WALK あばうと 日本4,000山

「新日本山岳誌」掲載の約4,000山が修行の地。 めざせ山仙人!
2月の大坐小屋たより―スキー場の山馬鹿

厳冬期2月の三連休。山も誘ってるけど、大坐小屋の管理人として雪下ろしだけは済ませておかねば。。

屋根から落っこちないか監視役の連れ合いと下の娘も同行。

日本海側の豪雪に比べれば、積雪は1m足らずと案外少なく、屋根の雪下ろしには最強のスノーダンプ「クマ武」を使って、2時間足らずで完了。

残った時間、久し振りにスキーでもしようかな。。

画像:「クマ武」と、先代のアルミ製のもの。

形状の違いにご注目。
ということで、小屋から車で20分ほどの戸隠スキー場へ。

ほんの少ししか離れていないのに、積雪はたっぷり170僉

今冬は、日本海沿岸部で豪雪という偏った降り方だというのが、なんとなく納得できる。

山馬鹿は、滑るより、ゲレンデからの山観察が楽しみ。

まず北隣は、黒姫山(2,053m)。戸隠よりさらに雪が深そう。
ゲレンデ最後部、瑪瑙山(1,748m)から東側の飯縄山本峰(1,917m)を見る。

戸隠スキー場は、戸隠山ではなく、実は飯縄山の支峰の瑪瑙山にあって、冬はここから飯縄山山頂をめざす登山者・山スキーヤーも多い。
ゲレンデ北西側には、戸隠連峰の最高峰高妻山(2,353m)が、戸隠富士とも呼ばれる秀麗な姿を見せる。

その奥の乙妻山(2,318m)には登っていないので、いずれまた。。
南西側に目を移していくと、戸隠山(1,904m)と、本院岳(2,030m)、西岳(2,053m)が荒々しい岩肌を雪に包んで連なる。

信州百名山でも難峰のひとつ、西岳は、山麓から取り付き、本院岳を経て戸隠岳経由で下山するのに約12時間。

登ったなあという深い達成感を味わえる。
そういえば、リフト乗り場で使われていたスノーダンプには「吉鉄」のマークが。

屋根の雪下ろしにはやや重いけど、頑丈で横滑り防止の縦溝などの工夫で取り回しがいいから、地面の除雪にはもっとも信頼できるブランド。
小屋の夕食は、定番のビーフシチュー。

あらかじめざっと作ってきて、ストーブで煮込む。

今回は、タンシチューにしてみマシタ。
翌日は、みんなで野沢温泉に遠征。

朝は視界がきかなかったけれど、午後になると晴れて、千曲川を挟んだ西に妙高山の迫力ある姿がのぞく。
改めてみると野沢温泉スキー場のゲレンデ周りには、立派なブナの巨木が多く、ゴンドラやリフトに乗っていても、眺めて飽きない。

ゲレンデの向こうには、ブナの宝庫鍋倉山(1,289m)が眺められる。

巨木「森太郎」がどうしているか、新緑の頃、また訪れてみたいな。。
ゲレンデの昼食は、長坂ゴンドラ山頂駅にある「レストハウスやまびこ」の名物、「野沢菜ガーリックステーキライス」。

目の前で焼いてくれた熱々ステーキに、思わず赤ワインも注文。
野沢温泉スキー場のスノーダンプも「吉鉄」印。

豪雪の信越地方で信頼されてるブランドなんだな。。

(←何ももらってまセン。)

 

そう言えば、今年に入ってから、残雪期のラッセルに向けた基礎トレーニングとして、昼休みにスクワッドを200回続けているせいか、コブコブの長いコースでも、体が弾かれる感じがなく、思い切って滑ることができた。

スクワッド、侮るべからず。
連休最終日は、帰りの渋滞を避けたくて、掃除や水道の水抜きをし、早めに小屋を後に。

帰路、岡谷I.C.で諏訪湖に出て、5年ぶりに現れたという、御神渡りを拝む。

思わず湖面を歩き出そうとしたのを、家族に必死に引き留められマシタ。

まあ、大人気ないっちゃないけれど、どうせしがない山馬鹿ですから。。

 

| ぼっち | 山小屋たより | 21:46 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
お山の勉強室(3)―三角点と山岳測量の歴史

ようやくたどり着いた山の頂きで、まず確かめたくなるのが三角点。

「お山の勉強室」第3弾は、「三角点と山岳測量の歴史」 デス  (ロ。ロ)/

 

三角点は、三角測量で用いられる経度・緯度・標高の基準になる点のことで、そこに正四角柱上部に+印の付いた柱石が設置されている。

ちょっと専門的になるけど、「三角測量」とは、ある基線の両端にある既知の点(例えば既設の三角点)から測定したい点への角度をそれぞれ測定することによって、その点の位置を決定する三角法および幾何学を用いた測量方法。この測量によって特定された経度・緯度・標高が、地図作成の基本データとなる。

国土の地図を作ろうとすると、三角点を結び合わせた詳細な三角網を作り上げる必要があり、国家の一大事業となる。

測量には視界を確保する必要があるので、三角点が山岳に設置される場合が多く、特に山が密集する日本の場合、未踏の山へ重い測量機材を運び上げたりなど、山岳測量は大変困難な作業となる。

 

明治政府による近代化政策の中で、この三角測量が ➀参謀本部測量局 内務省地理局 G西μ馨蔽麓祖敢砂蝓´で西μ馨併確啅鼻´サ榮眈文耄繕匹砲茲辰董△修譴召譴量榲に基いて別々に開始されたが、明治21年(1888年)に創設された参謀本部陸地測量部が、内務省地理局を吸収合併するなどして、その中核を担うことになった。

この事業では、まず一等三角点を設置し、順次二等、三等と測量精度を上げていくことになるけれど、山林局や、御料局では、早急に三等レベルの詳細な三角測量を進める必要があった。

 

なぜならば―明治2年(1869年)の版籍奉還によって、幕府や大名領の山林が「官林」として国家のものとされ農商務省山林局が管理することとなり、さらにその一部が、同22年(1889年)に皇室の財産である「御料林」とされ、宮内省御料局が管理することとなった。「官林」や「御料林」を管理していくためには、まず民地との境界を確定し、面積を測る必要があったため。

 

このような状況の中で、まず本格的な山岳部の三角測量を強力に推し進めたのは、宮内省御料局だった。

明治24年(1891年)、初代御料局測量課長として、農商務省の地質調査所で地磁気測量をわが国で最初に手掛け、江戸期の伊能図以来という日本の地形図作成にあたった神足勝記が就任。

同26年に、まずは木曽御料林で本格的な山岳測量を開始した。

木曽御料林は、伊勢神宮のご用材ともなるヒノキの名産地で、かつて尾張藩が「檜一本首ひとつ」と厳重に管理した、木曽・裏木曽(岐阜県川上村・付知村・加子母村)にあり、阿寺山地から木曽山脈南部にあたる。

この広大な山岳の測量を、6月の恵那山から開始し12月までかけて完遂。

その実績をもとに、翌27年、「御料地測量規程」を制定、測量を本格化した。

(画像:「御料地測量規程」に定められた三角点の形状。(イ)の柱石が基本だが、これに限らないことが分かる。また、御料局は1908年(明治41)に帝室林野管理局に、さらに1924年(大正13)帝室林野局に改称されその頃に設置された三角点には「宮」の文字が入れられている。)


一方、飛騨地方など中部山岳地帯は、幕府が直轄領としていた部分が多く、これが「官林」として山林局の管理となった。

明治33年(1902年)に、「御料地測量規程」を踏まえ、官林の測量方法を定めた「国有林野法測量規程」が公布され、山岳測量が本格化する。

測量技師の不足する山林局は、当時一等三角点の測量を終え、二等、三等測量を開始していた陸地測量部と補完しあいながら、ほぼ同時進行で二等、三等三角点の測量を行い、同37年に中部山岳地帯の三角網図を完成した。

その過程で山林局の三角点は、順次陸地測量部に移管された。

同様に、同33年に全御料林の測量を終了した御料局の三角点も、陸地測量部に保管移転して利用された。

これらの山岳測量にあたっては、墜落などによる殉死も多かったという。

※例えば、明治26年(1893年)上條嘉門次のガイドで前穂高岳に初登頂し、基準点「穂高岳」の一等三角点の測量を行った参謀本部陸地測量部の測量官館潔彦も、山頂付近で約18m滑落し、大怪我を負ったことが、その直後に前穂に登ったウエストンの著作に記されている。

さまざまな労苦を越え、参謀本部陸地測量部が全国の測量を完了し、全国の5万分の1地形図を完成させたのは、大正15年(1925年)のこと。

また、それに先立つ明治44年(1911年)には、御料局が「木曽御料地付近2万分の1地形図」を明治天皇に奏上している。

その後、参謀本部陸地測量部は終戦で解体、現在業務は国土地理院に引き継がれている。

また、「官林」「御料林」は、現在は「国有林」として、林野庁の管轄になっている。

 

以上のような経緯から、岐阜県の山岳では、美濃地方の恵那山や阿寺山地周辺で、国土地理院の三角点の傍に、標石上部の四隅が三角形にカットされたのが特徴の旧御料局の三角点が見つかることが多い。

 

(画像は、八尾山北の1,083mピークの三等三角点:基準点名「奥茂谷」(手前)と、御料局三角点(奥))
また、飛騨山脈など飛騨地方の国有林では、主三角點、次三角點、補點があり、胴部に「山」と彫られ、標石上部の角が丸めてあるのが特徴の、旧山林局の三角点に出会うことが多い。

 

(画像は、三俣蓮華岳山頂の三等三角点:基準点名「三ツ又」(左)と、山林局の主三角點(右))

 

 

 

これらは、「三角点のまがい物」ではなく、三角測量のパイオニアたちの労苦の証し。

「見ようとしないものは、目に入らない」ものだけど、出会ったら、感謝の気持ちで、しっかり観察したいものデス。

 

| ぼっち | お山の勉強室 | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
南飛騨の山へ(2)―八尾山(1,101m)

高天良山を後に、30数卷未糧尾山(はちおさん)に向かう。

八尾山は、標高1,101m、飛騨川沿いの下呂市街と、馬瀬川沿いの下呂市馬瀬(旧益田郡馬瀬村)の間にある、飛騨高地最南部の山。

その山名は、尾根が八方に広がることにちなむという。

地元では、この山を「御前様」と呼び、「八尾御前」と崇めてきたという。

登山ルートは、下呂から直登するルートもあるけど、最近は下呂市街と馬瀬を結ぶ柿坂林道にある柿坂峠から送電線巡視路を利用するのが一般的。

 

柿坂峠までは、馬瀬川沿いに北上。

途中、岩屋ダムのダム湖(東仙峡金山湖)越しに、八尾山の姿(左側のピーク)が見えてくる。
柿坂峠に到着。

北側のコンクリート壁面にお地蔵さまがまつられ、そちらからは、西上田権現のある990mのピークに登ることができる。

八尾山には、南側の送電線巡視路に入っていく。
送電線巡視路は、送電鉄塔および送電線を保守するため巡視するための歩道。

一定のメンテナンスがされているため、安心して歩くことができる反面、どこかで鉄塔に出会ってしまうことになる。

例えば、伊吹山地の小島山のように、保線のため樹木が広く伐採され、山頂のすぐ脇に鉄塔がそそり立って、登山の気分をしぼませてしまうことはないか、少し心配。。

最初は、スギの植林地を通過。
背の低いササに覆われた尾根道の巡視路を進むと、116号鉄塔のところで、三角点に出会う。

標高1,083.1mの三等三角点で、基準点名は「奥茂谷」。

すぐ脇に、ここにも御料局の三角点。

八尾山も、高天良山と同様、その周辺だけ皇室の御料林になっていたということは、昔から重要な山とみられていたんでしょう。
尾根を行く巡視路の右(西)側は、ヒノキの植林で暗いけど、左(東)側は、ブナ、ミズナラを中心とした広葉樹の二次林で冬枯れの今は明るいたたずまい。

巡視路上には、境界の目印として残されたのか、ところどころにブナやミズナラの巨木があり、目を楽しませてくれる。
尾根上に建つ117号、118号鉄塔のあたりは、保線のため直下は伐採されている。

山頂はいかがなものか、また心配になってくる。
ふたたび、樹林帯に入り、アップダウンを繰り返していくと、行く手に八尾山のピークが見えてくる。

どうやら、送電線は山頂部からだいぶん離れている様子。

 

標高998mの119号鉄塔で、北東方面に大きく開かれた切り開きに出る。

ここからは、御前山、下呂御前山、寺田小屋山、白草山、小秀山など懐かしい阿寺山地の山並みの向こうに、白い御岳がお出ましになる。
(画像は、下呂御前山から小秀山にかけての阿寺山地と御岳)
送電線巡視路は、鉄塔120号から谷に下っていき、尾根をそのまま進んでいくと二等三角点のある八尾山山頂に出る。

ここには御料局の三角点は見当たらなかった。
三角点のあたりは樹林に囲まれているけど、すこし先に進むと、磐座のような場所があり、八尾山の石柱と、石積みがあり、木々の向こうに御岳が拝める。

かつて、八尾山は、「八尾御前」とも呼ばれたというから、御前山や、下呂御前山(空谷山)のように、御岳遥拝の山だったんでしょう。
下山途中に西に張り出した115号鉄塔に寄ってみる。

ここからは、ダム湖越しに高賀三山など西側の山並みが遠望できる。

北方に位山三山なども見えるらしいけど、そちらは雲の中。

さあ、日暮れも近くなってきたから急ごう。
一昨年阿寺山地に集中的に登っていた頃、登山後によく入った下呂温泉の共同浴場「白鷺の湯」に立ち寄り。

南飛騨の二山を巡った充実感とともに、ゆったりお湯につかりマシタ。
<登山記録>  (―:車、…:徒歩)
2018年1月20日(土) 晴 単独行 (地図はクリックで拡大→)
(火打峠)―(林道柿坂線)―柿坂峠(駐車)12:40…(中部電力高根馬瀬線巡視路)…鉄塔116 13:25…鉄塔19 14:10…八尾山山頂14:35〜14:50…柿坂峠16:20―下呂温泉(入浴)17:00〜17:30―(帰路)
「岐阜百名山勝手に選定委員会:八尾山」へ>←クリック!

 

<メモ>

・林道柿坂線の柿坂峠から、送電線(中部電力高根馬瀬線)の巡視路をたどるルートは、

登山道ではないため、登山用の標識などはないが、鉄塔114号から120号まで黄色い巡視用標識があり、定期的にメンテナンスされている。

・柿坂峠までの林道柿坂線は、舗装されているが、落石などもあるのでパンクしないよう通行注意(馬瀬側より下呂側が荒れていた)。

・峠には、6,7台とめられる駐車場がある。

・下呂温泉、馬瀬側にも道の駅「馬瀬 美輝の里」に露天風呂「美輝の湯」がある。

・下呂の幸田地区では山神様として信仰され、そちらから登るルートもあるが、今は柿坂峠が多く歩かれあまり踏まれていない模様。

 

| ぼっち | 「岐阜百名山」勝手に選定委員会 | 20:39 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
南飛騨の山へ(1)―高天良山(たかでらやま:908m)

飛騨の冬の山というと、雪に閉ざされて登山困難というイメージがある。

しかし、下呂市など南飛騨の山々は、日本海に近い奥美濃なんかよりずっと雪は少なく入りやすい。

「『岐阜百名山』勝手に選定委員会」2018年の初踏査は、その南飛騨の高天良山と八尾山へ。

 

まずは、高天良山。

高天良山(たかでらやま)は、標高908m、美濃地方の加茂郡白川町と下呂市にまたがる、南飛騨でも最南部の山。

江戸時代には「高寺山」と書かれ、かつては下呂市金山町中津原にある萬福寺の奥の院がここにあったという。

現在臨済宗妙心寺派の禅寺である萬福寺には、神亀元年(724年)、白山を開山した泰澄により創建されたとの伝承がある。
 

登山口は、下呂市金山町の福来集落と同町火打集落の間の火打峠。

峠から始まる高天良林道をたどって山頂直下まで出られるけど、今回は尾根通しで山頂をめざすこととする。
峠の両側には、文化年間の地蔵と、文政年間の地蔵が向かい合っている。

南側の文政年間のお地蔵さまの方から尾根に取り付く。

(画像の「高天良最高点→」の看板は、林道をたどるコースを表示しているので注意)。

しばらく登り、林業用の作業小屋に出会うと、踏み跡もしっかりしてくる。

尾根には境界杭が打たれ、踏み跡が明確なのは、国有林の管理用に使用されているためらしい。
岐阜県の国有林の地図を見ると、木曽ヒノキで有名な阿寺山地と、飛騨方面に集中している。

ところが、美濃三河高原の中で高天良山だけがぽつんと飛び地のように国有林となっている。

それは、この山がかつて京都の妙心寺造営にも使われた「高寺杉」と呼ばれるほどのスギ銘木の産地として知られ、江戸時代は御林山、第二次世界大戦までは宮内省の御料林として管理され、戦後国有林となったためだという。

確かに、若い植林の中に、ものすごく大きな切り株が残されている。
急登しながら高度を稼ぐと、ヒノキの植林帯となる。

コウヤマキが混じっているところが珍しい。

ここでも、大きな切り株に出会う。


峠から1時間20分ほどで、二等三角点のある、あまり広くない高天良山山頂に到着。

すぐ脇に4隅が三角にカットされた、御料局の標石もある。

確かめたところ、「三角点」の記載がなく、阿寺山地でよく見かける御料局三角点ではないようで、特別な境界標か何かなのだろうか。

東側に少し展望が得られ、笠置山などが眺められるけど、御岳など、近傍の名だたる山は見えない。
三角点から西南の尾根の方向に向け「権現宮跡約1000m」の標識があり、いったん鞍部まで600m下り、400m登り返すと標高880mの権現宮跡に出る。

地元福来区による由来書きがある。

かつてこの山が巨木で覆われていた頃は、天狗が大木を倒す音がしたなど、伝説の多い霊山だったという。
由来書きの周りは平らで、高天良山山頂と違い、ここであれば、建物も建てられそう。

かつては、この場所が、高天良山の中心だったんでしょう。
鞍部まで戻り、その直下からはじまる林道で下る。

あまりに風情がないので、高天良山山頂を巻いた後、往路の尾根道に戻って下山。

 

高天良山は、美濃三河高原西部の山として、それほど高い山ではないけれど、かつては名だたる美林の山、信仰の山として大事にされてきたことは、しのばれた。

しかし、約40年前「ぎふ百山」に「紅葉の頃には楽しい山歩きができよう」と書かれたたたずまいは、林道が拓かれ、全山植林されて面影を失った。

かつての霊山をしのびながら、冬に登山できるのが取り得の普通の山、という印象デシタ。

<登山記録> (…:徒歩、―:車)

2018年1月20日(土) 晴 単独行

自宅4:40―火打峠(駐車)7:40…(尾根道)…高天良山山頂(908m)8:50…権現宮跡(880m)9:15〜9:30…(鞍部から林道経由尾根道に戻る)…火打峠10:55―(八尾山へ)

「『岐阜百名山』勝手に選定委員会:高天良山」へ>←クリック!

 

<メモ>

・登山口となる火打峠への林道は、よく整備され、駐車場も完備されている。

・峠から高天良山直下までの高天良林道は、ゲートが閉ざされている。林道沿いに、山頂までの案内板が要所にある。

・登山道として整備はされていないが、尾根の境界杭に沿って林業用の踏み跡をたどることができる。

 

 

| ぼっち | 「岐阜百名山」勝手に選定委員会 | 20:40 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
浅間山の外輪山黒斑山(2,404m)で冬山修行

冬山は魅力的だけど、深雪のラッセルはきつそうだし、吹雪や雪崩なども心配―という方も多いはず。

そんな皆さまには、東信地方(長野県上田・佐久地方)浅間山周辺の山々がおすすめ。

その理由は、

|羆高地式気候のため、晴天率が高い

登山口に温泉やスキー場があるため、冬でもアプローチしやすい

E仍蓋が標高2,000m前後あるため、登山所要時間4〜5時間程度の手軽なコースも多い

4愿貶面から多くの登山者を迎えるため、冬季ルートがよく整備されている

など。冬山入門には最適と言えましょう。

 

ぼっちが山の会のメンバー有志と毎冬やっている、冬山プチ合宿(大坐小屋雪下ろし付き)も、この山域の山で行うことが多い。

今冬は、Hさん、Sさんと浅間山の外輪山である黒斑山(2,404m)で冬山訓練。

なお、黒斑山は、目下浅間山が「噴火警戒レベル2」で火口からおおむね2劼立入禁止になっているため、代替の目的地としても昨今人気が高い山となっておりマス。

目の前に迫る浅間山を楽しみに、登山開始 (ロ。ロ)/オウ

登山口は、長野県小諸市から群馬県嬬恋村に抜ける「チェリーパークライン」県境の車坂峠(標高1,973m)。

アサマ2000スキー場があるので、冬でも車やバスで来ることができ、登山者でにぎわっている。

往路は、南側の八ヶ岳や秩父山地が展望できる表コースを選択。
登山口からしばらくは、希少な天然のカラマツ林を行く。

快晴で、1月7日連休2日目でよく踏まれ、快調、快調。
黒斑山は、車坂峠側から見上げると、山裾はカラマツ、標高を上げていくとシラビソやオオシラビソに覆われた穏やかな山容。
高度を上げていくと、手前の高峯山(2,106m)や籠ノ登山(2,228m)の向こうに、木曽山脈から、御岳、乗鞍岳、そして飛騨山脈まで至高のパノラマが展開。

←画像クリックで拡大。
避難小屋前でアイゼンを装着、トーミの頭というピークまで出ると、浅間山と、その外輪山らしく荒々しくえぐれた黒斑山の東側斜面が見えてくる。
急斜面にアイゼンをきかせながら、火山活動監視カメラが据えられた黒斑山山頂に到着。

雪の縞模様を見せる浅間山には、火山弾でえぐれた痕がいくつもあり、最近の活発な火山活動をうかがわせる。

黒斑山ピークは手狭なので、蛇骨岳ピークまで進むこととする。
振り返ると、針葉樹林と岩肌を雪に包んだ黒斑山と、その向こうに秩父山地、さらに富士山までが快晴に輝いている。

来た甲斐あったなあと、3人で時を惜みながら眺める。
蛇骨岳ピーク直下の風の当たらないところで、ゆっくり遅めの昼食。

北〜東側の展望が開け、四阿山、御飯岳、志賀高原の山々、草津白根山、越後三山、巻機山、谷川連峰などこれまた、至福のパノラマ。

山馬鹿やってて良かったなあのひとときでありマシタ。

 

<登山記録> (…:徒歩、―:車)

2018年1月7日(日) 快晴 メンバー:H、S、botti

―小諸I.C.―(チェリーパークライン)―車坂峠(駐車)10:30…(表コース)…トーミの頭12:00…黒斑山12:30…蛇骨岳13:00〜13:40…黒斑山14:25…(中コース分岐14:30)…車坂峠15:10―小諸I.C.―(大坐小屋へ)

 

| ぼっち | 信州百名山 | 21:10 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
戌年登り初めは春埜山(883m)

2018年は、戌(いぬ)年。

登り初めに、犬に関係があって、おめでたそうな山はないかな?

と、探し出したのが、静岡県森町にある春埜山(はるのさん)。

その名が新春らしいだけでなく、山中にある大光寺は、地元では「お犬様」と呼ばれているという。

 

もともと大光寺は、奈良時代の僧行基が創建との伝承がある由緒ある寺。

そんな寺院が、どうして「お犬様」と呼ばれるようになったのか―

それは、静岡県西部にあたる遠州地方に根付いた、秋葉山に代表される、修験道から派生した天狗信仰に関わる。

春埜山の守護神とされる太白坊は、秋葉山の三尺坊と同様天狗とされ、その眷属(けんぞく)である狼(=山犬)を遣わし、人々の願いを助けるという信仰があったため、そう呼ばれるようになったのだとか。

 

さらに、春埜山の南にある大日山にも、行基創建と伝わる大日山金剛院があり、二つの山を結んで周回できるという。

雪もない地域だし、戌年の初登りにはまさにぴったり。

それでは、出かけるとしましょう。

登山口は、森町から県道藤枝天竜線を吉川沿いにたどり、「いわなの里」という釣り堀を少し先に進んだところ。

地元森町によって、健脚向き・森町最深部を満喫できる「春埜山と大日山コース」として整備され、登山口には看板が出ている。
春埜山までは、スギの植林帯をひたすら登る。

途中の分岐は、看板の表面が剥がれて読めなかったけど、左手に取るのが正解。

展望のきかない単調な植林帯の尾根で、イチイガシの大木に出会い、思わず立ち止まって見上げる。
春埜山山頂に近づくと、わずかに視界が開け、大日山が顔をのぞかせる。
二等三角点(注)のある、春埜山山頂も、スギ植林帯の中。

注:森町のHPには三等三角点とあるけど、二等デシタ。

山頂から下る途中に、無線中継塔があり、その先の舗装された林道を進むと東海自然歩道の標識があり、ここから大日山金剛院までは東海自然歩道となっている

少し雪の残る道の先で「春埜山」の額の掛かる立派な鳥居に出会う。

大光寺は、今は曹洞宗の寺と一応はなっているけれど、神仏分離されない、不思議な宗教世界の入口みたいでわくわくしてしまう。

鳥居の先に、太白大権現出現の地との看板も登場。
「春埜山大光寺」という大きな石碑の前の広場からは、北に向けて展望が開け、左手(西)から、竜頭山、京丸山、高塚山、竜馬ケ岳、蕎麦粒山などが眺められ、天気がいいので、赤石山脈の白い峰もわずかにのぞいている。
寺の参道下に、「春埜杉」という、老杉が大きく枝を伸ばしている。

樹齢1300年とも言われ、相当古い時代から、ここが霊山であったことがしのばれる。
そして、石段の上に、大光寺の社殿があって、おお!

狛犬の代わりに山犬=狼の石像が見下ろしている。
近づいて見ると痩せてあばら骨が見え、ふさふさした尾を持つ狼の姿が、とてもリアル。

台座に大正九年という銘が読める。明治後期にニホンオオカミは絶滅したとされるけど、まだその姿が人々の記憶にしっかりと残されていた頃に作られたのでしょう。
大光寺を辞して進んでいくと、舗装道路と別れ、東海自然歩道は森町の最高峰、鳥居沢山(941m)に向けた山道となる。

途中、ニホンカモシカ君にも出会う。
視界のきかない鳥居沢山を越え、平松峠でいわなの里から登ってきた県道に出会いう。

ここから大日山金剛院への舗装された参道へと入る。
江戸天保9年に作られたという立派な山門をくぐる。

こちらは、真言宗御室派に属し、今は天狗や狼の信仰の形跡はないけど、火渡りなど修験の行事行われている。
春埜山も鳥居沢山も展望はきかなかったけど、金剛院への参道で富士山が顔を出してくれる。

めでたい めでたい。
金剛院から先の東海自然歩道は、舗装もなくなりさびしくなる。

坂の途中に、大日山入口の、古びた木の標識があり、ここで歩道を外れスギやヒノキの植林帯をジグザグに登っていくと、かつては信仰施設があったのかもしれない、やや開けた場所に出る。

そこから、尾根道を詰めると、大日山山頂に出る。

山名標識はあるけど、三角点はなく、展望もきかない。
来た道を引き返しかけると、左手(北)側の木立の向こうに、春埜山、鳥居沢山が見える。

金剛院から平松峠に戻る途中に、やまめの里へ下りる杉木立のルートが分岐する。

かつての参道で、一丁ごとに町石が据えられている。

最後に吉川の川原に出ると、そこは今朝登り始めた登山口。

このシーズンに歩ける低山としては、なかなか充実のコースでありマシタ。

 

 

 

<登山記録> (…:徒歩、―:車)

2018年1月6日(土) 快晴 単独行

自宅4:50―掛川森I.C.ー(県道65号線)―やまめの里(駐車)8:15…春埜山9:35…大光寺門前広場(展望台)9:45…大光寺9:50〜10:10…鳥居沢山10:55…平松峠12:15…金剛院12:45…大日山13:20〜13:30…金剛院14:10…やまめの里14:45―小國神社参拝―掛川森I.C.―(帰途)

<メモ>

・2018年1月現在、鳥居沢山から平松峠間の東海自然歩道が林道工事に伴い迂回ルートに回ることとなっていた。

 

| ぼっち | 静岡百山 | 20:47 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
2018年 今年も「山馬鹿」でいこう

当ブログ管理人ぼっちです。 新年 明けましておめでとうございます。

2015年に日本300名山を完登し、誰かの決めた名山巡りは卒業。

今は、日本のあばうと4000の山で、「その先の何か」を求めて山修行に励む日々。

 

それにつけても思い起こすのは、こんな話(『徒然草』の第68段デス)。

筑紫の国に、押領使(地方警察+軍隊の指揮官のような役職)のなにがしとかいう人物がいた。この人は、大根を何にでも効く素晴らしい薬と信じて、長年にわたり毎朝二本ずつ焼いて食べていた。
ある時、彼の館の内に兵がいない隙を見計らって、敵が来襲し、すっかり取り囲まれてしまったが、館の中に二人の兵が立ち現れ、命を惜しまずに戦い、敵を皆追い返してしまった。押領使はとても不思議に思い、「日頃、この館で見ない者たちだが、これほどまでに戦ってくれたお前たちは、誰なんだ?」と尋ねた。すると、「あなた様が長年信じて、毎朝召し上がっておられる大根らにございます」と答えて、消え失せてしまった。
深く信心をするならば、このような徳もあるものだ。

〔原文〕

筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者のありけるが、土大根(つちおおね)を万にいみじき薬とて、朝ごとに二つづつ焼きて食ひける事、年久しくなりぬ。
或時、館の内に人もなかりける隙をはかりて、敵襲ひ来りて、囲み攻めけるに、館の内に兵二人出で来て、命を惜しまず戦ひて、皆追い返してげり。いと不思議に覚えて、「日々ここにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年来頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに候う」と言ひて、失せにけり。
深く信を致しぬれば、かかる徳もありけるにこそ。

 

なんでも一つのことに深く取り組めば、人生に何かをもたらしてくれる。

まして登山は、チャレンジングなスポーツであり、思索であり、好奇心と冒険心を更新し続けてくれる特別なもの。

 

今年の目標は、次の3つ。

「『岐阜百名山』勝手に選定委員会」候補リスト191山のうち、道なき山の多い両白山地の未調査の山21山をなるべく完登する(←「なるべく」としたのは、残雪狙いの山が多く、今冬の積雪・天候によるため)。

「全都道府県の最高峰」未踏の6山登山

 埼玉県:三宝山(2,483m)、千葉県:愛宕山(408m)、広島県・島根県:恐羅漢山(1,346m)、山口県:寂地山(1,337m)、福岡県:釈迦岳(1,230m)、沖縄県:於茂登岳(526m)

「一等三角点百名山」未踏の10山登山

 硫黄山、武石峰、高峰山、冷水山、冠山(広島県)、十種ケ峰、工石山、不入山、烏帽子岳(阿蘇)、天山

↓は、,亮茲蠢箸澆寮催戮鮠紊欧詭榲もあり、2019年と2年で完登をめざす計画。

 

新しい年、2018年も、山馬鹿でいこう!

そう言える幸せを皆さんと分かち合っていきたいデス。

今年もよろしくお付き合いください (ロ。ロ)/サンキュゥ

 

| ぼっち | ひとりごと | 22:38 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
登り納め―継鹿尾山(273m)、太平山(291m)

12月29日は、ぼっちの山の会恒例の登り納め。

2017年は、木曽川に面した継尾山(つがおさん:273m)と、太平山(おおひらやま:291m)へ。

参加者が30人以上にふくれあがったのは、世話役のtuboさんが、これも恒例で猪鍋、鹿肉を用意してくれるからかな。。

鍋の準備をしてくれるメンバーとお子さんを残し、中学1年生から70歳代までの23名で出発!

まずは、継鹿尾山寂光院という山中の寺をめざす。

紅葉の名所で、眼下に木曽川が展望できる。

その背景の273m峰は、2万5千分の1地形図には山名はなく、基準点名は「栗栖村」、ここを通る東海自然歩道のマップには「三角点」とだけある。

山麓の地名が継鹿尾で、寺の山名もそうだから、継鹿尾山と通称され、ここから可児市の鳩吹山までは、手軽な縦走路としてよく歩かれている(※)

※:木曽川沿いに縦走できるような細長い山並みができたのは、このあたりが「チャート」という海洋生物の堆積した固い岩の層が侵食されずに残ったものだから。

海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込むとき、層状になったチャートは強い圧力で褶曲し、登山道沿いにも層状に曲がった岩肌が見えるのが興味深いデス
アカマツやツツジの道はよく整備され、東海自然歩道お約束の丸太の階段も登場。

メンバーは、今年一年の登山を振り返ったりしながら、にぎやか。
約1時間で継鹿尾山山頂に到着。

あずまやからは、木曽川、国宝犬山城、モンキーパーク、岡本太郎先生が太陽の塔の試作として1969年に制作したという「若い太陽の塔」などが見下ろせる。

山名標識はなく、立派な二等三角点と一緒に記念撮影。
山頂を後に、東海自然歩道を鳩吹山方向に進む。

振り返ると、継尾山の山頂が眺められる。
いったん大下りし、林道を横切りしばらくで、鳩吹山へのメインの縦走路を左手(西)に折れ、大平山山頂に到着。

三角点はないけど、山名標識のある山頂でまた記念撮影。
山頂は木立に覆われ展望は聞かないけれど、少し下ったチャートの露出した岩場は今回一番の好展望地。

木曽川と、犬山城、そして濃尾平野の向こうに伊吹山など三重・岐阜・滋賀県境の山々が眺められる。
途中で足を攣っちゃったりした方もあったけど、無事下山。

桃太郎神社下の芝生の広場で、tuboさんが猪鍋をこしらえ、Iさんが鹿ステーキを焼いてスタンバイ。

寒い時に、猪鍋はあったまる。

ちなみに、この寒い時期にもかかわらず、テントを張って本格的なバーベキューを楽しむ人々が多いことにびっくりした。

バーベキュー愛の強い岐阜県民が木曽川を渡ってやってきているのかもしれない。
登山技術の伝承ばかりでなく、鹿肉の焼き方も20代のメンバーにOJTで伝授。

食事後は、先輩方が使わなくなった山道具を提供してくださり、オークション。

安く山道具一式を手に入れた新人君たち、山に来てくれるといいな。。
また来年の楽しい登山をいのって、解散。

あ、来年は戌年なので桃太郎神社の犬くんに挨拶しておきマシタ。

皆さまもよいお年を

 (ロ。ロ)/

 

<登山記録>

2017年12月29日(金)

桃太郎神社10:00…寂光院10:20…継尾山11:00〜11:10…林道…太平山12:00〜12:10…桃太郎神社13:10

 

 

 

 

| ぼっち | ひとりごと | 07:45 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
ジビエの冬―柳屋訪問記

岐阜県の狩猟解禁期間は11月1日から3月15日まで。いよいよ、ジビエの季節。

家族忘年会を兼ねて、岐阜県が誇るジビエの最高峰、「柳屋」に行くことに (ロ。ロ)ワクワク

柳屋のあるのは、東美濃地方の瑞浪市陶町猿爪。

10月に登った屏風山の山麓にあたり、地名のとおり、古くからの陶磁器の産地で、今も窯や陶土などの専門店が多い。

そんな集落の細い路地の坂道の奥に、古い民家を改造した店がある。
各部屋の囲炉裏に炭火が熾され、専門の焼き手が、ていねいに解説しながら、食べる人のピッチも見て絶妙の焼き加減で出してくださる。

まずは、サツキマスの刺身と、アユの塩焼き。

来店の30分以上前からじっくり焼き上げられた落ち鮎は、夏の鮎に比べて大きく、腹に卵があって、食べ応えがある。

(海がないもんで)鮎にうるさい岐阜県民ぼっち家族も絶賛のうまさ。
そして、いよいよ、ジビエ登場。

クマのヒレ肉、そして分厚い脂肪をまとった猪(しし)肉。

うーん、期待は高まるばかり。
お酒は何でもあるけど、ジビエというとやはり赤ワインがお勧め。ご主人が自らフランスの産地に出向いてワインを買い付けられているそう。

ナポレオンも愛飲したというGEVREY-CHAMBERTNが、びっくりするくらいお値打ちにいただけた。この点もこのお店の評価が高い理由のひとつでしょう。
クマと思えないほどしなやかなヒレ肉をワサビでいただく。

その間に、目の前でシシ肉の脂肪が炎をあげ、目にもごちそう。こちらは粒マスタードでいただく。ワインが進まないはずはない。

ニホンジカより力強い味のするエゾジカは柚子胡椒。

それぞれ、壺のたれに浸しながら焼く。

醤油と生姜だけのシンプルなものながら、先代からずっと継ぎ足し継ぎ足し使っている貴重なものだとのこと。
肉のお供は、生の大根を櫛型に切って塩を掛けただけのもの。

これがこってりした肉に良く合う。

焼き物の次は、赤みそ仕立ての猪鍋。

力強い炙り肉の後、青ネギと合わさった汁物は、ほっとするお味。

締めは、ムカゴご飯に、自然薯を掛けたもの。

デザートは、ミカン。

素材が素材だし、人件費もしっかりかかっているから安くはないけど、みんな「ボーナスはたいて来た甲斐があった」と大満足。

食の根源的な部分が満たされたおもいがした。
どうして、瑞浪市街地から山を越え車で20分もかかるような所に、こんなすごいお店があるのか不思議で、店の成り立ちを伺ってみた。

陶町は、かつて陶器で栄え、その旦那衆向けの料亭としてこの店はできたそう。

その後、陶器は海外製品に押され、かつての繁栄は失われたけど、ご主人が精進を重ねた結果、ジビエと言えば柳屋ありと、全国にその名をとどろかせる店になったそう。

ちなみに、店から車で5分ほどの八王子神社には、「世界一の陶製狛犬」というのもありマス。

 

それにしても、ここ10年ほど、山でシカやイノシシに会うことが本当に多くなった。

クマとのニアミスも多くて、ぼっちの場合、登山道のない山に入る時は、クマよけスプレーを必ず持参している。

どうしてこんなに急激に獣が増えたのかというと、燃料などを山の木に頼らなくなって樹林が成長し、獣が繁殖しやすい環境になったことが第一の原因。それに加え、オオカミの絶滅、マタギなど猟師の減少、農家が高齢化して下草刈りも行き届かず山と里の境界があいまいになったことなど、多くの要因が重なっている。

 

環境省によると、特にシカの増加は深刻で、2013年(平成25年)に推定305万頭だったのが、2023年には453万頭になり、現状水準を維持するには今より2.1倍の捕獲をしなくてはないそうで、その処分も課題になっている。

シカは、おいしい若芽を狙って食べるから、植生を破壊するほどの脅威になっている。

最近はニホンカモシカの領域だった高山まで侵入し、南アルプスなどではお花畑の食害もひどい。

そして、草のない冬は木の皮を食べ、木を枯死させてしまう。

やはり一定のコントロールが必要だし、ただ焼却処分してしまうのもしのびないので、ジビエとしてきちんと流通できる体制を整えることが必要でしょう。

柳屋は、そんなあり方を考える上でも貴重なお店と思いマシタ。

 

| ぼっち | 小屋飯山飯 | 06:22 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
12月の大坐小屋たより―根雪を前に

あちこちで雪便りが聞こえてくる季節。

飯縄山もすっかり白くなった。

根雪になる前に、大坐小屋管理人の仕事をすませなくては (ロ。ロ)/オウ
今回、一番大切な仕事は、ストーブの煙突掃除。

自分でやってみたけど、煙突が外せないし、開閉レバーも動かなくて、どうもおかしい。

そこで、2013年にお願いした煙突掃除屋さんにお願いすることに。

 

外された室内の煙突の中をのぞいても穴の向こうが見えない。どうしたことか。。

棒で突くと、木の葉や苔の塊がごっそり出てきた。

出しても出しても、まだ出てくる。結局ポリ袋軽く一杯分。

煙突掃除屋さんもこんなのは初めてと驚いておられた。

昨冬は何ともなく、自然に入り込むような量じゃないので、春〜秋の間に、小鳥が運び込んだものらしい。

一件落着。これで、何とか冬を迎えられる。

煙突掃除屋さんによると、今年の雪は早く、この火曜日から降るのが根雪になりそうとのこと。
次は、燃料の方。

一冬分の薪を小屋の中に運び込み、今年拾って乾かしておいた倒木をチェーンソーで切り、斧で薪割りして、も一つ先の冬の分として、軒下に積んでおく。

端材を鉈で割り、焚き付けも二袋分準備。

灯油も、大きなポリタンクで買い込んだ。

昨冬破裂した水道管も、寒冷地仕様のものに取り換えてあるし、これで安心して冬が迎えられる。
さあて、もう夕暮れ。

のんびりしたいところだけど、それは次回のお楽しみとして、奥地君、そろそろ帰るとしますか。

この週末で冬季休業に入る、大座法師池のそばの農産物直売所で買った、リンゴと、辛味のある「ねずみ大根」、鞍掛豆、小豆が今回のお土産。

 

 

 

 

 

 

| ぼっち | 山小屋たより | 05:57 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
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