WALK あばうと 日本4,000山

「新日本山岳誌」掲載の約4000山が修行の地。 めざせ山仙人!
スキーの歴史を知る―野沢温泉 日本スキー博物館

ひと冬1回くらいはスキーをしたいし、温泉玉子も食べたいなと、野沢温泉スキー場へ。

足元の見えないチャレンジコース39°のカベも、行っちまいました。。

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冬山登山に、スキーは付きもの。

今回は前から気になっていた「日本スキー博物館」を訪問、スキーの歴史について勉強してみよう (ロ。ロ)/オウ

 

博物館は、野沢温泉スキー場の名物コース「シュナイダーコース」の直下、伊勢宮ゲレンデにあり、スキーを履いたまま行ける。

オーストリア国旗とフランス国旗の掲げられた外観はこじんまりした印象。

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実は入口部分は2階で、下にもう1階あるので、内部は想像以上に広く、ぎっしり展示が詰まっている。

それでは順路に沿って、日本のスキー史をたどっていくことにしましょう。

 

日本のスキー発祥というと、明治44年(1911年)新潟県高田でレルヒ少佐が教えたのが初めてだと思っていた。

しかし、雪上歩行にスキー状の道具を使っていた例としては、文化5年(1808年)、樺太探索をした間宮林蔵の報告書『北蝦夷図説』に、スキーに似た雪具をつけた人の図が描かれているのが、日本初のスキーに関する記述と推定されるそう。

さらに、明治23年には北海道の開拓に関わった外国人がスキーを持ち込んでいたりしたという。

このへんは、日本人にアルピニズム精神を伝えたウエストンに先行し、「日本アルプス」の名付け親でもある明治初期のお抱え外人ガウランドが自分たちの楽しみとして山に登っていたことと共通する事情があるんでしょう。

さらに、青森第5連隊が八甲田山中で大量遭難した(明治35年)の見舞として、明治42年ノルウェー国王よりスキー2台が贈られたりもしている。

 

レルヒ少佐が、高田の第13師団歩兵58連隊団長の長岡外史に招へいされ、明治44年にスキー技術を伝授したのも、その背景に八甲田の大量遭難があった。

レルヒは、翌明治45年再来日し、北海道の旭川第7師団にもスキーを教えている。この時には中佐になっていたので、北海道では彼のことを、レルヒ中佐と呼び習わしているとか。

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レルヒを招へいした、長岡外史は、1904年の日露戦争で参謀次長として活躍し、退役後は衆議院議員もなっている。

なかなかの人物だったようで、スキーを軍事技術として導入するだけでなく、生活にも役立つだろうと民間にもスキー技術を伝え、女性のスキー進出も勧めたそう。

それにしても、立派なヒゲですな。。

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ただし、レルヒ少佐の伝えたのは、一本杖スキーで、雪上歩行が中心。すぐに、北海道で広まった2本杖が主流になる。

ちなみに、北海道では、今もスキー登山が盛んであります。

 

そして、スキーの技術と指導法を確立し、スポーツとして世界に広めた立役者が、オーストリア人のハンネス・シュナイダー。

1931年に「スキーの驚異」という自ら出演する映画を製作、これが世界にスキーブームを巻き起こす。

1930年には、秩父宮の招待で来日し、野沢温泉などでスキーの指導を行った。

野沢温泉スキー場が名門スキー場として今の隆盛を誇るのも、シュナイダーの功績が大きい。

博物館では、ビデオで「スキーの驚異」を流していて、その圧倒的なスキー技術には、今でもひき込まれてしまう。

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そのほか、中国のスキー、モンゴルのスキーなどの展示もあった。

雪中歩行の道具として、同じような形をとっているのが面白い。

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1階には、日本の雪にまつわる道具の展示もあった。

スキーのような形の板は、荷物を運ぶソリだそう。

1階には、ほかに競技スキーの歴史の展示もたくさんあったけど、山馬鹿は興味がないのでパス。

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スキー博物館の外のゲレンデには人だかりが。

その真ん中では、二組に分かれた地元の男衆が、樹を競争で引っ張っている。

15日にある、道祖神祭りに使うブナの木を山から伐り出して運んているのだとか。

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スキーを片付けて温泉街に戻ると、旅館の前で祭りの男衆が、大声で「サアてば 友達良いもんだ」という道祖神の歌を歌っている。

よく見ると、町中に入ったブナは木のソリの上。

博物館で見たのとほぼ同じ姿で、今も使われているんだな。。

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| ぼっち | お山の勉強室 | 09:32 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
1月の大坐小屋たより―雪中初詣で

新年だから、改めて申しますが―

当ブログ管理人ぼっちの名前の由来を、独りぼっちの「ぼっち」だと思われている方もおられるかも。

しかし、この名は長野市のシンボル飯縄山山麓にある大座法師池に伝わる大男ダイダラボッチの伝説にちなむもの。

そして、ぼっちが管理している標高1,100mの飯綱高原にある大坐小屋の名もこの池からもらったものなんであります。

それじゃ、なぜ「大座」じゃなくて「大坐」にしたのかは、ゆったりすわるという意味を強調したかったから。

現実には、小屋でゆったりすわっているのは連れ合いで、ぼっちはせっせと管理人業に励んでいるんですがね (ロ。ロ;ビンボウショウ

 

さて、1月の三連休、管理人の初仕事、雪下ろしをしに連れ合いと大坐小屋へ。

まずは、飯綱高原に上がる前に、善光寺に初詣で。

今年も、怪我なく山に登れますように。山馬鹿でも家族平和でありますように。

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善光寺のすぐ裏手からはじまる、七曲りのヘアピンカーブを一気に登り、標高1,100mのカラマツ林の中にある大坐小屋に到着。

雪下ろしをするぞと、意気込んできたのに、積雪はたったの20僂曚匹如1月としては、記録的に雪が少ない。

今回は、雪下ろしは省略。

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時間ができたので、飯綱高原から車で20分ほど奥に入った戸隠神社にも初詣で。

途中の棚田のあたりは、さすがに雪も深くなり、戸隠連峰が岩と雪の屏風になってそそり立つ。

20190112戸隠連峰.jpg

戸隠神社は、宝光社、火之御子社、中社、九頭竜社、奥社から構成される。

まずは宿坊の並ぶ中社前の戸隠蕎麦の名店、「うずら家」で、深山おろしをいただく。

このお店は、参詣の人をもてなすという精神がすみずみまでいきわたっていて、こちらも改まった心になる。

中社では、小屋の新しい火防守護のお札を購入。

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奥社は、冬季は雪崩が多発するため参詣できないけど、途中の随身門あたりまでは、長靴でも往復できる。

今回は、わかんを着けたことがない連れ合いを引率し、あえて参道を外れて樹林の中を行く。

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参道周辺の樹林は葉を落とし、その幹の大きさ、枝の広がりに改めて感動する。

特に、ミズナラは三抱えくらいの太さのものもある。

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明治初年の神仏分離以前は仁王門だった丹塗りの随身門からは、杉木立が続く。

この杉木立は、戦国期の荒廃を経て、江戸初期(17世紀)に、江戸寛永寺の末寺として整備された折に植えられたもの。

随身門の下で、ポットのお湯でコーヒーを淹れて一服。さて引き返しますか。

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夜は、ストーブで温めたポトフが主菜。

赤ワインを飲んで、今夜はゆっくり眠れそう。おやすみなさい。

20190112ポトフ.jpg

 

| ぼっち | 山小屋たより | 06:11 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
熊野灘展望の山 高峰山(1,045m)

亥谷山を後に、次に向かったのは、高峰山(たかみねさん)。

北の高見山、大台ヶ原から続く台高山脈の最南の山のひとつで、尾鷲市の最高峰(標高1,045m)。

「一等三角点百名山」「近畿百名山」というのにもなっている。

 

従来の登山口は、標高807mの矢ノ川(やのこ)峠。

かつては、この峠越えのルートが国道42号線で、1936年から国鉄の紀勢本線が開通する1959年まで、国鉄バスが尾鷲と熊野をつないでいた。

1968年に矢ノ川トンネルが開通したため、同ルート部分は国道から除外され、尾鷲市の市道矢ノ川線となっている。

ただし、市道といっても、現在は作業車以外全面通行止め。

 

そのため、最近は、次の2つの方法で登られている。

➀国道42号線矢ノ川トンネル東出口近くの市道矢ノ川線入口から9卻發い凸陬寮酘修泙能个董別2時間30分)、峠の登山口から山頂に至る(峠から約1時間30分) 往復約7時間強

国道425号線八幡トンネル西出口近くの古川沿いの林道川原木屋線を5匱緤發い禿仍蓋に至り(約1時間30分)、高峰山手前の鞍部に出て(登山口から約30分)、山頂に至る(鞍部から約30分) 往復4時間30分程度

 

時間の短い△離襦璽箸鯀択する登山者が多いようだけれど、そちらから登られた方の話では「北側から入るので、海が見えないし、林道歩きが長いのに対し登山部分は短い」とのことだったので、➀のルートを矢ノ川峠までMTBを使い登る計画にしてみた。

 

林道入口から峠までの標高差は約550m、MTBルイガノ号、頑張っていこう。

20190106矢ノ川林道入口.jpg

道は未舗装・舗装が混じるものの、斜度がゆるく取られているので、MTBなら走行は問題なし。

南谷沿いに快適に走っていたら、いきなり道端から、獣のうなり声。

びっくりして、転がり落ちそうになった衝撃で、前輪の車軸を止めているネジが飛んでしまった (×。×; ヤバイ

手負いの子猪で、こっちが驚いている間に駆け去っていった。

ルイガノ号がうちに来たのが2006年、今まで酷使してきたからなあ。。

でも、ここで計画断念はしたくない。電工テープで応急処置をし、無理をしないように走行続行。

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矢ノ川峠までの途中には、トンネルが5つあって、手掘りのものもあり、道を開いた先人の苦労がしのばれる。

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入口から7卉賄世里箸海蹐如熊野灘の展望が開ける。

このあたりから、路面に落石がみられ、斜度も少々きつくなる。

標高差500m近く漕ぎあがった身には、その少しばかりの落石回避や斜度がこたえ、8匱蠢阿納衂蕕い離襯ぅノ号には待っていてもらい、徒歩に切り替え。

201901067キロ地点.jpg

ようやく矢ノ川峠に到着。

尾鷲方向に展望が開け、八鬼山(647m)や亥谷山の向こうに熊野灘の大展望が広がる。

標高が高い分、亥谷山より水平線は遠く、広い。

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国鉄バスが通っていた頃、峠には茶店もあったという。

「冬の日の ぬくもりやさし 茶屋のあと  稲田のぶへ 眠る」という石碑の脇から、登山道がはじまる。

20190106高峰山登山口.jpg

踏み跡はしっかりしており、かつてはササが茂っていた跡が残るけど、今は全くないので快適に進む。

まわりの樹林は、樹齢数十年とみられるマツや、リョウブ、ヒメシャラなどが中心で、植生だけでいうと、亥谷山の方が立派。

峠からしばらくで国土交通省の無線中継塔を通過する。どうも機材はヘリコプターで運んでいるようで、車道はない。

20190106高峰山登山道.jpg

3回アップダウンを繰り返した鞍部で、八幡山トンネルからのルートとの分岐に出会う。

展望のないヒノキの植林帯を行くようで、確かに登山の楽しみからだけいえば、矢ノ川峠からの方に軍配が上がりそう。

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冬枯れした樹林の間から西に、大峰山脈の稜線が見える。

かつて吉野から熊野まであの稜線を貫く奥駈道を大縦走しただけに、感慨ひとしお。

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樹林は、一回ほぼ皆伐されているようで、大きな切株などが残る。

山頂直前で、岩に根を下ろした立派なヒノキ2本に出合う。

ここから最後の登りは、痩せた岩稜を縫って進む。

20190106ヒノキ.jpg

自転車を漕ぎつかれた脚をだましだまし、ようやく高峰山山頂に到着。

立派な一等三角点と対面。やりました。

20190106高峰山山頂.jpg

南東には発電所の煙突がシンボルの尾鷲の街と、熊野灘。

20190106尾鷲方向.jpg

北には、大台ケ原をはじめとする台高山地、西には大峰山脈が横たわる(画像は台高山地の大台ヶ原方向)。

ゆっくり同定したいところだけれど、冬の日暮れは早い。さあ、戻ろう。

20190106大台方向.jpg

瀕死のMTBルイガノ号が頑張ってくれ、何とか真っ暗になる前に国道42号線にたどり着く。

ルイガノ号、どうやら今回でお別れみたいだけれど、今まで多くの山のアプローチに活躍してくれてありがとう。

 

<登山記録> (―:車、=:自転車(MTB)、…:徒歩) (↓地図クリックで拡大)

2019年1月6日(日) 晴時々曇 単独行

(亥谷山より)―市道矢ノ川線入口(駐車)11:10=入口から8卉賄(駐輪)12:40…矢ノ川峠登山口(昼食)12:55〜13:10…無線中継所13:25…鞍部(八幡トンネルへの分岐)14:05…高峰山山頂14:40〜14:50…鞍部15:15…矢ノ川峠16:25…8卉賄16:50=市道入口17:50―(帰路)

 

<メモ>

・かつて国道42号線だった市道矢ノ川線は、車で峠まで行った古い情報がネットで見つかるが、今は作業車以外入れない。

 未舗装・舗装が混じり、林業用に使用されている下部は問題ないが、上部は落石が多い。

 徒歩やMTBなら、2019年1月現在では問題なく通過はできる。

・国道42号田の市道矢ノ川線への入口近くに、公衆電話のある停車帯があり、駐車可能。

| ぼっち | 日本4000山 | 06:22 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
干支<亥>の付く唯一の山 尾鷲 亥谷山(689m)

今年は干支(えと)が亥ということで、猪の名の付いた山に登る皆さまもおられるはず。

猪の付いた山を国土地理院の「電子国土Web」で探すと、宮城県の猪倉山(246m)、猪眠山(67m)、福島県の白猪森(714m)、岐阜県の猪伏山(1,519m)、三重県の白猪山(819m)、滋賀県の猪背山(553m)、岡山県の猪辻山(731m)、佐賀県の猪熊山(131m)、大分県の猪群山(458m)、宮崎県の猪田山(741m)などが見つかる。

特徴的なのは、高い山や、雪国の山は、ほぼ含まれないこと。これは雪の苦手な猪の生息地との関係もあるのでしょう。

 

このように「猪」の付く山は結構あるのに、「亥」(※)の付く山は、ぼっちが調べた限り、日本にひとつしかない。

その唯一の山は、三重県尾鷲市賀田地区にある亥谷山(いがたにやま:688.5m)。

※「亥」は、「門」の中に「亥」を入れた「閡」という字が正式で、草木の生命力が種の中に閉じ込められた状態を表しているとされ、後に、覚えやすくするため動物の「猪」があてられるようになった。ちなみに、「猪」は、中国ではブタのこと。

 

登山対象の山としては無名で、地図に登山道はないところもそそられ、1月6日に亥年のスタートに計画。

山裾に林道があり、山頂を送電線が通っているので、巡視路があることを期待。

年末百々ヶ峰での反省から、2万5千分の1地形図を持参。

 

3時過ぎに家を出発、紀勢自動車道ができたおかげで、夜明け前6時30分には現地に到着。

林道を下見したところすれ違いも難しそうなので、賀田の集落外れに愛車奥地君を待たせ、6時50分、いざ出発!

 

ミカン畑のある賀田集落から見上げる夜明け前の亥谷山。山頂に鉄塔があるから同定しやすい。

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山裾の林道は荒れていて、途中で土砂を被り通行できない箇所もあるので、徒歩で正解だった。

銘木として知られる尾鷲ヒノキの林間に、大規模な石垣を発見。全長は100mを越えそう。

亥谷山という名前が付くくらい猪も多かっただろうし、これは民俗学者宮本常一の本で読んだ、猪避けの猪垣というやつらしい。

20190106猪柵?.jpg

林道途中に、「亥谷山登山口」という、文字がかすれた標識を発見。

ちょっとした踏み跡に過ぎないけど、地図で読むと明確な尾根につながっているので、取り付いてみる。

結果、林業者の踏み跡はあちこちにあるものの、明確なルートにはなっておらず、急斜面に花崗岩の大岩が連続し、巻いていかなくてはならない。

地図では、こんな地形までは読み取れなかった。。

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尾根が主稜線に出る直前で、巡視路と合流。

やはり、もう少し我慢して林道を進めばよかったみたい。

20190106巡視路合流.jpg

25号鉄塔の立つ地点で、主稜線に出る。

20190106尾鷲賀田線25号鉄塔.jpg

鉄塔下が切り開かれ、亥谷山山頂部と対面。

ここまでの、ヒノキの植林とはうってかわり、立派な照葉樹林に包まれている。

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巡視路は岩だらけの急斜面をたどるけれど、お約束のプラスチックの階段が付けられているので、割と楽に登行できる。

シイやカシを主に、カマツカ、リョウブなどの低木、ところどころにモミの大木も混じる。

紀伊半島南部の沿岸部の山まで来たんだなあと実感できる植生。

20190106亥谷山巡視路2.jpg

干支の山、亥谷山山頂に到着。

樹林帯の中ながら、山頂に23号送電鉄塔が建つので、南と北に通る送電線下が伐り払われ、賀田湾越しに熊野灘が展望できる。

海が見えると異様に高揚しちゃうのが、海のない岐阜県民の悲しき性(さが)。

思わず、LINEなんかで、あちこちに、明けおめメールを送信してしまった。。

20190106亥谷山山頂.jpg

二等三角点の先にも巡視路は続いている。

地図では、西に位置する、高峰山の手前まで送電線が続いているので、縦走することができるのかもしれない。

20190106亥谷山三角点.jpg

帰路は、巡視路を急降下。

林道からの入口も明確。せっかちに取り付かず、もう少し偵察すればよかった (ロ。ロ; ハンセイ

20190106亥谷山巡視路入口.jpg

林道を下りながら、取り付いたところの標識を再確認。

標識の頭が欠けているけれど、よく見れば赤い矢印の痕跡があるので、先へ進めという意味だったかも。な

さらに250mほど降りた橋のたもとの標識をよく見ると登山口800mとある。よく見ておけばよかった。。

結局、昨年の登り納めの百々ヶ峰登山に引き続き、反省点は多し。

ま、不用意はいけないけど、正解ばかりでなく、試行錯誤しながら登るのも、山修行らしくていいかも。

20190106亥谷山道標.jpg

新年早々の干支の山だから、登山者もあるかと持っていたのに、結局ぼっち独りきり。

全国唯一の干支の山、亥谷山は、冬でも雪の心配がなく登れ、送電線視巡視路を利用でき、往復3時間弱で、山頂から熊野灘が展望でき、照葉樹林に包まれた、なかなか掘り出し物の山でありました。

 

<登山記録> (―:車、…:徒歩)  (↓地図クリックで拡大)

2019年月1月6日(日) 晴時々曇(日食) 単独行

自宅3:15―(伊勢自動車道・紀勢自動車道)―尾鷲北I.C.ー賀田I.C.ー賀田6:30(林道偵察後駐車)6:50…取付き7:15…25号鉄塔8:10…亥谷山山頂8:50〜9:10…25号鉄塔…巡視路入口10:15…賀田10:35―(高峰山へ)

 

<メモ>

・国土地理院2万5千分の1地形図には登山道は載っていない。

・しかし、山頂に中部電力の送電線尾鷲賀田線の23号鉄塔が経っており、その巡視路が利用できる。

・特に2019年は、亥年ということで、地元で標識を追加するなど整備をされたとのこと。

・尾鷲市賀田から山麓には地形図にも記載された林道があり、そこからアプローチする。

 ただし、すれ違いが困難で路面状態も悪く、1月現在は途中で土砂を被り通行不能だった。

 そんなに長い林道歩きでもないので、賀田集落の、地元に迷惑とならないスポットを探して駐車した方がいい。

・林道1劼△泙蠖覆爐函25号鉄塔に向かう明確な送電線巡視路の入口があり、標識もあるので、ここに取り付く。

 巡視路は、現時点ではよく整備され、急斜面だが快適に進める。

 25号鉄塔まではヒノキの植林帯、その先は照葉樹林となる。

・巡視路入口から山頂まで1時間半程度、下りは1時間程度。

・山頂には二等三角点があり、南の賀田湾、熊野灘方面、北の高峰山方面の展望が望める。

 

| ぼっち | 日本4000山 | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
金生山の初日の出

金生山(カナブサン、地元の通称はキンショウザン)は、大垣市北西部にあり、ぼっち家の裏山でもあります。

このおめでたい名前の山で、1月1日初日の出を拝む、ぼっち地元の山の会の恒例行事に初参加。

 

金生山は伊吹山地の最東端にあたり、標高はかつて260mくらいあったはずだけど、今は217m。

というのも、伊吹山と同じく山体が石灰岩でできていて、日本有数の石灰鉱山として大きく削り取られてしまったため。

その石灰岩は、約2億5,000万年前の古生代ベルム紀に、海底の地殻変動により逆断層となり、隆起して古生物が堆積物となったものとされ、ウミユリ、フズリナ、アンモナイトをはじめ海生生物の化石が豊富に含まれている。

中山道沿いに位置し、江戸時代から石灰岩とその変成岩である大理石が採掘されてきたことから、化石の存在が早くから知られ、19世紀の終わりにドイツの古生物学者ギュンベル(※)が化石の山として紹介したことから、世界的に知られるようになった。

そのため、「日本の古生物学発祥の地」と呼ばれることもある。

※ギュンベルは、1874年金生山産の化石をフズリナ・ジャポニカとして紹介した。ギュンベルは、ミュンヘン大学の地質学の教授で、フォッサマグナや中央構造線、ナウマンゾウの発見で知られるナウマンの先生でもあります。

 

また、石灰岩の山地特有の陸生貝類や、それを餌とするヒメボタルなどが生息し、生物学的にも貴重な場所となっている。

さらに、山上には、明星輪寺という、役行者が建立したと伝わる、少なくとも平安時代まではさかのぼる山岳寺院がある。

 

メンバー17名は、6時に集合、夜明けを期して登山開始。

今石灰岩の採掘からのがれているのは、寺とその参道のあるあたりだけで、参道の両側は崖っぷち。

それでも展望がすこぶるいいため、初詣でを兼ね初日の出を拝みに来る人が大勢ある。

(画像は、南側の養老山脈)

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30分足らずで、標高約160mの地点にある明星輪寺に到着。

寺の周りだけは山岳寺院のたたずまいを残している。

門の仁王様は、鎌倉時代のもの。

20190101明星輪寺.jpg

明星輪寺の本尊は、虚空蔵菩薩で、地元では「こくぞうさん」と呼ばれ親しまれている。

本尊は、岩屋の中にあり、これを抱き込むように本堂が建てられている。

本堂裏手には標高175mほどの「岩巣公園」と呼ばれる石灰岩のカルスト地形がみられ、岩の上からのご来光がすばらしいという。

20190101岩の巣公園.jpg

日の出の時間、月と金星と太陽がほぼ一直線に並ぶ、素晴らしい天体ショー。

20190101月金星夜明け.jpg

7時過ぎ、凍てついた濃尾平野の水平線から初日の出があらわれる。

こんな簡単に、こんなすばらしいご来光を拝めるとは、地元にいても知らなかった。。

20190101ご来光.jpg

初日に染められた東方の山々。傘雲を被った御嶽山から木曽山脈を経て恵那山が連なり、その手前には、百々ヶ峰と金華山が。

北方には、小津権現山と花房山が雪をかぶった姿で見られるけど、能郷白山や白山はその背後になって拝むことはできない。

そのせいか、この山には白山神社ではなく、役行者ゆかりの蔵王権現が祀られてきた。

(明治初期の神仏分離で蔵王権現は中腹の金生山神社に分祀。)

20190101恵那山御岳.jpg

金生山は、濃尾平野からいきなりせりあがるから、標高が低くても、素晴らしい展望が得られる。

この展望があるからこそ、もっとも標高が低い「続ぎふ百山」となったんでしょう。

20190101明星輪寺から濃尾平野.jpg

お神酒と持ちよりのお節をつまんで解散、8時には自宅に到着。

なんとも得した気分の、ぜいたくな新年のスタートでありました。

 

| ぼっち | 「岐阜百名山」勝手に選定委員会 | 21:27 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
2019年 今年も山修行

ブログ「WALK あばうと日本4000山」管理人ぼっちです。

2019年も、よろしくお願いします。

 

山に登れば登るほど、「本当にその山に向かい合えたんだろうか」と、不確かな思いにとらわれる。

それはたぶん、さまざまな修行・修練に付きまとう、壁のようなものかもしれない。

だからこそ、さらに奥へと、山修行を深めたくなってしまう。

そんな山馬鹿の、2019年の目標は次のとおり。

 

〇大目標 「飛騨の山岳を知る」

 昨年まで3年かけて、美濃の山々を集中的に登ってきた。今年は、飛騨の山を集中的に登る計画。

 

 1876年(明治9年)、廃藩置県に伴い美濃と飛騨が統合され、今の岐阜県ができて150年足らず。

 その前、律令制のしかれた7世紀から江戸時代まで、美濃と飛騨は別の国だった。

 濃尾平野にある美濃と、高山盆地など以外はすべて山地の飛騨では、風土も歴史も、そして山に向かう心も異なる。

 

 飛騨の山岳は、北アルプスとも呼ばれる長野・富山県境の飛騨山脈、石川県境の白山連峰と、その中間に横たわる飛騨高地で構成される。

 霊山・高峰が連なる飛騨山脈や白山連峰は、全国から登山者を集めているのに対し、最高峰猿ケ馬場山でも1,875mに過ぎない飛騨高地は生活の中にある山であり、関東・関西などの都市圏から遠く、登山の対象としては超マイナー。

 飛騨山脈や白山連峰が「ハレ(晴れ)の山」とするなら、飛騨高地は「ケ(褻)の山」ということもできましょう。

 

 ぼっちも、ハレの山には登ってきたけれど、ケの山の方は、わずかしか登っておらず、飛騨の山岳は、未知の部分が多い。

 ということで、今年はハレの山、ケの山いずれにも集中的に登り、「飛騨の山岳を知る」ことを大テーマとする所存。

 

〇具体的目標

1.「『岐阜百名山』勝手に選定委員会」の候補リストうち、未調査の飛騨の山を登りきる

 5か年計画で取り組んでいる「『岐阜百名山』勝手に選定委員会」の取り組みも4年目。

 候補リスト196山(昨年の191山に+9山追加、ー4山事前削除※)のうち、未踏は37山。

 そのほとんどが、飛騨高地と、飛騨山脈前衛峰の山々。

 登山口まで少々遠い道のりになるけれど、幸い、相棒にEBさんがなってくださるので、集中的に通い詰める計画。

 

2.「『岐阜百名山』勝手に選定委員会」の取り組みの、精度を上げる

 今年で、「『岐阜百名山』勝手に選定委員会」の取り組みも4年目、対象の山はほぼ登りきる計画。

 しかし、岐阜県の「佳き山」を本当に適切に選定できるか、まだまだ心もとない。

 文献調査したり、再登したりするとともに、美濃山、飛騨の山を知り尽くした「山の大先輩」に教えを乞いながら、精度を上げたい。

 まずは、「山の大先輩」の門をたたくのが、なかなかのハードルであります。

 

3.「一等三角点百名山」を登りきる

 地元の山ばかりに目を向けていると、地元愛みたいなもので、ものさしが偏るおそれがある。

 時々は全国各地の山にも脚を運んで、ものさしの偏りを補正したい。

 ということで、未踏の一等三角点の山、硫黄岳(知床)、富良野岳、武石峰、黒岳(大菩薩連嶺)、高峰山(尾鷲)、冷水山(果無山脈)、工石山・不入山(四国山地)、烏帽子岳(阿蘇)を踏破する計画。

 

以上、今年も、安全と家庭平和に心がけながら精進するつもり。

お付き合いのほど、よろしくお願いします  (ロ。ロ)/

(画像は、桑崎山からの笠ヶ岳、乗鞍岳)

| ぼっち | ひとりごと | 07:00 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
登り納めは 雪の百々ヶ峰

ぼっちの山の会恒例、12月29日の登り納め。今年は、岐阜市の最高峰、百々ヶ峰(418m)にて開催。

朝目覚めたら、予想外の積雪、登山口「ながら川ふれあいの森」から新雪を踏んでの登り納めとなる。

参加者は、登山隊が19名、TuboさんとTさんがふれあいの森キャンプ場で料理番。

Tuboさんの鍋に誘われてか(?) 20代、30代のフレッシュなメンバーが過半数でうれしい限り。

それでは行ってきます!

キャンプ場からしばらく林道を歩き、東海自然歩道になっている尾根に取り付く。

久し振りに会うメンバーも多く、1年間の登山活動の報告なんかをしながら進む。

ぼっちがトップを務めたけれど、しっかりした地図を持ち合わせず、道標も雪をかぶって、今いち自信がない。

権現山というピークで、本当は南に降りるところを、東の尾根に入ってしまい大回りとなって、面目丸つぶれ (ロ。ロ; ウウ

山頂が近づくと、雪も止んで、日差しも差しかかる。

ただし、展望は得られず、長良川も金華山も、御岳も白山も見えなくて残念。

それでは、全員そろって記念撮影。

1、2の3で、ピース。

帰路は、正しいルートで、あっという間に権現山へ。

ピークにあるこの道標、往きは雪に覆われていて、右半分の雪を落としたら「白山展望地」とあったので、それが百々ヶ峰のことだと勝手に思いこんで直進してしまった。

左半分の雪を落としたら、しっかり「百々ヶ峰頂上」と書いてあるではないか (ロ。ロ;ハズカシ

地図と磁石を確認するのが基本ということを、改めて思い知らされた。

下山すると、キャンプ場のあずまやで、Tuboさんたちが、ほかほかのつみれ鍋と、鹿肉のステーキを用意してお待ちかね。

Satoさん差し入れの甘酒も、いただいて、しっかりお腹が温まった。(画像なくて残念。)

来年の登山計画を話し合って、お開き。

今年も1年ありがとう。また来年も一緒に登りましょう!

 

| ぼっち | 日本4000山 | 22:04 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
2018年 こんな山に登りました(総集編)

師走も残すところあとわずか。2018年も恒例の総集編、いってみます (ロ。ロ)/オウ

 

○1月 (以下★は単独行)

★6日(土) 初登りは、新春らしく、静岡県の春埜山・大日山で山修行開始。

 8日(月) 大坐小屋プチ冬季合宿で、浅間山の外輪山黒斑山へ。

★13日(土) 「『岐阜百名山』勝手に選定委員」の初仕事で、内陸で雪の少ない南飛騨の、高天良山八尾山へ。

○2月 

★18日(日) 金華山から、今年取り組む両白山地の山々を偵察。

○3月 いよいよ残雪期、道なき山の登山最適期、たぶんぼっち登山歴上もっとも濃い1か月

★3日(土) 両白山地(越美山地)の道なき山、滝波山へ。

★11日(土) 両白山地(加越山地)の初河山、丸山、芦倉山周回

 17日(土) 北飛騨の道なき山、桑崎山で、飛騨山脈の展望をほしいままに。

★18日(日) 山国飛騨から、温暖な千葉県へ移動、全都道府県最高峰中最低の愛宕山へ。

 24日(土)〜25日(日) テント泊で、越美山地のミノマタ〜五蛇池山〜蕎麦粒山を縦走

★31日(土) 白山中居神社から銚子ヶ峰〜願教寺山〜薙刀山〜野伏ヶ岳を周回。16時間50分歩行はぼっち登山史上最長。

○4月

★8日(日) 思わぬ春の新雪に見舞われながら、越美山地の若丸山へ。

 21日(土) ようやく春山。長良川の支流神崎川沿いの、日永岳舟伏山へ。

★28日(土) 養老山地の養老山から笙ヶ岳を周回

 30日(月) 飛騨山地最南部の道なき鎌ヶ峰へ。

○5月

★1日(火) 越美山地の長大な送電巡視路・ブナの尾根歩きで、美濃平家、平家岳へ。

 3日(木)〜5日(土) 白山美濃禅定道で白山をめざすも、季節外れの吹雪で別山にて撤退。

 6日(日) 皮肉にも快晴。桧峠ルートで大日ヶ岳山頂から白山連峰を眺める。

★10日(木)〜13日(日) 連れ合いと中国地方を観光しながら、恐羅漢山、弥山、寂地山、冠山、十種ヶ峰、高山、珍名の山「ガクガク山」「行者様」へ。中国地方の渓谷の美しさは、うれしい発見だった。

 20日(土) 新緑深まる伊吹山地の名前で損をしている金糞岳へ。

★27日(日) 三角点調査ノルマのため、恵那市の無名の低山高戸山へ。

○6月

 2日(土) 高所恐怖症のTさんたちを案内して、シラネアオイ咲く戸隠山〜高妻山〜乙妻山へ。

★16日(土) 飛騨高地南部の展望の山、鷲ヶ岳へ。

★30日(土) 梅雨の合間に木曽山脈最南部のヤブ山、焼山へ。

○7月

★16日(月) 大坐小屋の近くながら未踏だった、飯縄山北の霊仙寺山へ。

 22日(日) 飛騨の荒城川木地屋渓谷で沢登り

 27日(土)〜28日(日) 天候不順で槍ヶ岳登山を断念、飛騨山脈の大展望台奥丸山へ。

○8月 夏山は今年も「縦走主義でいこう!」

★4日(土)〜6日(月) 前週のリベンジ、単独行で新穂高温泉から南岳〜槍ヶ岳〜双六岳〜三俣蓮華岳を周回縦走

 11日(土)〜14日(火) なかなか行けない、剱岳北方稜線のテント泊大縦走

○9月

★1日(土) ササ原の縦走路が快適な、木曽山脈南部の南沢山〜湯舟沢山〜富士見台を小縦走。

★21日(金)〜24日(月) 三条の湯から大弛峠を経て朝日岳まで単独テント泊で奥秩父主脈を縦走

○10月 

★6日(土) 四国香川県の最高峰竜王山へ。

 7日(日)〜8日(月) 石垣島へ飛んで、沖縄県の最高峰於茂登岳と、珍名の山「ぶざま岳」へ。

 ↓ここから、両白山地秋の登山適期に突入

★20日(土) かつて根尾川源流部の秘峰だったドウの天井明神山へ。

★21日(日) 同じく左門岳へ。いずれもダムができ昔日の姿ではなくて残念。

★27日(土) 根尾川源流部で、今なお自然の姿をとどめる雄峰、屏風山で黄葉を堪能。

○11月 雪が来る前にと、通勤するがごとく根尾川源流部の山に通い詰め

★3日(土) 崩壊した林道や渡渉を経て、古道をたどり蠅帽子嶺へ。

★4日(日) その隣の、展望もなくいたって地味だけれど、ブナ黄葉の美しいへ。

 ↓地元からいきなり、九州北部へ飛んで

★16日(金)〜17日(土) 福岡県の最高峰 釈迦岳で全都道府県最高峰を踏破 (ロ。ロ)/ヤッタ

           ほかに御前岳、珍名の山「鈴ノ耳納」「グライダー山」、佐賀県の天山へ。

○12月

★1日(土) 根尾川源流部展望の山、大白木山と、根尾の里山岩岳へ。

★8日(土) 2度目の三角点調査で、山名もなき三角点「円原」「一ツ石」「神崎」へ。

 

いやあ、今年もたくさん登らせてもらったなあ。。

一年を振り返り、今年の登山目標の達成具合と反省点は次のとおり。

 

「『岐阜百名山」勝手に選定委員会」候補リスト191山のうち、道なき山の多い両白山地の未調査の山21山をなるべく完登

 (←「なるべく」としたのは、残雪狙いの山が多く、今冬の積雪・天候によるため)。

 結果:誘っても同行いただけないような地味な山域ゆえ、単独行も多かったけど、何とかほぼ計画通り行けたのは大きな喜び。

    残雪期揖斐川渡渉ルートで狙っていた、千回沢山〜不動山だけは、増水で渡渉の機会がないまま残雪期が終わり断念。

    来春、福井県広野ダムからのルートで挑戦するつもり。

    「勝手に選定委員」の取り組みを進めるほど、自分が本当にその山を読めているのか、向き合えているのか、修行不足を痛感。来年もさらに精進せねば。

 

◆崛甘堝刺楔の最高峰」未踏の6山登山

 埼玉県:三宝山、千葉県:愛宕山、広島県・島根県:恐羅漢山、山口県:寂地山、福岡県:釈迦岳、沖縄県:於茂登岳

 結果:三宝山は、奥秩父大縦走で立ち寄る予定が時間切れで断念。

    しかし、思い返せば、過去甲武信岳に登った時通過していたのでよしとする。

    ほかの5山を登り、全都道府県の最高峰を計画通り踏破。

 

「一等三角点百名山」未踏の1011山登山

 硫黄山、富良野岳、武石峰、高峰山、冷水山、冠山(広島県)、十種ケ峰、工石山、不入山、烏帽子岳(阿蘇)、天山

 ↓は、,亮茲蠢箸澆寮催戮鮠紊欧詭榲もあり、2019年と2年で完登をめざす計画

 結果:富良野岳を落としていたので、11山の誤りでありました。

    冠山、十種ヶ峰、天山を登り、残すところ8山。この目標は来年に持越し。

    やり残しがある方が、風流かも。。

 

「『岐阜百名山』勝手に選定委員会」の取り組みで、タフな道なき山を登る機会が多かったせいもあるけれど、40回の登山のうち27回までが、単独行。まさに、ぼっちのぼっち登山。。

来年は、山仙人をめざしつつも、もう少しぼっちじゃない登山も増やしたいもんです (ロ。ロ; ドコカ ムジュン

 

| ぼっち | 年間総集編 | 22:34 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
お山の勉強室:「『奥美濃』の山」とは、どこの山なのか

岐阜の岳人や、京都の岳人は「奥美濃の山」という言葉を、独特の思い入れを持って使う。

しかし、奥秩父・奥多摩・奥武蔵といった地域と違い、「奥美濃」とはどこなのか、実は非常にあいまい。

ぼっちも、分かったように使いがちだけど、ここで一回おさらいしておいた方がいいのかも。

ということで、今回のお山の勉強室は、「『奥美濃』の山」とはどこの山なのかを、一緒に勉強していきましょう (ロ。ロ)/

 

1.「奥美濃」とはどこか?

 「奥飛騨」については、「岐阜県北部、神通川の支流である高原川流域をいう。高山市北東部(デジタル大辞泉)」と、辞書で明確に特定されている。

 しかし、「奥美濃」は、辞書に見当たらず、わずかに1980年刊行の角川書店「岐阜県地名大辞典」に「郡上郡(※注1) 古代〜現在の郡名・かつては奥美濃と通称した所。」という記述があるくらい。

 ※注1:郡上郡の町村が2004年に合併し、今は郡上市となっている。

 

 この「奥美濃」という言葉が、近年観光や産業振興のための地域ブランドとして広く使われるようになっている。

 しかし、その使われ方は「奥美濃=旧郡上郡(現郡上市)」とは限らず、まちまちとなっている(※注2)

 ※注2:次のとおり、旧郡上郡に限らず、さまざまな地域について「奥美濃」と呼ぶ場合がある。

  奥美濃のスキー場:郡上市を中心とするが、西は揖斐郡あたりまでを含む場合がある。

  奥美濃カレー:郡上市白鳥町(旧郡上郡白鳥村)を中心に販売されているB級グルメ。

  奥美濃古地鶏:郡上郡の地鶏と外国種を掛け合わせ、岐阜県養鶏試験場が開発したもので、岐阜県各地で飼育。

  奥美濃水力発電所:本巣市根尾上大須に所在する揚水発電所。

 

2.山岳書にみる「奥美濃の山」

 次に山岳書では「奥美濃」をどのエリアとしているか、代表的な2書で見てみましょう。

(1)「樹林の山旅(奥美濃紀行)」(1940年(昭和15年)刊 森本次男著)

 「奥美濃の山」を最初に紹介した本で、アルピニズムに背を向け日本の樹林の山に目を向けた最も早い時期の書とも言える。

 京都の岳人森本次男氏は、同書の冒頭で「奥美濃は関西の隠れた山岳地帯である」と定義し、巻末に「奥美濃概念図」という地図を載せている。

  (↓地図クリックで拡大)

 

 概念図には、伊吹山以北、大日岳以南の、岐阜・滋賀・福井県境の山地が含まれ、平地に接する里山は除かれている。

 また、旧郡上郡のうち鷲ヶ岳など県境部ではない飛騨高地の山は除外されている。

 それにしても、美濃国の不破の関から東が関東というのは常識だから、京都岳人森本氏は、よくも「関西の隠れた山岳地帯」なんて言い切ったもの。

 当時は、登山界で未知の山域だったから、言ったが勝ちだったのかな (?_?)

 

(2)「奥美濃―ヤブ山登山のすすめ」(初版1987年、三訂版2007年、高木泰夫著)

 戦後の「奥美濃の山」を紹介した本としては同書が代表的で、三訂版まで出されている。

 著者の故高木氏は、ぼっち地元の山の会の会長を長らくつとめられ、「ぎふ百山」の「奥美濃の山」の多くを執筆、また日本山岳会員として、ぼっちのバイブルあばうと日本4000山を掲載した「新日本山岳誌」の編集にあたられた大先輩であります。

 

 同書では、「北は白山から南西を俯瞰するとき、南は伊吹山から北東を展望するとき、見はるかす彼方まで重畳として(ママ)緑の山並みが続いている。それが奥美濃である。これを水系でたどれば揖斐・長良両川の水源部をいい、山系で追えば近江と美濃を境する伊吹山地、越前と美濃を分ける越美山地およびそれから派生するいくつかの小支脈を含めて奥美濃という。」と定義される。

 この定義だと、「樹林の山旅」における「奥美濃の山」の範囲とほとんど同じに受け取れる。

 高木泰夫氏は、京都岳人にして、岐阜県岳人にも多大な影響を与えた日本山岳会岐阜支部長(その後日本山岳会会長)で岐阜大学学長でもあった今西錦司氏との同行が多いので、現在はこれが多数説かもしれない。

 しかし、同書裏表紙の「『奥美濃』概念図」および本文では、養老山地、鈴鹿山脈の岐阜県部分、越美山地の里山を入れており、一部「定義」と整合性が取れておらず、さらに「樹林の山旅」と異なり、鷲ヶ岳など飛騨高地の旧郡上郡の県境以外の山も含めているなど「『奥美濃』の山」はどこの山なのか、細部では疑問が残る。

(↓地図クリックで拡大)

 

3.まとめ

 以上のように、「奥美濃」という言葉は流動的で、かつては旧郡上郡をさしていたものの、近年は郡上市を中心に観光や産業振興に、地域を厳密に特定することなく使われる傾向がある。

 それに対し、「『奥美濃』の山」という場合は、旧美濃国の国境部(※注3)奥山をいう場合と、国境部以外の山も含める場合とがあるが、いずれにしても、旧郡上郡の山と限定したものではない。

 ※注3:厳密にいうと、野伏岳など郡上市白鳥町石徹白地区の県境の山は、1958年に同地域が福井県から岐阜県白鳥村に編入されてから岐阜県境となったのであり、旧美濃国の国境の山ではないという、さらにややこしい事情がある。

 つまり、住民や観光客が使う「奥美濃」と、登山者が使う『奥美濃』は、違うものだというのが結論。

 「『岐阜百名山』勝手に選定委員」ぼっちとしては、「岐阜県の誇るすぐれた山を、広く一般にも伝えていく」ことも選定の目的としたいけれど、「広く一般に」という場合、地元の方々や観光客などが主な対象となる。

 その際「『奥美濃』の山」という、住民や観光客と登山者とで、意味合いが乖離した言葉を使うと、混乱を生じてしまう可能性がある。

 そのため、「『岐阜百名山』勝手に選定委員会」の取り組みにおいては、なるべくこの言葉は安易に使わず、例えば、「長良川源流部の山」とか「越美山地県境部の山」といった、概念にブレの少ない言葉に置き換えていくようよう努めたいと、改めて思う次第。

 

| ぼっち | お山の勉強室 | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
名前のない山に登る

ぼっち地元の山岳会では、5ヶ年計画で「岐阜県美濃地方の一、二、三等三角点全数を調査する」という企画をやっている。

半年3地点のノルマで踏査報告書を作成する義務があり、今回は、円原・一ツ石・神崎という三等三角点3点が割り当て。

 

2万5千分の1地形図を開いてみると、この3点はいずれも山県市にあって、円原は標高871.3m、一ツ石は684.2m、神崎は581.4mのピーク。ただし、3ヵ所とも山名の記載はなく、もちろん登山道なんかない。

先にご紹介したとおり、2万5千分の1地形図における岐阜県の「名前のある山」の数は454山。

一、二、三等三角点の数は合わせて1197点、つまり平地にある三角点を除いても、岐阜県には今回の3点のような「名前のない山」が相当ある。

ということで、今回は「名前のない山に登ってみるってどんなだろう」という視点で行ってきました (ロ〜ロ)/

 

まずは、基準点「円原」。7時20分出発。

地図で見ると山上部が極端にだらだらした地形で、どうルート取りしていいかむつかしい。

林道から、いったん小さな谷に降り、尾根らしい地形がたどれる一定の標高まで登り返し、だらだらした山上部は等高線に沿ってたどり、三角点直下から直登するルートを想定。取り付き点からの標高差は、約250m。

20181208三角点1.jpg

一帯はスギの植林帯で、地図から想像した通り、どこが高みなのかも分かりにくい地形。

磁石やGPSがないと、ヘンゼルとグレーテルのように迷ってしまいそう。

20181208登山道2.jpg

尾根状の所から取り付こうとすると、なんと林業用の踏み跡があるではないか。

一定の標高まで登ると、等高線に沿う形で西の方向へと巻いていく。

あらかじめ想定していたルートは、林業従事者も歩かれるものだったんだなと、ちょっとうれしくなる。

作業小屋も登場。

20181208登山道3.jpg

あまり明確ではない尾根をさぐりながら、山上部に出る。

微かに小雪が舞いはじめる。

20181208登山道4.jpg

8時40分、三角点円原に到達。見晴らしはなく、登頂したなあという実感は湧きにくい。

三等三角点の標石が、脇に生えたスギと相撲を取っているみたい。

20181208円原三角点.jpg

事前に想定していたルート(茶色)と、実際にたどったルート(赤色)は、ほぼ同じ。

名前のない山その1(基準点名円原)に登った感想は、「スギの畑を歩いた気分」。

20181208円原.PNG

名前のない山その2は、基準点名「一ツ石」。

円原の林道から見ると、舟伏山の手前の樹林に包まれたピークのひとつがそれらしい。

標高差が450mほどあって、円原川側から登ろうとすると、取付き部分が急斜面のため、沢から入るもくろみ。

送電線の記号があるので、もし巡視路に出会えればそれを利用と想定。

10時25分、渡渉を避けるため、今島集落外れの橋のたもとから川原に降りる。

20181208登山道5.jpg

荒れた沢に入ると、ここにも作業用の踏み跡があった。

地図で見ると上流ほど急になるので、どこから尾根に取り付くかが問題。。

20181208登山道6.jpg

予想よりも踏み跡は沢に沿って奥まで続き、最後に急斜面を尾根に向けて登っていく。

その踏み跡もだんだん薄くなって消えてしまう。踏み跡は山頂を目指すものじゃないから仕方がない。

ようやく尾根に上がったものの岩の壁が出てきたので、横に巻いて登り続ける。

地図では読めない岩に阻まれ、想定より南に出そう。

20181208登山道7.jpg

稜線が近づくほどに急傾斜となり、枝が絡まりあって進むのも楽じゃない。

また小雪も舞いだした。

20181208登山道8.jpg

三角点よりやや南の山上部に出ると、人か獣かの踏み跡があって歩きやすくなる。

視界も開け、東に見える奥の山が北山(925m)、手前が名無しの山(基準点名円原)らしい。

それなりに、独立した山なので、名前を付けてあげてもいいんじゃないかな。

ふもとの集落が円原だから、円原山でいいかも。(←想像は自由)

12時30分、ようやく一ツ石三角点に到達。

三角測量には良さそうなこじんまりしたピークだけど、稜線の先に、もっと高いピークが続いている。

名前のない山その2(基準点名一ツ石)に登った感想は、「名前がない山も舐めてはだめ」。

20181208一ツ石三角点.jpg

事前想定ルート(茶色)に比べ、踏み跡が沢の奥まで入っていたので、実際のルートはだいぶん南にそれたものとなった。

20181208一ツ石.PNG

名前のない山その3は、基準点名「神崎」。標高差は約400m。

神崎の集落の、白髭神社の背後からはじまる尾根に取り付く。

すでに時刻は14時30分、みぞれ模様となり、日暮れまでに戻れるか少し心配になってくる。

ただし、地図では素直な尾根だし、里にも近いので、うまくいけば林業用の踏み跡があるのではないだろうか。

20181208登山道9.jpg

想定通りスギ林の中の明確な尾根を登っていく。

今秋の台風であちこちの植林地が被害を受けていたので心配していたけれど、尾根上は大丈夫だった。

途中で、大きな炭焼き窯の跡にも出会う。

20181208登山道10.jpg

山上部は、雑木林となって、岩も出てくるけど、一ツ石のように壁になって遮られることはない。

足もとの灌木で、膝から下がぐっしょり濡れてしまった。

20181208登山道11.jpg

15時45分、三角点「神崎」に到着。

周りが刈られ、三角点は半分以上土に潜っていた。

さあて、日暮れまでに急いで戻らねば。

20181208神崎三角点.jpg

ここは、事前想定通りのルートを往復したように見える。

しかし、山頂からの降りだしで灌木の中に道を失い、気がつけば三角点の前に戻っていた。

まだまだ修行不足を実感した次第。

20181208神崎.PNG

16時55分、日没直前に神崎の集落に無事帰還。

1日三山、ルートファインディングしながらの累積標高は1,100mほど、なかなかの山修行だった。

 

今回の「名前のない山」を巡った感想は、「たぶん、林業従事者は、そこを植林されたスギやヒノキの区画としてみていて、山としてはとらえてはいないんだろうな」ということ。

それは、家畜に名前がないのと同じようなことなのかもしれない。

やはり、名前を持つにはそれなりの個性や畏敬すべき何かが必要なのかもしれない。

それでも、先に登った大白木山のように、地図に名前がない佳き山が岐阜県にはまだまだあって、名前を付けられるのを待っているかも、なんて考えてしまうのが、山馬鹿の山馬鹿たるゆえんかも。

20181208神崎の集落.jpg

 

| ぼっち | お山の勉強室 | 06:26 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
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