車)7:10…登山口7:20…七合目7:55…湯の花峠8:15…のぞき岩避難小屋…八合目9:05…飛騨頂上10:05…二ノ池小屋11:10…剣ヶ峰山頂11:45〜11:55…二ノ池ヒュッテ12:25〜12:35…摩利支天乗越13:15…摩利支天山山頂13:30…乗越13:50…五ノ池14:15…八合目14:55…のぞき岩15:20…湯の花峠15:45…七合目15:05…登山口16:50…濁河温泉16:55―(市営露天風呂入湯)―自宅21:45

ブログ「『岐阜百秀山』勝手に選定委員会」へ>←クリック!

<メモ>

・2014年の噴火で、多くの犠牲者を出した。

 現在は噴火警戒レベル1に引き下げられたが、しかし地元自治体では防災対応として、依然通行禁止としているルートも多い。

 (最新情報はこちらhttps://www.ontake-volcano.jp/kisei/)

・登山届の提出が義務付けられ、ヘルメットの携帯も忘れずに。

 

| ぼっち | 「岐阜百名山」勝手に選定委員会 | 05:39 | comments(0) | - | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
7年ぶりの御嶽山(1)―飛騨頂上まで

ぼっちの「『岐阜百秀山』勝手に選定委員会」の取り組み、しめくくりは御嶽山(3,067m)であります。

長い裾野を引く霊山ゆえ、木曽側の王滝口登山道、黒沢口登山道、開田口登山道など多くの登山道がある。

ぼっちは、前回2013年8月、岐阜県側の、濁河(にごりご)温泉から登っている。

その翌年、2014年9月27日に噴火が発生、水蒸気爆発による噴石の直撃などで死者、行方不明者63名がにおよんだ。

噴火警戒レベル3(入山規制)と引き上げられた後、2015年から段階的に規制が下げられ、現在噴火警戒レベル1となっている。

しかし地元自治体では防災対応として、依然通行禁止としているルートも多い。

(↓地図クリックで拡大:最新情報はこちらhttps://www.ontake-volcano.jp/kisei/)

今回の調査登山は、前回同様岐阜県下呂市の濁河温泉から入山し、最高峰の剣ヶ峰をめざすことにする。

ただし、濁河温泉までの道は、先の集中豪雨の被害から8月16日時点で下呂市小坂からのルートと高山市秋神からのルートが通行止め、高山市の日和田高原経由のルートと大回り。

 

日和田高原側から見る複合成層火山・御嶽山の北端継子岳(2,859m)の姿。

長梅雨の後、お盆になってようやく夏山らしい天気になった。

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濁河温泉に駐車、登山口に向かう途中に白糸の滝。

御嶽山は、水に恵まれ、滝の多い山でもある。

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現在登山道は、仙人滝経由のルートが2018年の橋の流出で通行止めとなっており、尾根の遊歩道を迂回している。

熊鈴を付けて登山開始。

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よく踏まれた登山道は、コメツガ、トウヒ、ヒノキ、サワラなどの深い森で、苔の緑とツンとする針葉樹の香気がすがすがしい。

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しばらすると、伐採後の二次林に入る。シラビソなどが多くなる。

7年前に訪れた時と、ほぼ同じたたずまい。噴火後の山上はどうなのどうなのだろう。。

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御嶽教の信仰登山でにぎわう王滝口や黒沢口と違い、静かで人工物がそれほど多くないのが、登山者にはありがたい。

7合目には祠があり、その少し上に「ジョーズ岩」と呼ばれる、三角形に突き出した姿がサメに似た大岩がある。

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7合目を過ぎると、急登になるため、木の階段などが連続する。湯の花峠で見晴らしが得られ、さらに急登。

貨車を利用した避難小屋のあるのぞき岩に出ると、草木谷を挟んで摩利支天山のピークが眺められる。

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しばらくで、不動明王の石像などがある八合目に出る。その少し上が森林限界。
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継子岳の斜面を巻いて、飛騨頂上に向かうあたりは、大規模なハイマツ帯となる。

飛騨頂上が近付くと斜面は砂礫帯となり、コマクサの大きな群落がある。

噴火や降灰の影響は、飛騨頂上周辺にはさほど及はず、コマクサやハイマツに住むライチョウには影響がなかったようでひと安心。

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2780mの飛騨頂上に出る。

祠の直下に五ノ池小屋がある。なかなかおしゃれな小屋で、ご飯類もおいしいらしいけれど、今年は新型コロナウィルスの影響で寝袋持参・完全予約制、食事も制限。

ここからご来光を見たら感激だろうなあ。。いつかゆっくり泊りがけで来たいなあ。。

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飛騨頂上からの展望は360度さえぎるものがなく、木曽山脈、赤石山脈、八ヶ岳などが一望。

乗鞍岳の千町尾根の長いシルエット、奥穂・前穂の吊尾根なども眺められた。

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小屋の向こうには、摩利支天山越しに、剣ヶ峰が見える。

往路は三ノ池側の巻き道を取る。
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一から五まである御嶽山の火口湖のうち、三ノ池は最大のもの。

そのエメラルドグリーンからサファイアへのグラデーションは、まったく見飽きない。

ご神水として大事にされてきたこの水の色も変わりがなくて、ほっとする。

さて、この先はどうだろう。((2)へつづく)
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| ぼっち | 「岐阜百名山」勝手に選定委員会 | 20:55 | comments(0) | - | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
WALKあばうと青森(番外)―円空の足跡を訪ねて

ぼっちの敬愛する山岳修行僧円空(1632−1695年)は、寛文6年から8年頃(1666―1668年)東北から北海道に足跡を残している。

今回は、青森県のその足跡をたどるのも、旅の大きな目的。

 

明確な足取りが分かるのは次のとおり。

・寛文6年(1666年)1月29日『御国日記』(津軽藩庁日記)

 「円空と申旅僧壱人長町に罷在候処 御国に指置申間敷由仰出候ニ付 其段申渡候ヘハ今廿六日ニ罷出 青森ㇸ罷越 松前へ参由」

  

・同年6月 北海道広尾町 禅林寺観音菩薩像 背銘

 「願主 蠣崎蔵人 武田氏源広林 敬白 寛文六丙午六月吉日」

 

・同年7月28日 北海道有珠善光寺 観音菩薩像 背銘

 「うすおく乃いん小嶋 江州伊吹山平等岩僧内 寛文六年丙午七月廿八日 始山登 円空」

 

・同年8月11日 北海道寿都町海神社 観音菩薩像 背銘

 「いそや乃たけ らいねん乃たけ 寛文六年丙午八月十一日 初登 円空」

 

・寛文8年(1668年)9月 熊谷源無『万人堂縁起』

 「国邑足跡の沙門円空というものあり。来りてわが宅に寄宿し淹留すること月餘 たまたま自ら大士観自在の尊像一體を彫刻して我に授けて正にいわく『昔かつて供養して、今既に親觀す』と。尊ぶべし供養すべし。けだし一宇を構えて尊像を安置せんと欲すと雖も自力の及び難き所なり。すなわち萬人の助援を募って ついに之を成就す。とくに官に訴え 旨を奉じて境を占い 草堂宇を創り もって尊像を安置し円通和尚に請い安坐供養しおわんぬ」 

 

・それ以外に、正徳4年(1714年)発行の『和漢三才図絵 巻六十五』の焼山(恐山)の項

 「開基慈覚太子 千体石地蔵を作る。中尊は長五尺許 其他は小仏なり。而して人取去って 今僅に存す。近頃圓空なる者有り 千体像を修補す。」

 この記述は、円空没後18年後に書かれており、円空に関する文献では最も古いもの。

それでは、以上の文献と、円空仏MAPをてがかりに、青森県の円空ゆかりの地訪問を総まとめ。

 

○弘前市西福寺

 寛文6年(1666年)1月29日『御国日記』にある「長町」は、弘前城のすぐ東にあたる。

 それに対し、円空作の十一面観音像と地蔵菩薩像が伝わる西福寺は、城の南にあたる新寺町にある浄土宗の寺院。

 西福寺は慶長年間に堀越の地に創建され、元和元年(1615年)藩の都市計画に従い元寺町に移動。

 慶安2年(1649年)の大火で焼失、他の寺院と一緒に翌3年(1650年)現在の新寺町に再建された。

 つまり、1666年円空が弘前城下にいた時には、現在の位置にあったことになる。

 

 当時の絵図には西福寺の奥正面にある同じく浄土宗の貞昌寺しか記されていない。

 貞昌寺は、初代弘前藩主津軽為信が生母の菩提を弔う為に開かれたのが始まりと伝えられ、以来藩との関わりが深い。

 絵図にないのは、その参道脇にある西福寺が、塔頭の関係にあたるためらしい。

 円空像が、最初から西福寺に置かれるべくして作られたのか、あるいは他から移されたのかは分かっていない。

 それでは、西福寺お邪魔いたします。

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 本堂内陣の脇にある畳の次の間のようなところに、円空の二像は安置されていた。

 息をひそめ大感動しながら拝観。

 

 その印象は、まず薄いなあということ。半ば浮彫のように板材に彫られている。

 もしかしたら、新寺町の寺院再建時の残材を使ったのかもしれない。

 次に、どうして浄土宗の寺に、地蔵菩薩はともかく、密教系の十一面観音があるのかなあと不思議に感じた。

 お寺でお庫裏さんにも伺ったが分からないとのことだった。

 

 円空は、蝦夷の往復に青森県(下北半島と津軽半島)を通過しているが、そのルートは残された仏像の様式の解釈などから諸説ある。

 西福寺像は、蝦夷から戻ってからとの説もある。

 ぼっちには、仏像の様式変化も、津軽藩を追われた円空が再度弘前に来たのかも、よくわからない。

 ただ、禅林寺観音菩薩像背銘にある「願主 蠣崎蔵人 武田氏源広林」が松前藩の家老であることからして、円空は単なる漂泊の乞食坊主として津軽藩を追い払われたわけでもないのかなともおもう。

 そこには、オフィシャルな『御国日記』には書かれない人間ドラマがあったのではないだろうか。

 

 また、恐山の信仰の中心にある地蔵菩薩と、円空が亡き母になぞらえて十一面観音像を多く作ったということを考えると、

 この二体は、恐山との関わりの中でもっともふさわしいペアとも考えられる。

 

 ちなみに円空仏のあるところによく見かける、梅原猛先生と、井上雅彦先生の色紙がここにもあった。

 特にスラムダンクの作者が訪問してくれたら、みなさん大感激だったろうな。。

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○恐山菩提寺

 曹洞宗の恐山菩提寺の中心にある地蔵堂には、現在十一面観音像と観音半跏像が伝わる。

 これらは客仏で、そのうち観音半跏像は、『万人堂縁起』にある像が、万人堂が退転した後、田名部の円通寺に移され、のちに円通寺が本坊となっている恐山菩提寺に移されたものだという。(戸井町史)

 菅江真澄が寛政4年(1792年)に恐山に訪れた際「そもそも此みやまは慈覚円仁大師のひらき給ひて、本尊の地蔵ぼさちを作給ひ、一字一石のほくゑ経(法華経)をかいて、つか(塚)にこめ給ひしとて今に在り。はた恵心の仏も、なかごろの円空のつくりたるぶちぼさち(仏菩薩)もある也。」と記しているので、この頃にはすでに恐山にあった可能性がある。

 民俗学の祖ともいわれる菅江真澄は、蝦夷でも円空仏を見ており、自分を先回りするかのような百年以上前の先輩冒険者に、特別な感慨を持っていたのではないだろうか。

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○むつ市大湊常楽寺

 真言宗当山派の寺で円空作の阿弥陀如来立像が伝わる。

 今回拝観をお願いしたところ「コロナが落ち着いたらゆっくりお越しください」とのこと(ToT ギフケントオイデス

 縫道石山に向かう途中ちょうど門前を通りかかったので立ち寄ってみた。港を見下ろす位置にある。

 常楽寺はかつて万人堂があったのと同じ田名部にあり、神宮寺だった(経緯がややこしいのでこちらを見てください)。

 明治33年(1900年)に現在の場所に移った。

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○佐井村長福寺

 佐井村はマサカリ型の下北半島の「刃」の部分にあたる津軽海峡に面した村。

 江戸時代は南部藩領で、ヒバの産地および積出し港として、また蝦夷地への渡船港として栄えたという。

 円空作の十一面観音像が慶長七年(1612年)開山の曹洞宗の長福寺に伝わる。

 ただし円空仏は、佐井の鎮守箭根森八幡宮の別当寺清水寺に伝わったものが、神仏分離の折、廃仏を避けるため移されたのだという。

 ぜひとも拝みたかったが、お寺の仏事と重なり拝観できず残念。

 ちなみに、佐井村の縫道石山登山口の看板にも、十一面観音が登場されていた。

 佐井村のシンボルとなっているのでしょう。

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 結局、弘前市の西福寺の二体しか円空仏には会えなかったけど、円空が確かに訪れただろう場所に何カ所も立つことができた。

 

 山岳修業の先達として、槍ケ岳を開山した播隆が円空を慕っていたように、

 播隆とほぼ同時代人の大冒険家菅江真澄も、自分の行く先々に現れる円空の足跡に、畏敬の念に打たれのだろう。

 寛文9年(1669年)のシャクシャインの戦い時の松前藩家老だった蠣崎蔵人広林や、尾張藩にいた明王朝の亡命王族張振甫のために仏像を作るなど、円空の活躍は知れば知るほど幅広く、奥深い。

 近年では、棟方志功、梅原猛、井上雅彦までが、「親父」「私の内にあり」「師匠」などと呼んでいる。

 

 知れば知るほどすごすぎる円空、先入観で見ることをなるべく避け、これからもたんたんとその足跡を追いかけてみたい。

 

| ぼっち | 大先達円空 | 18:29 | comments(0) | - | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
WALKあばうと青森Α祝テ酸仍魁覆未い匹Δい靴笋沺626m)

8月10日(月・山の日)、WALKあばうと青森も最後の日。

最後の山は、下北半島の北端に近い、縫道石山(ぬいどういしやま)であります。

青森市からさらにレンタカーで3時間30分ほどかけて、標高626mの山に登るのかって言われると、ううむ。

でも、わが敬愛する円空も、下北半島の先端までやって来ていますから。。

 

むつ市大湊から川内川に沿い、県道46号線、253号線で恐山山地を横断、立派な林道に入る。

ヒト以外の霊長類では世界北限と言われる、ニホンザルにもお目にかかった。

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登山口には、駐車場や「貸し熊鈴」まで用意されている。

登山道もよく整備され、先行の八戸ナンバーの登山者があった。

送ってくれた連れ合いは、仏ヶ浦観光。

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登りだしは、落葉広葉樹林が中心で、立派なブナもある。

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いったん下った鞍部で野平集落からのルートと合流するらしいが、廃道状態のようだった。

その周辺はいったん伐採されスギ林に変わっている。

そこから本格的な登りにさしかかる。

青森県の特産、ヒバ(ヒノキアスナロ)が優先する森となる。青森の山に来たなあと実感する。

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縫道石山は、火山岩頸といって噴火の際の火道(パイプ)につまる溶岩栓が周りより堅く、侵食から取り残され地表に突き出た山なんだそう。

今回登山開始時点で山容を確認できないまま登り始めたけど、こんな岩山に登ることができるのかというほどの岩峰らしい。

(そうでなければわざわざ岐阜県からいくこともない。)

しかし、登山道自体はずっと樹林に包まれていた。ようやく岩肌と、山頂方向が見え、いよいよかなと思った。

ちょっとした鎖場を通過。

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その先もヒバの林で、なんということもなく山頂に出てしまった。

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山頂は大きな岩が積み重なり樹木がない。

眼下に福浦川沿いの福浦の集落と、陸奥湾、その先に津軽半島や北海道方面がぼんやりと眺められる。

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2時間30分あまりで下山。

連れ合いが「あんなすごいどうやって登ったの?」と言われ、福浦方向に車を進めてようやく縫道石山の姿を目にできる。

おお! すごい岩峰。火山岩頸の典型例と言われるだけある。

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林道を下り、海岸沿いの国道338号線と合流したところに、「ぬいどう食堂」がある。

うに丼でとても有名な店で、1500円で丼一杯のウニという画像に惹きつけられた。

さらに、佐井村の長福寺には、円空の十一面観音像もある。

山・うに丼・円空仏の3点の魅惑に、はるばる下北半島の北までやって来た次第。

・しかしぬいどう食堂は、「本日うにありませんです」の非情の張り紙。

・さらに、長福寺は前日電話したところ、仏事があるため終日拝観できない由。

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食堂は、お母さんが一人で切り盛りされていて、せわしく働きながら、時々かかってくる電話に対応される。

どうも「ウニありますか?」の問い合わせ見たい。

ウニは今が旬だけど、雨が続いて海が濁り漁ができなくてね、と申し訳なさそうに話されていた。

かわりに歌舞伎丼という海鮮丼をいただく。。

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食堂に置かれたアルバムで、縫道石山の岸壁に特産するオオウラヒダイワタケの写真を見る。

「縫道石山の特殊植物群落」として、地衣類では、日本唯一の天然記念物なんだとか。

山頂の岩にあったような、なかったようなだったけど、しっかりどのようなものか確認できてよかった。

樹木の伐採で霧が発生しなくなり、一時期絶滅しかけ天然記念物に指定された。

最近はロッククライミングによる荒らされにも気をつかっているのだとか。

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帰路、国道338号線から仏ヶ浦を見下ろす。

長福寺の円空仏は拝めなかったけど、大先達円空のはるばる訪れた場所に来ることができ心残る青森の山旅でありました。

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<登山記録>  (―:車、…:徒歩) (↓地図クリックで拡大)

2020年8月10日(月・山の日) 曇 単独行

青森5:30―野平林道縫道石山登山口8:50…鞍部(野平分岐)9:10…縫道石山山頂10:10〜10:30…登山口11:30―ぬいどう食堂11:50〜12:50―17:30青森空港19:55―名古屋空港21:20―自宅22:10

 

| ぼっち | 東北の山 | 05:58 | comments(0) | - | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
WALKあばうと青森ァ襲天弘前・青森

WALKあばうと青森 4日目の9日(日)は、終日雨の予報。

山の方は休みとし、弘前市の西福寺の円空仏拝観(14時〜)をメインの日とする。

 

下北半島の薬研温泉から弘前市までは、約1703時間の移動。

着いたらもうお昼。

津軽は煮干しラーメンが有名で、「たかはし中華そば店」で濃厚な煮干しスープのをいただく。

ぼっちは、ネギが好きなので、ネギがトッピングされ、チャーシューが見えなくなっております。

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14時まで、まだ時間があるので、弘前城を訪問。

ここのソメイヨシノは、すこぶる巨木ぞろいで、日本一の桜の名所を地元が標榜するのもうなづける。

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天守閣は、石垣の補修のため曳家され別位置にあった。

天守台は津軽のシンボル岩木山の展望スポットでもあるけれど、雨雲に包まれ裾野だけ。

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さあて、時間も参りました。

緊張して、新寺町にある浄土宗の寺院西福寺を訪問。

その詳細は、最後に別途まとめます。

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濃密な円空仏との対面の時間。。。

一服に藤田記念庭園にある古い洋館の喫茶室を訪問。

林檎の産地で、人口当たりフランス料理店が多いことでも知られる弘前市は、アップルパイの店がとても多い。

ここの喫茶室では、いくつもの有名店のアップルパイが取り寄せられて、選ぶことができる。

競争が激しいだけに、それぞれ個性的で、レベルが高いおいしさ。

長野市あたりも、アップルパイにもっと力を入れたらいいのにと思ってしまった。

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弘前市から今宵の宿泊地青森市に移動。

ホテルにチェックインし、夕食までちょっと街を歩く。

青森市で最もしっかりしてそうな本屋で、山の本と円空の本をさがす。

山の本は多くなく、「東北のゆったり山歩き」という本だと、青森県は、岩木山、八甲田山、白神岳、奥入瀬、大尽山の5山だけ。

その割に、狩猟の本が充実しているのが印象的だった。

円空の本は、検索してもらったけど、井上雅彦の「円空を旅する」しかないとのこと。(←ぼっち持ってます。)

地元で出版された本は見当たらなかった。

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夕飯は、青森駅前の、居酒屋おさないにて。

階下が、おさない食堂になっていて、そこの定食も食べられる。

最後の夜なので、青森県で食べ残した貝焼など、郷土料理をいろいろ注文し、「田酒」もいただく。

さて、明日はふたたび下北半島へ北上、最後の山縫道石山登山が待っているので、早めに帰りるとしましょう。

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| ぼっち | OFF TIME | 21:39 | comments(0) | - | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
WALKあばうと青森ぁ如讐舎免湘腓OFF TIME

8日、吹越烏帽子を下山後、六ケ所村に立ち寄った後、陸奥湾側の横浜町に出て、道の駅で遅い昼食。

ホタテの名産地で、ホタテラーメン、ホタテフライ、ホタテ丼とホタテ三昧。

特に分厚いホタテフライは、ビールと一緒に食べたかった。。

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腹ごしらえを済ませ、下北半島を北上、恐山へ。

恐山は、八甲田山に同名のピークがないのと同様、カルデラ湖の宇曽利山湖とそれを取り囲む山々の総称で、同名のピークはない。

大尽山(827m)と最高峰の釜臥山(878m)が登山の対象となっている。 今回は、登る時間が取れず残念。

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恐山は、死者の還る山として独特の信仰の山となっており、その中心は、地蔵信仰。

寺伝では、貞観4年(862年)天台宗の慈覚大師円仁の創建とされ、その後大永2年(1522年)曹洞宗の僧聚覚が南部氏の援助で田名部(現むつ市田名部)に円通寺を建立し、さらに恐山菩提寺を中興したとされる。

道元の思想と地蔵信仰や恐山というのは結びつきにくそうだけど、曹洞宗が先祖供養などを取り込んで世俗化していく過程で、地蔵信仰が導入されたという論文がいくつもあるのを知り、納得。

 

江戸時代の正徳4年(1714年)発行の『和漢三才図絵 巻六十五』の焼山(恐山)の項には、

「開基慈覚太子 千体石地蔵を作る。中尊は長五尺許 其他は小仏なり。而して人取去って 今僅に存す。

近頃圓空なる者有り 千体像を修補す。」と記されている。

 

現状は、世俗的な印象のお寺であります。

突き当たりにある真新しいお堂が地蔵堂で、信仰の中心となっている。

円空が修補した地蔵は今は失われているようだけど、そのかわり、地蔵堂には円空作の十一面観音と観音菩薩半跏像が客仏扱いで納められている。

これを拝みたかったのだけれど、午前10時頃と午後2時頃の内陣拝観時間しか見られないらしく残念。

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地蔵堂の脇は噴気が上がり、血の池地獄、重罪地獄などと名付けられた地獄めぐりの霊場になっている。

立山や雲仙などの地獄も巡っている山馬鹿には、人工物が多い印象。

おどろおどろしいもの好きの連れ合いは、「もっと風車が多いのかと思っていた」と申しておりました。

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下北半島のマサカリの刃の部分は、恐山山地と呼ばれる山また山。

森の中にある薬研渓谷沿いに、8日の宿、薬研温泉薬研荘がある。

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いたって地味な民宿風の建物。

でも、ホテルニュー薬研という中核のホテルが2016年に閉鎖された今では、薬研温泉の代表的な宿泊施設。

山菜取りの名人として知られるおかみさんが頑張って切り盛りされている。

検温して、部屋を間引いて営業され、温泉も別のお客さんが入っている時は入らないようにと気を遣われていた。

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傘をさして、防虫ネットを被って、周辺を散歩する。国設の立派な野営場があった。

ぼっちは、虫に愛されやすい体質なのか、アブが20匹も30匹も寄ってくる。

防虫ネットをかぶってもいないのにアブが寄り付かない連れ合いに、「蠅の王」みたいと笑われる。

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さて、夕飯。

10種類の天然キノコが入ったきのこ鍋や、天然きくらげの酢の物、山菜ミズのお浸しなど、お手間入りの料理がおいしかった。

温泉も、2,3人までの小さなタイル張りの浴槽だけど、透明な湯がかけ流しでふんだんに湧き出して、さっぱり疲れが取れた。

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今回の青森訪問にあたっては、7月22日から前倒しで国がGOTOキャンペーンをやる際に、むつ市長が「感染が拡大している局面でやること自体、愚かだ」との発言が全国ニュースで流れ、気になっていた。

 

薬研荘をチェックアウトする際、おかみさんから「これ、むつ市長から」と、マスクをいただいた。

「むつ市へようこそ!! (中略)感染予防対策にお役立てください。むつ市でのご滞在が素敵な思い出となりますことをお祈り申し上げます。どうぞお体にお気をつけてお過ごしください。」とのメッセージ入り。

むつ市には、ストッキングなどを製造するアツギの工場があり、新型コロナ禍で、地元雇用に深刻な影響が出ているという。

そのため、ストッキング素材でマスクを作ってもらったものを市で買い取り、観光施設などに配布しているのだそう。

「感染者用の病床がむつ市で4床しかないし、老人ばっかりの地域だから市長が心配してああ言ったの」

わざわざ薬研荘に市長自らストッキングを持ってきてくれたということで、若き市長の評判は上々でありました。

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われわれも、マスクをし、密にならないよう気を遣い、毎日持参の非接触型体温計で検温をしながら旅を続けますのでよろしくお願いします。

 

| ぼっち | OFF TIME | 15:25 | comments(0) | - | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
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