WALK あばうと 日本4,000山

「新日本山岳誌」掲載の約4,000山が修行の地。 めざせ山仙人!
木地屋のふるさと 蛭谷・君ヶ畑訪問記

木地屋(木地師・轆轤師)は、ロクロ(注)という木材を回転させる工具を使い、手カンナで削りだし、椀や盆などを作る職人。

(注:ロクロ(轆轤)細工の歴史は古く、奈良時代の「百万塔」という経文を入れるロクロ造りの容器が伝わっている。)

材料となる木材は、トチ、ケヤキ、ブナなどの落葉広葉樹の大木で、かつて木地屋は深山に分け入り、小屋掛けして、木を伐りロクロを引き、材料がなくなると別の山に移住する暮らしを送っていた。

門入とホハレ峠の間にある「木地ヶ平」のように、今も各地の山中に木地屋に関わる地名や伝説が残り、トチなどの大木が見られない沢筋は、木地屋が入った後だったりする。

深山を活躍の舞台とした彼らは、日本の山岳を深く知るうえで、山伏などとともに忘れてはならない存在。

 

そんな、山を自由に活動できる山伏や木地屋は、権力者から見れば不気味。

山伏については、慶長18年(1613年)江戸幕府が「修験道法度」を定め、天台宗の本山派か、真言宗の当山派かに所属させられた。

木地屋についても、平安初期、皇統争いに敗れ近江の山奥に隠棲した惟高(これたか)親王がロクロを考案したとの伝説に基づき、近江の小椋谷にある蛭谷と君ヶ畑が、全国の木地屋を統制してきた歴史がある。

そんな木地屋について深く知るため、6月18日、今回木地屋のふるさとともいえる蛭谷と君ケ畑を、連れ合いと訪ねてきマシタ。

 

蛭谷は、現在の行政区だと、東近江市蛭谷町。

といっても、東名高速道路最寄りの湖東三山スマートI.C.から、標高約500mの筒井峠を越えて行かねばならない。

峠には惟高親王の御陵というのがあって、惟高親王の大きな座像や、入口には元禄5年(1692年)の標柱が立っていた。


ようやくたどり着いた蛭谷の集落は、小さいながら格式を感じさせるたたずまい。

右手に上がる石段の途中に臨済宗永源寺派の帰雲庵、その上に筒井八幡(現在は筒井神社)がある。
木地屋の氏神ともいう筒井神社の奥に「木地師資料館」がある(要予約)。

資料館の鍵を開けてくださったのは、北野さん。当地出身ではないけれど、縁あってこの土地に移り住み、木地師をされるようになった方。

「東近江市蛭谷町」は、現在人口3名、男性は北野さんだけという超過疎で、資料館の管理のほか、筒井神社の神主も務めておられ、色々お話を伺うことができた。
まずは、古い手回しロクロを拝見。

一人が紐を引きロクロを回転させ、もう一人が手カンナで椀などを挽く。

夫婦でないと務まらないような厳しい共同作業で、木地屋が同じ血筋のものとしか結婚できなかったのは、外の世界の者ではこの重労働に耐えられなかったという側面も。

また、木地屋は、ロクロだけでなく手カンナも自作したので、鍛冶技術も持っていた。
さて、この資料館の目玉は、貴重な木地屋関係文書。

その中でも最重要資料は、「氏子駈帳」。

蛭谷では、5年ないし10年に1回、全国に散らばる木地屋を巡回し、筒井八幡の修復の寄付や元服式への立会料、氏子税、初穂代などを受領して回り、これを氏子駈と称した。

蛭谷に残る氏子駈帳は、正保4年(1647年)から明治26年(1893年)のもので、北は奥羽から南は九州までの木地師6千軒に及ぶ。

これは、全国の木地屋の戸籍と言ってもいいもの。

蛭谷に刺激され、隣の君ケ畑でも、元禄7年(1694年)から大皇器地祖大明神を祖社として、氏子狩を始めた。

文化4年(1807年)、ある大きな訴訟事の裁許として寺社奉行が蛭谷・君ヶ畑両村の木地屋支配を往古のからのものと認めたため、その権威は幕府公認のものとなった。
惟高親王がロクロを考案したというのも、小椋谷に隠棲したというのも後付けの伝説のようなところがあり、強引な集金活動のようにも見える。

しかし、神社に付属する「公文所」が、往来手形や宗門手形を発行し身元を保証してくれたので、山中を移動する木地屋にもメリットがあった。

また、自分たちが全国組織で、祖神が惟高親王というのは、定住民に疎外されがちな木地屋たちにとって心の支えになったはず。
ロクロの製品といえば、ぼっちの隠れ趣味「こけし」もそのひとつ。

資料館は、東北のこけし工人から筒井神社に寄進されたこけしも多数展示。

感動してこけしをながめていたら、北野さんから「どうしてロクロでこけしというものが作られるようになったのです?」と、本質的逆質問。

「こけしは、文化・文政期に江戸市民文化の華が開いた頃、東北の農民にもようやく生活を楽しむ気風が生まれ、夏の重労働と寒い冬の間の慰安として湯治が定着し、その土産物として作られるようになったものデス。こけしの起源には「おしらさま」発展説など諸説あるけど、マトリョーシカの原型ともなった箱根のロクロ細工の影響もあるといいマス。子どものおもちゃなので、ロクロ細工や、薪炭用に使えないホウやイタヤカエデなど柔らかい木が使われておりマシタ」などとご説明。(←こけし愛好家諸兄よろしかったでしょうか?)
資料館を辞し、次は3.5km程離れた君ヶ畑へ。

同じく過疎の村ながら、今も20世帯くらいはありそう。

ここも、蛭谷に刺激され、大皇器地祖大明神(現大皇器地祖神社)を中核に、氏子狩(注)をやっていた。

(注:蛭谷は「氏子駈」、君ヶ畑は「氏子狩」という。)

隣り合う両村は、商売がたきというべき間柄で、仲がよろしくなかったらしい。

「惟高親王隠棲の地」「惟高親王陵」などが、両村にそれぞれあるのも、いかにもな感じ。
金龍寺には「高松御所」という、筒井の公文所と同様の機関が残る。

神社も寺も、君ヶ畑の方が大きいけど、それは蛭谷の方はかつて筒井峠にあった筒井八幡を村落内に移設したことにもよるよう。

いずれにしても、現地で現物を見ることで、納得できたこと多数。
帰路は、鈴鹿山脈の最高峰御池岳の山腹に取り付けられた林道をたどる。

小椋谷がかつては深い樹林の中だったことがしのばれる。

御池岳の登山口には、東近江市発祥の名物キャラクター「飛び出し坊や」が登山スタイルで登場。

思わず車を止めて、撮っちゃいマシタ。

 

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ホハレ峠を越えて旧徳山村門入(かどにゅう)へ

旧徳山村門入(かどにゅう)は、奥美濃の山々をめざす山屋にとって特別の響きがある。

旧徳山村の中心からさらに約16卅未辰人斐川最奥の集落で、烏帽子山、不動山、千回沢山など秘境の山への登山口でもあった。

奥美濃の山々を初めて世に紹介した、森本次男氏著の「樹林の山旅」(1940年)にも、門入は重要な登山基地として登場する。

 

時は流れ、日本最大の貯水量を持つ徳山ダムが完成し、旧徳山村のほぼ全ての集落がダム湖に沈んだ。

最奥で、標高が高い門入だけは水没をのがれたけれども、集落に至る道路が水没してしまうことを前提に補償がされ、全員が離村。

しかし、今も土地の所有権を持ち、そこに山小屋を建て雪のない時期に滞在される旧住民がおられる。

 

現在門入に至るには、週1回ダム湖を渡るボートに乗るか、標高約800mのホハレ峠から徒歩で入るしかない。

そんな遠き里、門入に、6月10日、11日、地元の山岳会10名でホハレ峠越えで行って来マシタ (ロ。ロ)/

 

ホハレ峠までは、岐阜県から滋賀県に抜ける国道303号線沿いの揖斐川町坂内川上の集落から、林道を約6凖个襦

途中から舗装もなくなり、夏草や灌木が愛車奥地君の脇腹をしたたかこする。
林道の終点、標高約800mのホハレ峠に到着(注) 。

峠の名は、大きな荷を背負って峠まで登ると頬が腫れてしまうほどだったことに由来するとか。

小さな石の地蔵様が祀られた右手に林道を外れ、黒谷沿いの道を歩きだす。

(注:国土地理院2万5千分の1地形図には、814m地点にホハレ峠が記載されているが、現在の峠はその手前の地点。また、画像だと林道が峠の先まで延びているように見えるが、これは、1960年代に製紙会社が山を皆伐した時に烏帽子山まで付けた林道で、今はまったくの廃道。)
沢沿いの道は、6月の緑に深々とひたされ爽やか。

ただし道は、崩れた場所をへつるように進む箇所もあり、「奥美濃の登山道としてはまずまずだけど、一般的にいえば踏み跡程度」といった状態。
谷に流れ込む沢をまたぐこと数か所、さらに黒谷本流を渡渉すると、門入側からの林道に出る。

最初は夏草をかき分ける状態、スギの植林地のあたりから次第に林道らしくなる。
コンクリートの沈下橋を渡ると、門入の集落跡に入る。

離村にあたり、八幡神社や小学校の分校をはじめ集落の建物は全て解体されており、今ある建物は、その後旧住民が一時滞在の山小屋として建てられたもの。

水資源機構の設備があることもあって、なんとか電気と電話は通じている。

今回泊めていただくのは沈下橋の先にある、Iさんの山小屋。

かつて山岳会のメンバーが、門入の沢に入り下山が極端に遅くなった折、電話をお借りして以来のお付き合いなんだとか。
門入といえば、「ぎふ百山」で最も登山が困難な山となっている、不動山(1,240m)、千回沢山(1,246m)の登山口。

ただし、今回は初級者歓迎の企画なので、10日は船ケ丸(959.7m)、11日は牛尾(691m)の三等三角点までを往復。

 

船ケ丸は、山上部が船のような形をしていることから名付けられたもの。

初級者の皆さんは、ヤブ漕ぎや赤布を付けながらのルートファインディングが初めてで緊張気味だったけど、無事ブナの二次林の静かな山頂に到着。
Iさんの山小屋は、船ケ丸の直下。

80余歳になる今もお元気で、汗だくになって戻ったわれわれを、風呂をわかして歓迎してくださった。

徳山の郷土料理「地獄うどん」(注)をさかなに夕方から23時までえんえん酒盛り。

(注:「地獄うどん」は、唐辛子を入れて茹でた釜揚げうどんを、サバ缶、刻みネギ、醤油のたれで食べるものだそうだけど、今回のリーダー兼食事係のEさんが「からい物は苦手」で、唐辛子が入らなかったのがご愛嬌。)
Iさんは、門入独特のちまきの包み方を実演してくださる。

三本の葉先が風流な飾りとなり、そこを引くとはらりと餅が出る精妙なもの。
翌11日は、やや二日酔い気味で、Iさん宅の向かいにある牛尾を往復。

ブナやミズナラの巨木が多く、快適な登り。

旧徳山村には三角点が40か所あって、これを制覇すると地元山岳会では「いっぱしの者」とされるらしい。

ダム湖にアプローチ林道が消えて難易度が上がったため、よけいに制覇に情熱を燃やす方もあるそうな。

山馬鹿にも、いろんなパターンがあるんですな。。
下山後、八幡神社跡にある「門入集落略史碑」を見る。

39戸の家長の名と屋号、そして縄文時代から離村に至る歴史が記されている(クリックで拡大)。

旧徳山村は、縄文時代の遺跡も発掘されており、実は岐阜県でももっとも古くから開け、住み継がれた場所なんだそう。

山の恵みが豊かで、縄文の採集文化が途切れることなく受け継がれてきている―「ちまき」の包み方ひとつにも、そんな歴史の重層が垣間見られるよう。
ホハレ峠への登り約2時間の帰路は、自宅に帰られるIさんもご一緒。

80余歳とは思えぬ足取りで、途中立ち止まってはいろいろな話をしてくださる。

かつて門入では、トチの板材を背負って、ホハレ峠を経由し、近江まで出していたのだという。その重さ、実に20貫(約75kg)。

歩荷は集団で行われたので、峠までの休む場所は、門入から半里のコウジヤスマ、一里のイチリヤスマと決まっていて、それ以外では杖で荷を支え立ったまま休むしかなかったのだとか。

また、木地ケ平という沢の小平地は、木地屋が小屋掛けをしていた所とのこと(画像)。
繊維を取ったイラメ(ミヤマイラクサ)など、実物を手に、子供の頃の思い出を織り交ぜながら説明してくださる。

門入の歴史をなんとか語り継ぎたいというIさんの思いに胸を打たれる。

 

実はホハレ峠の道は、1960年代に林道ができたりし、一時期廃道同然になっていた。

それが、徳山中心部からの道が水没し、林道も皆伐後放置され1970年代後半に廃道化していたため、門入に歩いて入らざるを得なくなり再び通られるようになったのだそう。

不動山や千回沢山にも登りたいので、再訪を期して、Iさんとお別れしたのでありマシタ。

 

<登山メモ>

2017年5月10日(土) 晴れ夕方雨 メンバー:地元山岳会10名

―揖斐川町坂内川上集落―ホハレ峠8:45…Iさん山小屋10:30(荷物デポ)…船ケ丸12:20…Iさん山小屋13:50(泊)

10日(日) 曇のち快晴

Iさん山小屋7:00…牛尾7:35…八幡神社跡…Iさん山小屋9:45…ホハレ峠11:50―(帰路)

<参考>

↓門入についての水資源機構の「公式見解」デス

http://www.water.go.jp/chubu/chubu/jyuuminkaikikenkai.pdf#search=%27%E9%96%80%E5%85%A5+%E6%B0%B4%E8%B3%87%E6%BA%90%27

 

| ぼっち | お山の勉強室 | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
奥美濃の名峰 蕎麦粒山(1,297m)周回

蕎麦粒山(そむぎやま)は、地元の山屋に「東の屏風、西の蕎麦粒」と並び称せられる、越美山地西部を代表する名峰。

その蕎麦粒のように三角の尖った姿は、標高以上に立派に見え、この地域の山岳風景を引き締めるアクセントになっている。

旧徳山村では「ソバツボヤマ」と呼んでいたそうで、二等三角点の基準点名は「蕎坪」。

ちなみに「ツボ」は粒の方言、「ソバツボ」は伐採した材木に打つ△の刻印のこととか。

今回、山の会の仲間と大谷川源流部から取り付く従来ルートで登り、最近開かれた尾根ルートで下って来マシタ。

メンバーは、25歳新人のN君、アラサーのY君、おじさん3人(Tuboさん、Sさん、ぼっち)の混成チーム。 

アプローチは、5月初旬五蛇池山単独行の時にも通った大谷林道。

2万5千分の1地形図では二重線で表示されているけど、数カ所崩落し廃道状態。

6月に入り、わさわさ感も半端ない。

ツリバナ、タニウツギ、コアジサイなど初夏の花が次々登場するのが目の慰め。

 

雨の後などはヒルも出るとおどかされていたけど、対策をしっかりし、天気も良かったので、お目にかからずに済み一安心。
林道の終点からは、大谷川に沿って歩いていく。

サワグルミ、トチ、カツラなどで構成される渓畔林は、大木も多く、深々とした緑に包まれ、メンバーから「ここでゆっくり昼寝したいなー」との声が。
緑を透かす初夏の日差しが、渓流を輝かせている。

先行する踏み跡は、アマゴ釣りの二人連れだった。
赤テープに従って、大谷川を直進しようとして、釣りの人が、「登山道は手前でしたよ」と五蛇池山との分岐点に案内してくれる。

せっかく、五蛇池山登山の際分岐をチェックしたのに、緑が深まって気付かずに行き過ぎるところだった。

ここから尾根に取り付く。
岩のやせ尾根に、ヒメコマツ、ヒノキの根とシャクナゲがびっしり絡む。

短い距離の間に標高差400m以上の急登。
尾根上部で小蕎麦粒と蕎麦粒山をつなぐ稜線に接続。

大きな岩があり、蕎麦粒山や、奥美濃の山々が展望できるポイントで、昼食をとる。

お湯を沸かして食べたカップ麺のうまさに感動する新人N君。

何でも感動できるっていいなあ。。
稜線接続点から蕎麦粒山山頂までは1時間もかからないだろうと思っていたけれど、太いネマガリタケ(チシマザサ)が踏み跡に被さり、ヤブ漕ぎの連続で、1時間半ほどもかかる。

10年ほど前にこのルートを通ったTuboさんによれば、前よりずいぶん踏み跡が不明瞭になったという。

大谷林道通行止め地点から直接尾根に取り付く新しい最短ルートができて、従来のルートは、最近ほとんど人が入っていないということのよう。

ネマガリタケのタケノコを収穫できて思わぬお土産ができた。

ただし、熊の好物でもあり、その気配が濃いので、笛を吹きまくって進む。
予定より2時間ほど遅れて、蕎麦粒山山頂に到着。

二等三角点の山頂は開けていて、360度の展望が得られる。
東側に重畳する越美山地の山々。

最前列左側のピークが五蛇池山、それに続いて黒津山、その奥が天狗山。さらに奥の一連の山並みは小津三山。

この2年の「『岐阜百名山』勝手に選定委員会」の取り組みで、ピークを踏んだ山が増えたもの。

そんな山々の上を雲の影が流れていく。
北側には、能郷白山、その奥に白山連峰。

両白山地の盟主が並んでいる。

そのほか、北東には、恵那山、木曽山脈、御岳、乗鞍なども確認できた。
下山は、新しく開かれた南側の尾根ルートを下る。

湧谷山の手前で左手(東側)に急降下し、ちょうど駐車した大谷林道の通行止め地点に降り立つことができる。
尾根上は、ササが被る部分もあるけれど、廃道になりかけた従来コースに比べれば格段に明確。

やや単調で、シャクナゲは見られないけど、立派なブナが多くて、気持ちよく降りていくことができる。
尾根ルートの最後は、植林帯の作業道に合流。

大谷川には、丸木橋も架かっていて、無事下山できる 。

「尾根未道のピストンじゃなく、やっぱり周遊できることに意義があるんじゃないかな」とTuboさん。

同感デス。

 

登山靴を脱いで、帰り支度をしているみんなの前で、やおらブレイクダンスを踊りだすY君 (@。@;)ナント

「登山とは全然別の動きをすると疲れが取れる」そうだけど、真似できまセン。

<登山記録> (―:車、…:徒歩) (地図はクリックで拡大→) 

2017年6月4日(日) 快晴
―さかうち道の駅(登山届提出)―大谷林道通行止地点(駐車)8:30…(廃道化した大谷林道終点から大谷川沿いの踏み跡をたどる)…五蛇池山登山道との分岐10:20…稜線取付き12:00~12:20…蕎麦粒山山頂14:40~15:15…(尾根新ルート)…林道通行止地点17:30―(帰路)

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<メモ>

・大谷林道が使用できた頃は、林道終点から大谷川を遡行し、蕎麦粒山と小蕎麦粒間の稜線に出る尾根をのぼるのが一般的だった。

・しかし、大谷林道はメンテナンスされず、崩壊したまま放置されて久しく、大きくカーブして標高を上げる手前のところで通行止めとなり、長い林道歩きが必要となった。

・このようなことから、近年林道通行止地点から大谷川を渡り直接尾根に取り付く最短ルートが開かれ、これを往復利用する登山者がほとんどとなった。

・そのため、従来ルートは尾根の急登部分はさほど問題ないが、稜線部分に出てから山頂までの踏み跡にネマガリダケが被さって、ヤブ漕ぎを強いられるようになっている。

・新たな尾根ルートは、一部ヤブが被っているところはあるが、おおむね踏み跡は明確である。

・従来ルートは、シャクナゲが多く、大谷川源流部の渓畔林も美しいので、本文にもあるようにできれば周回コースとして整備されればこの山の魅力は増すはず。

 

| ぼっち | 「岐阜百名山」勝手に選定委員会 | 21:44 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
大人の冒険ごっこ―ミノマタ(1,101m)

地図に名前の載った山でさえ登山道のないことが多い奥美濃山域。

まして、三角点だけが表記された名無しのピークに道なんてない。

それでも、地元や関西・中京のディープな山屋は、残雪を踏んだり沢登りで、果敢にピークをめざしている。

 

揖斐川町藤橋(旧藤橋村)にある三等三角点基準点名三ツ又、通称「ミノマタ」も、そんなピークのひとつ。

地元山の会9名で、沢を詰めて行って来マシタ (ロ。ロ)/オウ

 

(クリックで地図拡大→)
観光施設、藤橋城の駐車場が出発点。

自動車通行止の看板を行き過ぎ林道を歩き出すと、しばらくで崩落地。

道沿いには初夏を告げるピンクのタニウツギの花が、崖には白い穂花シライトソウが咲いている。

遠い山ばかり行ってたぼっちは、シライトソウ見るのは初めて。
地図を読み、実際の地形を観察し、取り付き点を探すリーダーHNさん。

地図に載っていない巨大な堰堤の上から、川原に下り、谷に入る。
谷は急で、小滝が連続する。

直登か、高巻きか、奥美濃の強者(つわもの)たちが、議論しながらルートどりをしていく。

大変勉強になりマス。
渓流沿いには、サワグルミのしたたる緑が初夏の空を透かしている。
ひときわ見事なトチの大木が一本。

木地屋が入った谷では、主要な材料となるトチの大木は見られないことが多いけど、急斜面なので伐採を免れたのか。
2時間半ほど沢を詰めると水はなくなり、ササ付きの急斜面になる。

稜線上にごくかすかに踏み跡が残るものの、終始ヤブ漕ぎで山頂に到着。

三角点の周り以外座ることもできないので、のこぎりでヤブを切り払って、ようやく弁当を開く。
ヤブの中にしては木が生い茂っていないので、案外展望がきく。

東側真正面に小津三山。

御岳や、先週登った乗鞍岳も、白い姿をのぞかせている。

展望にはまったく期待していなかったので、特別なごほうびをもらった気分。。
下山は、西側に少し進んだ先の鞍部から、ササをつかみながら一気に谷を下る。

途中、蕎麦粒山と小蕎麦粒が、樹林の間に顔をのぞかせている。

待っていて下サイ。
緑の海に沈みこむように、谷を急降下。

沢の水は登りのルートより少ないけれど、下りは、直接下りるのか、巻くのか地形の見極めが難しい。

「植林が見えるし、沢を降り切らなくても、林道に出会うんじゃないか」というNさんの読みのとおり、ヤブをかき分けると崩落の激しい林道の先端に出る。
あとはフキやウドなどの山菜を土産に採りながら林道をゆうゆう下るばかり。

山にはいろんな魅力や楽しみ方があるけれど、ミノマタは、「大人の冒険ごっこ」の格好のフィールドでありマシタ。

 

 

<登山記録> (―:車、…:徒歩)

2017年5月28日(日) 快晴  N、HNはじめ9名
藤橋城駐車場(駐車)6:45…(林道歩き・途中崩落あり)…堰堤上で河原へ8:00…ミノマタ山頂10:45~11:35…林道終点13:40…藤橋城駐車場14:40―(帰路)

 

| ぼっち | 「岐阜百名山」勝手に選定委員会 | 20:15 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
乗鞍岳千町尾根を行く(後編)―奥千町避難小屋から乗鞍岳

(前編から)

翌21日、3時半起床。

奥千町ヶ原上空の星たちは消えかかり、月と金星が夜明けを待っている。
次第に淡く染まりはじめる北ノ俣岳から笠ヶ岳にかけての山たち。

7月に縦走予定なので、待っていて下サイ。
5:10 アイゼンを着け、乗鞍岳に向け避難小屋を出発。

荷物をデポしていくので、(当面)身は軽い。
アイゼンが、朝陽に輝く雪面をとらえていく。
途中、御岳の見える小ピークの雪面に、2体の石仏が顔を出していた。

石仏は、山岳修行者上牧太郎之助が設置したもの。

太郎之助は明治32年(1899年)、旧朝日村青屋から乗鞍の大日岳まで延々続く20劼凌仰の道を拓いた。明治41年(1908年)の飛騨山岳会設立よりも9年も早く、乗鞍岳が広く登られるきっかけとなった。

さらに、道中安全のため88箇所に2体ずつ石仏を安置。

その後、各方面から登山道でき青屋口からの道は廃道化したのを惜しみ、朝日町(旧朝日村)の有志が、石仏を探し出して再設置されつつあるという。
尾根はびっしりハイマツに覆われている。

ハイマツ漕ぎをなるべく回避すべく、雪面をたどっていく。

陽が登ると雪が緩み、何度も踏み抜いたりしてピッチが落ちる。
最高峰剣ヶ峰には、屏風岳から大日岳直下を巻りこむのだと頭でわかっていても、歩きやすい所を探しているうちに、いつしか大日岳の斜面を登りかけてしまっている。

NさんとHNさんは、そのまま大日岳の稜線を強行突破。

ぼっちとHさんは夏道までいったん下り、大日岳と剣ヶ峰の鞍部で合流。20分ほどお待たせしてしまった。

途中、夏毛に変わりかけた雷鳥3匹に会えたので、まあ良しとしよう。
岩が剝き出しになった剣ヶ峰には、最後アイゼンを脱いでよじ登る。
日影平の登山口から、1日と4時間30分、ようやく剣ヶ峰山頂に到着。

畳平からでは、乗鞍岳を極めたことにはならないというNさんのこだわりで

ようやくたどり着いた、17番目の一等三角点。
乗鞍岳山上に集うのは、ほとんどがスキーヤーたち。

HNさんも、山スキー仲間と無線で連絡を取り合い、山上で合流。
剣ヶ峰には、昨年の「山の日」にも家族で畳平から登ったけど、長丁場を歩きとおして見る残雪の飛騨山脈のありがたみは格別。
さあて、名残りは尽きないけれど戻りますか。

緩んだ雪は、注意していても踏み抜いてしまう。

奥千町避難小屋でデポした荷物をザックに入れて、目印の赤布を外しながら進む。

歩くだけでも長い長い道のりを、独力で拓いた先達。

それだけ山の持つ力がものすごいということでしょう。

 

丸黒山への最後の登り返しに苦しむ時、足元のバイカオウレンの白い花たちがもう少しだヨと応援してくれマシタ。

 

<登山記録> (―:車、…:徒歩)  

2017年5月21日(日) 快晴 N、HN、単独行
奥千町避難小屋5:10…(途中大日岳直下でルート取りに苦労)…乗鞍岳山頂9:40…奥千町避難小屋13:10~13:30…丸黒山16:10…国立乗鞍青少年交流の家18:40―(帰路)

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<メモ>

○日影平からの千町尾根ルートの概要

・国立乗鞍青少年の家の駐車場からまずは丸黒山をめざし登山開始。

 ここには登山届のポストはないので、警察に提出するか、インターネットを介して提出するしかない。

・丸黒山までのルートはよく整備され60分のいくつという行程を示すプレートもある。

・丸黒山から先は、ヤブ漕ぎ・ハイマツ漕ぎ・ルートファインディング要の自己責任の世界。

・丸黒山からの下りが急で(帰りは急登)滑りやすいので注意。

 その先の尾根は明確で踏み跡もあるが、ヤブ漕ぎも一部要。

・オオシラビソの樹林帯に入るあたりから尾根がだだ広くなり迷いやすい。赤布を用意するなど対策を(赤布残置は後続の迷惑になるので帰路外すこと)。GPSが特に役立つ箇所。

・奥千町避難小屋は、15名ほど泊まれトイレもありしっかりしている。

・避難小屋から上の尾根はハイマツのヤブ漕ぎ。今回は刈り払いがされていた。

・夏場は千町ケ原の湿原などで木道が使える。

 

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乗鞍岳千町尾根を行く(前編)―日影平山、奥丸山

乗鞍岳は、標高3,026m、富士山、御岳山に次ぐ日本第3の高さを持つ火山。

最高峰剣ヶ峰など8つの峰から構成されるカルデラのほか、23の峰から構成される複合火山で、その山域は、約250㎢と、飛騨山脈で最も規模が大きい。

岐阜県側に乗鞍スカイライン、長野県側に乗鞍エコーラインが通じ、バスかタクシーで標高2,702mの畳平まで上がれ、日本で最も簡単に登れる3千m峰。

だから、本格的な登山を志向する山屋には、登山の対象とは見られていなかったりする。

 

しかし、乗鞍岳の西側の千町尾根に、ほとんど知られていない素晴らしいルートがあるらしい。

日影平を登山口とし、千町尾根を経由して乗鞍岳まで15勸幣紂

途中の丸黒山までは登山道が整備されているけれど、その先は刈り払いもあまりされない、ヤブ漕ぎ・ハイマツ漕ぎのルート。

幸い地元山の会の重鎮Nさんも行かれたいとのことで、会の精鋭HNさん、Hさんの4人と、残雪期を狙って行ってきマシタ (ロ。ロ)/

「国立乗鞍青少年交流の家(旧乗鞍青年の家)」は、林間学校として子持ちの岐阜県民にはおなじみの施設。隣接して飛騨高山スキー場がある。

この一帯が日影平と呼ばれる、今回の登山口。
林間学校の野外活動で登られる丸黒山までの登山道は大変よく整備されている。

歩き出して25分ほどで、日影平山の入口があり、約5分で1,595mの山頂に立つことができる。

「ぎふ百山」になってるけど、カラマツなどの生い茂る山頂からの展望は今一歩。
カラマツの新緑に染まる登山道の道脇には、マイヅルソウやツバメオモトが葉を出したところ。

稜線をアップダウンする新道と、巻き道の旧道に何箇所か分かれるが、先が長いので、なるべく巻き道を利用。

旧道・新道の出合いの枯松平には、大変立派な避難小屋がある。
「ガンバル坂」と「根性坂」という長い階段が登場。

元気のありあまる学生さんには良いかもだけど、重い荷を背負う身には、ことさら感のある名前。。
坂を登りきると、南北に長い丸黒山の山上に出る。

南端の山頂に向け進んでいく途中に、角の丸い三角点が。

主三角點といって、明治時代、当時の農商務省山林局が国有林の測量を行う際に設けた三角点で、残るものは少ないらしい。

岐阜県の一等三角点17、二等三角点148の完全制覇をめざしておられるNさんは、興味津々のご様子。
約3時間30分で、丸黒山(1,956m)に到着。

最近登山道が整備されたからか「ぎふ百山」にも「続ぎふ百山」にも入っていないけれど、三等三角点と祠のある山頂からの、残雪の乗鞍岳は圧巻。
絶景はそればかりじゃない。

北西には鋭角に突き立つ笠ヶ岳や黒部五郎岳。
北東には、焼岳の向こうに穂高連峰や槍ヶ岳。

若かりし日、滝谷などで先鋭的なクライミングをされていたNさんには、格別の光景でありましょう。
丸黒山からいったん一気に下り、登り返すあたりから雪が現れる。

モミやダケカンバの巨木が多く、深山の空気につつまれる。

何年か前に刈り払いがされたのか、踏み跡をたどりながらのヤブ漕ぎはさほど困難ではなかった。
標高を上げ、狭い尾根が広がるあたりからは、オオシラビソが多くなる。

広い尾根に迷わないよう、左手の崖に沿って登る。

トップのぼっちが、木を避けては右左にルートを振るので、Nさんは、そのたびに目印の赤布を付けていかれる。

「下る時に目に入るように付けるのが大事」

ベテランのご指導、勉強になりマス。
樹林が切れ広々とした雪原に出る。

このあたり、夏は千町ケ原という湿原になる。

今夜の泊まり、奥千町避難小屋には、ふたたび樹林帯を登り越さなくてはならない。
標高2,357m三角点のある、奥千町ケ原にある奥千町避難小屋に到着。

南に御岳が雄大な裾野をのばしている。

小屋はログハウスの大変しっかりした造りで、トイレもある。

千町尾根のルートには水場がないけれど、無尽蔵に雪があるから安心。

ザックが重かったのは、アルコールをたくさん担ぎ上げてきたから。

陽が落ちるまでは、小屋の入口で山々を見ながら、日が落ちてからは飯を作りながら、21時までエンエンと酒盛り。

寝る前に、外に出たら、雪原の上に満天の星。
 

<登山記録> (―:車、…:徒歩)  

2017年5月20日(土) 快晴 N、HN、単独行
大垣市(集合場所)5:15―国立乗鞍青少年交流の家(駐車)8:15…日影平山分岐8:45…日影平山8:50…分岐8:55…枯松平避難小屋9:50…(ガンバル坂・根性坂)…丸黒山11:20~11:40…千町ヶ原14:45…奥千町ヶ原・奥千町避難小屋15:45(泊)

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| ぼっち | 「岐阜百名山」勝手に選定委員会 | 21:46 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
鈴鹿山脈北部の山々―烏帽子岳・三国岳

鈴鹿山脈は、岐阜・三重・滋賀県境沿いに位置し、おおよそ北は霊仙山から南は鈴鹿峠までとされる。

そのうち岐阜県に位置する山(※)は、2月に行った霊仙山(1,083m)と三国岳 (894m)、烏帽子岳(865m)の三山。

※2万5千分の1地形図に山名記載の山。ただし、霊仙山の山頂は、滋賀県側にある。

三国岳と烏帽子岳は隣り合い、どちらも4月下旬から5月初旬にかけてのホンシャクナゲが見どころ。

ということで、連休最後の7日、「細野ルート」で烏帽子岳に登り三国岳へ縦走し、「阿蘇谷ルート」で下山する周回コースで行ってきマシタ (ロ。ロ)/

烏帽子岳は、揖斐川の支流牧田川の上流にある大垣市上石津町旧時村に面して立ち上がる。

その名のとおり、烏帽子型の姿が里からよく見え、別名「美濃富士」とも呼ばれる。

また、山裾の街道が近江と伊勢に通じる交通の要所であったため、平安時代の大盗賊熊坂長範がこの山を拠点にしていたとの言い伝えから、「熊坂山」とも呼ばれる。
一方、三国岳は、その名のとおり、美濃・伊勢・近江(岐阜・三重・滋賀)三国の境に位置する。

内陸県で他県と山で接している岐阜県には、三国岳が2山、三国山が3つもあり、鈴鹿山脈の三国岳は、その代表選手。

ただし、里からはあまりよく見えない。

(画像は、時バンガロー村からの三国岳)
  。時時地区の案内図をみても、烏帽子岳はその中心に大きく記されているのに、三国岳は山名さえ載っていない。
登山に先立ち、下山口にMTB「ルイガノ号」を置き、登山口の細野集落に向かう途中、愛車奥地君が脱輪  (T。T)ヤッチマッタ

JAFに助けてもらい、2時間遅れで登山開始。(JAFさんありがとう。)
細野ルートは最近整備され、きれいなトイレには、烏帽子岳案内のおしゃれなパンフレットも設置。

遅くなったせいもあるけど、駐車場はいっぱい。

同じ揖斐川水系の山なのに、奥美濃の山とは違い過ぎ。
スギの植林帯を抜けると、烏帽子岳の山頂が見える。

さらに、展望スポットが4箇所も設けられている。
植林帯を抜けると、温帯照葉樹と、新緑輝く広葉樹の二次林が混在。

岐阜県の山で温帯照葉樹の山は限られる。

木の名前のプレートが付けられているので、ここはメモを取ってしっかり勉強。

ソヨゴ、ヤブツバキ、アカガシ、アズキナシ、リョウブ、ウラジロガシ、ナツツバキ、コハウチワカエデ…
登山道は、途中「展望岩コース」と「大岩コース」に分かれ、今回は展望岩コースを選択。

ここが、今回一番の展望ポイントで、霊仙山、伊吹山、養老山地の最高峰笙ケ岳などが拝めた。
三等三角点の烏帽子岳山頂。

南側には鈴鹿山脈の最高峰、御池岳など、三重・滋賀県境の山々も見える。

日差しを避け、木立の中で弁当を開いている人多数。
烏帽子岳から、三国岳に向けた稜線に入ると人影は一気に少なくなる。

しかし、このあたりからがホンシャクナゲの群生地。

ちょうど満開の時期で、華やか。

石灰岩の山なので夏はヒルもいるそうだから、今頃か晩秋がベストでしょう。
烏帽子岳の登山道である時山バンガローへ下る分岐の標識を最後に、三国岳へのルートには標識はなくなる。

ただし、中間地点までは送電線の巡視路になっているので道は整備されている。

灌木の被さった稜線上の道で、唯一三国岳が見える岩があるのだけれど、近年超高圧の鉄塔ができて、残念な風景。
三国岳にも本シャクナゲが多いが、炭焼きの山だったせいか、植生全体としては烏帽子岳より若い広葉樹林主体という印象。

山頂直下に、石灰岩の岩場が登場。

それを登りつめると、三国岳山頂(894m)。
ただし、三角点はなく、最高点は10分弱南の三重・滋賀県県境上に911mのピークがある。

どちらも、樹林に覆われているが、北側に続く御池岳方向は見える。

三国岳を起点に、鈴鹿峠まで縦走するのもいいかもと考えてしまう山馬鹿。

 

 

 

 

三国岳山頂に戻り稜線を直進すると、ふたたび鉄塔のある場所を通過、そのしばらく先で阿蘇谷へ降りる分岐を右手(北)に取る。

谷は最初ジグザグに下り、ダイラと呼ばれる、谷が大きくおだやかに広がった緩斜面に出る。

このあたりは、炭焼窯が集中していた場所らしく、石組みの跡がいくつも目に入る。

旧時村の人々にとって、三国岳は「生産の場」だったんでしょう。
ダイラの下部から、事前情報どおり大水で登山道が流されていたり、大木が沢をふさいでいたり、送電線の巡視路用に掛けられていた鉄の立派な橋が流されていたりする。

最近橋が架け直されたり、最低限の復旧は行われたようだけど、登山道としては荒れているので、増水時などは通行しないのが無難でしょう。
植林帯の中に入り込みしばらくで、滋賀県との県境の集落時山に出る。

関ケ原の合戦の時、猛将島津義弘が東軍を突っ切って逃げ延びた道であるとの立札があった。

後は、待たせていたMTBルイガノ号で、のんびり山間の古い道を細野登山口まで下って、周回完了。
 

<登山記録> (―:車、…:徒歩)  

2017年5月7日(日) 快晴(黄砂飛来) 単独行
自宅6:30―時山集落(MTB駐輪)―細野登山口(駐車)9:40…(展望コース)…烏帽子岳山頂11:05〜11:10…三国岳12:55…911m最高点13:20〜13:40…阿蘇谷分岐14:10…時山集落15:40―(MTB)―細野登山口15:55―(帰路)

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<メモ>

・烏帽子岳は、この地域人気の山であり、大垣市上石津町細野集落からの細野ルート、時集落からの北西尾根ルートはよく整備されている。ほかに、三国岳からの縦走ルート、狗留尊岳を経由する篠立からのルートなどもある。

・三国岳は、地元での登山道整備はされておらず、送電線巡視路に重なる部分が電力会社で整備されている。

 烏帽子岳からの縦走ルートは、途中まで送電線巡視路と重なり踏み跡も明確だが、登山用標識等はない。
 時山からの、烏帽子岳登山道でもある部分はよく整備されている。
 阿蘇谷のルートは、水害のため鉄の橋が2つ流され、ワサビ田跡から上部のダイラまでの区間で崩落が激しい。

 悪天時や、雨の後は通行は避けたい。ただし流された鉄の橋は、巡視路でもあるため最近架け替えられた。

・ヒルの多い山のため、5月中旬〜9月はその対策を。

 ホンシャクナゲ咲く4月下旬〜5月初旬、紅葉の晩秋がベストシーズン。

 

| ぼっち | 「岐阜百名山」勝手に選定委員会 | 06:29 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
連休、山に行ってたばかりではありまセン

このブログを見ていただいている皆さまにおかれては、連休連日山にばかり行って、ぼっち家が崩壊しないかご心配かも。

でも、ご安心。ちゃんと下界の連休もやっておりマシタ。

最近ブームの「ダムカレー」を食べたいと言う連れ合い。

3日花房山の下山口まで迎えに来てもらったついでに、徳山ダム湖畔の徳山会館で、「徳山ダムカレー」を注文。

ここのダムカレーの特徴はカレー・ルーを掛けて「放流」が楽しめること。

ただし、人気があるので「基礎地盤」(皿のこと)の数限定となる。
日本一の貯水量を誇る徳山ダム。

ダムマニア的に言えば、水資源開発機構が事業主体のロックフィルダムでありマス。

連休中は、観光放流が行われ、大人気。

(徳山会館に駐車し、シャトルバスで放流を見学。)
徳山ダムの下流にある横山ダム。

ダムマニア的に言えば、国土交通省が事業主体の中空重力式コンクリートダムでありマス。
ダム管理事務所の入口には、ここで木村拓哉主演の映画「SPACE BATTLESHIP ヤマト」が撮影されたとの説明が。

中空になったダムの構造を活かした特写だったらしい。

最近のダムブームで、連休中もお忙しいだろうに、所員の方が親切にダムカードをくださいマシタ。
そして横山ダムの少し下流にある、「道の駅 星のふる里ふじはし」へ。

ここの名物が、横山ダムと徳山ダムを一皿に表した「よことくダムカレー」。

でも、人気過熱で売り切れで、連れ合いはがっかり。

小津権現山の登山口に軽トラ「エーグル号」を迎えに行く間も、口数少なめ。
連れ合いと分かれ、帰路、かつて美濃地方を代表する木地屋の里であった小津集落に立ち寄る。

小津は、農耕・林業に従事する集落に木地屋が移り住み、江戸時代中期には木地屋集落として栄えた。

しかし、材料となるトチの木が枯渇し、食料としても重要なトチの所有について村民との争いもあって、木地屋はこの地を去っていったという(詳細資料)。

村の中央にある白山神社には、「元文庚申歳(1740年)八月」「小津村惣中木地屋惣中」と書かれた対の常夜灯が残され、かつて木地屋が村の重要な位置にいたことをしのばせる。
5月6日は雨の天気予報。

山の迎えをしてもらっている連れ合いには、こういう日にまとめて恩返し。

11時過ぎに道の駅に到着、「よことくダムカレー」にありつけ、連れ合いは上機嫌。

どのように二つのダムの個性を表しているかは、画像をご覧くだサイ。
道の駅ふじはしには、「徳山民俗資料収蔵庫」が併設されている。

これは、ダムに沈む前に収集された旧徳山村の民具5890点を保管・展示する施設で、山村の生活用具としては全国最大、国の有形民俗文化財に指定されている。

木の皿や燭台などのロクロ細工。小津の木地屋が作ったものだろうか。。
山の狩猟道具、川の漁撈道具なども豊富。

徳山は、岐阜県でも最も早く開け、縄文時代からはじまり、各時代の遺跡が、ダムに沈む前発掘されている。

縄文時代からづづく豊かな自然の産物を採集する生活が徳山では生き続けていたのだろう。
収蔵庫に掲げられた、岐阜県の最大積雪分布図。(クリックで拡大→)

これを見ると、白山一帯と並んで、旧徳山村のある越美山地西部の積雪が突出して多いことが分かる。美濃俣丸から笹ヶ峰まで縦走したからこれには納得。

雪国といえば飛騨を連想しがちだけれど、内陸部で中央高地式気候だから、積雪自体は比較的少ないんだな。。
もうひとつ、心ひかれたのは、かつて徳山小学校に掛けられていた昭和41年(1966年)の「校下絵図」。(クリックで拡大)

旧根尾村から馬坂峠を越えていた時代がしのばれるもの。

今は、人のにおいが少なくなった越美山地西部の山々が、山村の暮らしの中にあったことが伝わり、じっくり眺める。

徳山の小学校で教師をしていた今は亡きお父さんをしのび、連れ合いもしみじみ眺めていた。
 

 

| ぼっち | OFF TIME | 20:33 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
タフな山―五蛇池山(1,148m)

五蛇池山(1,148m)は、「奥美濃の槍」の異名をとる、名峰蕎麦粒山(1,297m)の東に連なる。

標高でも山容でも、できすぎたお隣には見劣りするし、ゴジャイケというどこか鬱陶しそうな山名もあってか、まったく人気がなく、もちろん登山道もない。

ぼっちは、なぜか10月と豪雪の2月の2度も登ったのに、大変だったという印象しか残っていない(※)

(※10月は奥美濃の主といわれたTさんの尾根に取り付くオリジナルのルート、2月は腰までの雪のラッセルという状況。)

そんなことでは、「『岐阜百名山』勝手に選定委員」は務まらない。

誰か誘いたいけど、貴重な連休中、誰もついてきてくれそうにないので、単独行ヘルメット持参で行って来マシタ (ロ。ロ)キンチョウ

揖斐川町坂内広瀬の集落から、今は廃墟となった「遊ランド坂内スキー場」を過ぎ、大谷川を遡行。

砂防ダム建設用の道路を作っている場所で通行止めになる。

ここから右手の、大谷林道に入る。

看板には「蕎麦粒山へはこちらから」とあって、五蛇池山は書いてもらえない。
2万5千分の1地形図で、大谷林道はしっかりした道のように記載されているけど、実際は数か所崩落して、整備のよくない登山道という状態。
大谷林道の終点近くになると、谷は浅くなり、大谷川は渓流のたたずまい。

サワグルミを中心とした巨木たちが、芽吹きの時を迎えている。

ただし、渓畔林の代表選手のトチの大木が見当たらなかったのは、木地屋が入った後だからかもしれない。

蕎麦粒山方向(左手)に折れる支流をひとつやり過ごし直進。
次に、右手(東)に岩だらけの支流を分けるポイントに出る。

ここが、五蛇池山と蕎麦粒山の分岐で、

岩だらけの支流に入らず沢を直進するのが五蛇池山のルート。

左手の尾根に取り付くのが蕎麦粒山のルート。

(現在のところ、「岳友タンネの会」の黄色いプレートが両方向に残っているけど、自己責任の山なので、あまり他人の目印に頼らない方がいい。)
沢を詰めていくと、地図にない細かい沢の分岐に出会う。

しばらくは、テープの類が残置されていたので、これに頼っていたけど、ある地点からまったくなくなり、気が急いて尾根に取り付いてしまった。

GPSを確認すると、めざす稜線最低鞍部の五蛇池峠方向からどんどん離れてしまい、ヘルメットを被り、必死に岩を巻いて沢の方にリカバリー。

結論からいうと、途中で断念する人も多いのか、テープに頼ったのが失敗。

鞍部を意識しながら、画像のメインの谷を最後まで登りつめるのが正解。

 

沢は、よじ登ったり、小さく巻いたりの連続。

沢の源頭部までくると、もう稜線は見えているのに、足がなかなか前に出ない。
ヘロヘロになって、ようやく稜線にたどり着く。

五蛇池山のピークが、もっさりした姿を見せる。
西を振り返れば、小蕎麦粒、そして蕎麦粒山本峰が、登高欲をそそる姿でそびえている。

6月に山仲間と登る予定なので、待っていて下サイ。
鞍部からは、二重稜線になっていて、稜線の間の溝状の窪みをしばらく進むと沼のような場所に出る。

これが、五蛇池山の山名の由来になった5つの池の名残り。

かつて池には、雨乞いのため、龍神が祀られていたのだという。
池の先は、窪みに残雪がずっと残っているので、踏み抜きに注意しながら詰めていく。

最後は、ヤブ漕ぎ。うっすらした踏み跡を見付け、それをたどる。

微かな踏み跡でも、踏み跡があればピッチが格段に速くなる。

ヤブの中の山頂に到着。三等三角点の標石と朽ちかけた山名プレートが転がっているだけ。
ヤブが深くて、蕎麦粒山や能郷白山方面は見えなかったけれど、残雪のおかげで、東側だけが辛うじて開けている。

行ったばかりの小津三山の全貌が間近に見え、嬉しかった。
帰路は、正解ルートが分かっているので、心おだやかに、ヤブの中の踏み跡ををたどる。

途中、新緑の海の向こうに、能郷白山が拝める場所があった。

数日前に比べても、残雪は確実に減っている。

季節は一日一日進み、人生もまたそうなのに気付く瞬間。
五蛇池峠を経て、踏み跡は、谷のどん詰まりの大岩の脇を回って沢に入る。

ああ、ここを巻けばよかったんだ。。

「今の正解」は、分かったけど、谷の状況はどんどん変わる。

自分なりのルートを悩みながら見出すのも、奥美濃の山域登山の魅力なんだと改めて知った、ずっしり充実の一日デシタ。
 

<登山記録> (―:車、…:徒歩)  

2017年5月5日(金) 晴 単独行
自宅5:30―坂内広瀬集落―通行止め地点(駐車)6:45…(林道)…蕎麦粒山との分岐8:30…(途中1時間程度道迷いでロス)…鞍部11:00…池11:05…五蛇池山山頂11:45~12:10…池…鞍部(五蛇池峠)12:50…蕎麦粒山分岐13:50…通行止め地点15:30―(帰路)

(←地図はクリックで拡大)

 

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| ぼっち | 「岐阜百名山」勝手に選定委員会 | 05:42 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
小津三山訪問記(2)―雷倉(1,169m)

翌5月4日、小津三山の残る雷倉(らいくら:1,169m)をめざす。

雷倉は、能郷白山から南に延びる雷倉山脈とも呼ばれる支脈の中央部に位置する。

支脈は、雷倉を経て西南方向に曲がり、花房山、小津権現山へと続いていく。

そのため小津権現山、花房山が揖斐川本流側に登山口があるのに対し、雷倉は支流の根尾川側の本巣市八谷にある。

山名の由来は、八谷の中又谷に「雷鳴倉」という岩場があることによる(「新日本山岳誌」)。

「倉」は、大台ケ原の大蛇堯覆世い犬磴阿蕁砲痢庠堯廚汎瑛諭大岩の崖をさすのでしょう。

 

4日も五月晴れ。
岐阜県民の大好きな鮎釣りやバーベキュースポットの多い根尾川沿いの国道157号線を北上。

道の駅を兼ねたうすずみ温泉という観光スポットで小休止。

ここから雷倉の山頂部が台形になった特徴ある姿を拝むことができた。

うすずみ温泉を過ぎると、道はいきなり細くなり根尾川は西に八谷谷を分ける。

川に沿う県道は、馬坂峠を経て今はダムに沈んだ旧徳山村に至るる。

かつて徳山村には揖斐川本流から車で入ることは困難で、バスはこの道を通っていたのだという。
馬坂峠への県道を左手に折れた橋のたもとに軽トラ「エーグル号」をとめ、橋を渡って八谷の集落に入る。

バス停のある集会所前の坂道を上った、どん詰まりが登山口―といってもなんの標識もない。

登山ルートは、川に沿って直進するのではなく、山に取り付いて左手に大きく折れ、用水路に出るのが正解。

コンクリートの蓋のされた、ほぼ水平に続く用水路に沿って進む。
用水路が谷の分岐で堰堤に向け大きくカーブするところを、曲がらずに川に向けて降りていくと、川の合流部に架かる鉄の橋に出る。

橋を渡ると、植林帯の尾根に取り付く。ここからは一本道。
尾根をまっすぐ登る道は、標識は一切ないけれど、林業用に使われているためか踏み跡はしっかりとしている。

朝陽の中、杉木立を抜け山桜の花吹雪がたくさん舞い降りてくるので、思わず脚を止めて見上げる。
やがて尾根は広葉樹の二次林に変わり、新緑がまぶしい。

ひたすら森閑として、静かな山好きにはこたえられないところ。
やがて斜面は胸を突くようになり、石灰岩のゴロゴロする岩場に差し掛かる。

踏み跡やテープをたどりながら慎重に進む。

岩場を過ぎると緩やかな尾根筋に出、踏み跡に沿ってヤブをかき分けていく。
やがて、雷倉の山頂が姿を現し、しばらくでかつて伐採に使われた山頂まで延びる廃道化した林道と出会う。

この先落石などがあっても責任は持てませんとの「管理者」の立て看板があるけれど、荒れ果てた廃道、何を管理しているというのだろう。。
林道を過ぎるとふたたび斜面が急になり、台形の山頂部の手前に差し掛かっているのが分かる。

根尾川の水源でもある、残雪の能郷白山が間近に見える。
急斜面が終わると、不意におだやかな山上の別世界に入り込む。

緩やかな道沿いにブナの巨木が続く。
木立の間に、西側の山々も見える。

花房山が三つ頭の堂々とした姿で根を下している。

残雪期は、縦走もできるようなので、いつかたどってみたい。
三等三角点の、ざっくり刈り払われた雷倉山頂に到着。
何より目に飛び込むのは、真っ白な白山の姿。

小津三山の最北なので、最も大きく神々しく見える。

かつて小津の木地屋たちも、この頂きで手を合わせたのだろうか。
ぼっちにとってうれしかったのは、徳山ダム周りの山々がしっかり観察できたこと。

上谷山、そしてその向こうの美濃俣丸から笹ヶ峰の稜線

未知の山々の重なりに見えた山域が、懐かしい場所に変わるのは、山馬鹿にとってかけがえのない喜びでありマス。

 

 

 

<登山記録> (―:車、…:徒歩)  

2017年5月4日(木) 快晴 単独行
自宅5:00―根尾八谷(駐車)7:00…鉄の橋7:35…林道出合9:25…雷倉山頂10:25~11:00…林道12:15…鉄の橋13:20…八谷13:20―(帰路)

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<メモ>

・登山者は一定数あるが、地元等で登山道整備はしておらず、自己責任の山となる。

・ルートのポイントは、八谷の取り付き点と、鉄の橋、石灰岩の岩場を抜ける踏み跡を見逃さないこと。

 また、林道上の急斜面からポンと山上の緩斜面に入り込み左折するポイントを、登りの時点でよく目視しておくこと。

 帰路、直進する踏み跡の方が明確なので、右折せずそのまま行き過ぎてしまうおそれがある(ぼっちもやってしまった)要注意。

 

| ぼっち | 「岐阜百名山」勝手に選定委員会 | 07:11 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
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