WALK あばうと 日本4,000山

「新日本山岳誌」掲載の約4,000山が修行の地。 めざせ山仙人!
高賀三山山修行(4)―高賀山(1,224m)

高賀三山山修行、締めくくりは高賀山(1,224m)。

高賀山(こうがさん、こうかさん)は、関市洞戸(旧洞戸村)、板取(旧板取村)、郡上市八幡町(旧郡上八幡町)にまたがる高賀三山の最高峰。

高賀信仰の中心として栄え、円空が3年にわたり千日行を行った地とも伝わる。
山に入る前、まずは高賀神社に参拝。

神社前の円空記念館にも、山の大先輩円空上人に敬意を表し立ち寄り(実は三度目)。
記念館は、円空を敬愛する人々にとっては最も重要な「聖地」ともいえる場所。

円空の傑作群だけでなく、円空の使っていた錫杖、「峯児」と彫られた硯、雨乞いを記録した自筆墨書などその息遣いを知ることのできる遺品とも対面できる。

そして、円空最後の作とされる、台座に「釜且 入定也」と彫りこまれた歓喜天像も。

「釜」は、六斗四升をさす数量の単位で、64歳で入定を決意した証しという。

 

寄り道をしていて、登山口到着は15時10分。

夕暮れまでに何とか戻って来よう。。
高賀山の登山道も沢を遡行するように付けられている。

高賀三山はどこも、みがかれたように水が清らか。

「垢離取場」といわれる小さな淵は、修行者が山に入る前体を清めた場所で、円空上人も千日行の禊を行ったのでありましょう。
あたりには、キクザキイチゲやカタクリなどが早春の光を浴びていた。

新緑になる前に姿を消してしまう「春の妖精」とも呼ばれるこれらの花々が、高賀山は三山の中でもひときわみごと。
「木地師古屋敷跡」という石垣の残る場所、「岩屋」という修験者の修行の場所などにも出会う。

いずれも、山の人生をしのばせるスポット。


谷を登り詰め、稜線に出るところが御坂峠。

と、ここでいきなり立派に舗装された林道に出会い、変な気分。

峠からはじまるおだやかな稜線の登りを経て、17時に高賀山山頂に到着。

ふう、何とか三山完登。
一等三角点と、天保11年の年号がある「金光明最勝王経」の石碑の並ぶ山頂は、岐阜県のほぼ中央部の山塊の最高峰だけにすこぶる見晴らしがいい。

夕映えの光の中に、山々がくっきり姿を浮かび上がらせる。
まず、北には雪を抱く白山連峰。

長良川の源でもある白山を円空は生涯崇敬し、それにまつわる神仏を数多く残した。

当時の白山は、白山争議と呼ばれる宗教利権争いが激しかったから、遠く遥拝する方が、円空にはよかったのかもしれない。
そして、西には伊吹山。

ここも若かりし円空が修業した山。
南は、長良川流れる濃尾平野、そこには円空の生地、羽島の竹鼻も。

さらに、荒子観音など円空の仏像が多数残る名古屋が、白く光る高層ビル群とともに見える。

東は、御岳と阿寺山地。

東北には、飛騨山脈、その手前に位山や川上岳。

岐阜県の山で見えない山を数えた方が早いくらい。
山馬鹿としては、地味だけど、北側の、小さくとがった蕪山、滝波山、平家山など、これから登る計画の越美山地東部の山々も気になるところ。

 

日没前の青く澄んだ山岳世界の中にいて、ふと、円空にとって、これは人生の風景そのものなのではと感じる。

円空が60歳にして、64歳で人生を区切る決意をしたのも、この風景に身を置いてかもしれない。
 

帰路、御坂峠から稜線を反対方向に峰稚児神社まで足を延ばす。

円空が硯の裏に「峯児」と彫り特別の思いを抱いていた神社。

雨乞いもこの社の前で行われたという。

下山、瓢ヶ岳と今淵ヶ岳が、別れを告げるように並んでいた。

<登山記録> (―:車、…:徒歩)  

2017年4月22日(土) 快晴 単独行
瀧神社14:00―高賀神社(円空記念館)14:35~15:00―(林道)―高賀山登山口(駐車)15:10…御坂峠16:30…高賀山山頂17:00~17:15…御坂峠…峰稚児神社17:35…御坂峠…登山口18:45―(帰途)

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高賀三山山修行(3)―今淵ヶ岳(1,048m)

高賀三山山修行、2番目は今淵ヶ岳(1,048m)。

今淵ヶ岳(いまぶちがたけ)は、瓢ヶ岳の西に片知渓谷を挟んで向かい合っている。

奥瓢ヶ岳から遠望すると、全面植林で、しかも林道沿いに伐採作業中。

向かって左肩部分の伐採は送電線鉄塔が立っているため。

植林の山の定めとはいえ、なかなか痛々しい姿。

登山道は反対の東側になるので、どんなだか実際登ってみましょう。
登山口にあたるのは、高賀六社のひとつ、瀧神社。

その名のとおり信仰の中心は瀧で、伝説では藤原高光がここで瀧の神々が妖怪を追い払う夢を見たことから、そのほとりに祠を建立したという。

神社脇からはじまる林道入口に登山口の看板がある。
林道入口に愛車奥地君を待たせて登山開始。

林道傍らに送電線巡視路の標識「美穂路北幹線 150」が見えたら、そちらに進んでいく。

この部分には、「今淵ヶ岳」との標識はなかった。
よく手入れされたスギの植林地の巡視路を進んでいく。
小さい沢を渡渉、このあたりから送電線巡視路の標識と別に、今淵ヶ岳の標識も出てくる。
沢のそばに、白い花のミヤマカタバミのが群落をつくっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

植林帯を尾根まで登り切ると、切り開きがあって150鉄塔が登場。

ここまでで巡視路は終わり、ふたたび樹林帯に入ると、明確な尾根の登山道となる。
コブシや、リョウブなど落葉樹中心の樹林の向こうに、今淵ヶ岳の山容が見えてくる。

途中、かつては目印となっていたモミの大木が倒れているポイントを通過。

ヒノキの植林帯の急斜面を詰めていくと、ふたたび明るい落葉樹林に。
登山道に沿って、薄桃色のカタクリの花が登場。

ここはしっかり咲いていてくれて、瓢ヶ岳より範囲も広く、数も多い。

春の到来を一番に感じる花だな。。
イブキザサが登山道を覆いだしてしばらくで、今淵ヶ岳山頂に到着。

灌木に覆われ展望はきかない。

山頂を一律伐採しちゃえばよしというわけではないけれど、せめて高賀山、瓢ヶ岳が少しでも拝めればうれしいのにな。。
来た道をサクサク下り、瀧神社に到着、神社の少し先にある権現瀧を拝みに行く。

権現瀧の名は林道開設記念で最近付けられたものだそうで、それまで村人は瀧を「御瀧」、神社を「権現様」と呼んでいたという。

そして瀧ばかりでなく、その瀧壺も神聖なものとして犯してはならないとされきた。

今淵ヶ岳の名は、この瀧および瀧壺にちなんでのものなんでしょう。
 

<登山記録> (―:車、…:徒歩)  

2017年4月22日(土) 曇りのち晴 単独行
ふくべの森10:00―瀧神社10:55…(林道)…巡視路入口11:05…150鉄塔11:30…今淵ヶ岳山頂12:50~12:55…瀧神社14:00―(高賀山へ)

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高賀三山山修行(2)―瓢ヶ岳(1,163m)

高賀三山山修行、最初は瓢ヶ岳(ふくべがたけ)。

瓢ヶ岳は、標高1,263m、郡上市美並村(旧郡上郡美並村)と美濃市片知にまたがり、美濃市および旧美並村の最高峰。

東海北陸自動車道に瓢ヶ岳P.A.があるように、地元のシンボル的な山でありマス。

その名の由来は、高賀山の妖怪さるとらへびが、神の夢のお告げでこの山で瓢に化けていたのをで藤原高光が退治したという伝説にちなむそう。

一日三山登らなくてはならないので、早立ちして、登山口の「ふくべの森」をめざす。

 

長良川から、支流の付知川に入り、さらにその支流片知川を遡行。

途中、片知山山麓に高賀六社のひとつ金峰神社(旧形知の社)があった。

まずは、今日一日の登山安全を祈願。
さらに進むと、奥板山という最上流部の集落に出る。

ここにある籠(こもり)神社は、六社ではないけれど、高光が参籠したとの伝説を持つ。
金峰神社も籠神社も、普通の村の鎮守さまといったたたずまいで、明治初年の廃仏毀釈、修験道禁止令を経て、修験の基地だった面影はほとんど残っていない。

籠神社で見つけた修験の祖役行者の石像がわずかにその名残りを伝える。
籠神社脇の林道を登っていくと、片知渓谷、そしてふくべの森に出る。

駐車場とトイレ、そして登山口にはしっかりした案内板がある。

さすが、美濃市の最高峰、大事にされているのが分かる。
よく踏まれた沢沿いの登山道には、要所に案内板もあり、安心して登ることができる。

登山道入口からしばらくで大き目の渡渉点があり、それから6,7度沢を右左に渡るが、足を濡らすほどではない。

そのうち沢が途切れ、単調なヒノキの植林帯に入る。
稜線鞍部「骨ヶ平」に出る。

ようやく稜線の反対側に落葉樹が現れて、ほっとする。

まだ芽吹きは始まっていないけど、コブシの花が梢を白くしていたりする。
登山道の美濃市側はヒノキ、郡上市側は落葉樹と明確なコントラスト。

ゆったり丸い山頂部が見えてくる。

登山口から約1時間半で瓢ヶ岳山頂に到着。

ほぼ全面展望が得られ、北西に高賀山、南西に今淵ヶ岳が間近に見える。

かつてはこれらの峰をつないで、山伏が修行をしたんでしょう。

位置的には白山も拝めるはずだけど、空がやや霞んで残念。。
反対側の美並村からもしっかりした登山道が伸びていて、そちらの方が広葉樹林帯で味がありそう。

山頂標識の、裏を見ると、美並村粥川とある。

ああそうか、美並村粥川の星宮神社の「円空ふるさと館」には円空最初期の神像などがあり、高賀神社の「円空記念館」には最晩年の作品があって、自分の中でつながっていなかった。

しかし、山の達人円空なら稜線伝いに1日で行き来できる範囲なんだ。。
瓢ヶ岳から10分ほど離れた奥瓢ヶ岳にも立ち寄ってみる。

途中カタクリの群落を見付けたけれど、残念、まだつぼみ。
奥瓢ヶ岳の頂きには大きな岩があって見晴らしもいい。

ああ、この岩を円空上人も触れたんだと、心は時空を旅する。
高賀三山一日巡回のため早めに出発したので、出会ったのは、下山途中の2組だけ。

ところが、ふくべの森の駐車場に戻ってみると、他県ナンバーの車が20台近くずらり。

ちょうどボルダリング用のマットを背負った人の背中が見えた。

どうやら、瓢ヶ岳は登山よりボルダリングのゲレンデとしての方が人気みたい。

帰って調べたら「フクベ」は、近年東海地方でも指折りのゲレンデなのらしい。

円空上人もびっくりでありましょう。

<登山記録> (―:車、…:徒歩)  (案内図はクリックで拡大)

2017年4月22日(土) 曇りのち晴 単独行
自宅4:30―ふくべの森(駐車)6:45…骨ヶ平7:400…瓢ヶ岳山頂8:05~8:30…奥瓢ヶ岳8:40…骨ヶ平9:10…ふくべの森10:00―(今淵ヶ岳へ)

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高賀三山山修行(1)―高賀三山をめぐる伝説

高山祭を「日本三大曳山祭」のひとつというように、日本人は何かと三つ並べるのが好きみたい。

山も、「白峰三山」「鳳凰三山」「越後三山」など、三山セットにすると特別感が出る。

わがふるさと岐阜県にも、「位山三山(位山・川上岳・舟山)」「小津三山(小津権現山、花房山、雷倉)」「高賀三山(高賀山・瓢ヶ岳・今淵ヶ岳)」がある。

そのうち今回は、高賀三山に「ぼっちの『ぎふ百名山』勝手に選定委員会」の取り組みとして訪問。

 

高賀三山一帯には、次のような壮大な伝説と、長い信仰の歴史がある。

霊亀年中(710年代)どこともなく夜な夜な怪しい光が空が走り、丑寅の方角へ飛んで行くのを都の人たちが見て驚いた。都から見て東北の山々、すなわち高賀山を探したが、見つけることはできなかった。そこで、高賀山麓に神壇を祀ったところ、光が現れなくなった。これが高賀山本神宮の始まりだといわれている。
その後、天暦年間(947~957年)「さるとらへび」という妖怪が高賀山山麓に棲み付き村人に危害を加えているのを聞いた朝廷は藤原高光をこの地に遣わし、高光は虚空蔵菩薩の加護のもとに、妖怪を退治した。その後、再び災いが起きないように高賀山麓の六ヶ所に神社(高賀六社)を建立した。

高賀六社には、それぞれ次のような言い伝えが。

高賀神社 高賀山山麓にあり、上記伝説の中心舞台となった。

金峰神社(江戸時代以前は「形知の社」)片知山山麓にあり、天暦年間高光が最初にさるとらへびの形を見た場所とされる。

瀧神社 今淵ヶ岳山麓にあり、権現の滝が信仰の中心。滝の近くの洞が妖怪の棲家で、高光はこの滝で野宿をすると、滝の神々が妖怪を追い払う夢を見、滝のほとりに祠を建立したとされる。

星宮神社 瓢ヶ岳東麓にあり、高光が道に迷った際、虚空蔵菩薩の使いである粥川谷の鰻が正しい道を教えたとされる。

那比本宮神社、那比新宮神社 高賀山東北麓にあり、高光が再建したとされる。

 

これだけ広域にわたる伝説はなかなかないと思うけど、それは高賀山一帯が平安時代から虚空蔵菩薩信仰を中心とした神仏習合の高賀修験道の道場として栄え、江戸時代には周辺六社を順拝する信仰が庶民に広がったことと深い関わりがある。
さらに、高賀神社は、ぼっちが敬愛する山の大先輩円空上人が何度も訪れ、晩年の傑作群を残した場所でもある。


 

歴史ある修験の山を巡るには、こちらも修行の心境で訪れるにこしたことはない。

ということで、4月22日、三山を一日で巡るプランを立てた。

なかなかタフな1日になりそうだけど、いざ、出発 (ロ。ロ)/オウ


 

| ぼっち | 「岐阜百名山」勝手に選定委員会 | 09:51 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
たまには「グルメと美景の旅」

家長ぼっちが「山修行には健康第一」「自宅の野菜が一番」という主義だから、ぼっち家にグルメは縁がない。

でも、せっかく高山まで来たし(夏山修行もひかえてるし)たまには「グルメと美景の旅」ってやつをやってみようかな。

 v(ヘ。ヘ/v(*。*/ヤッタア

 

まずは、高山の名高いパン屋「トラン・ブルー」へ。

デニッシュもおいしそうだけど、焼きたてのバケットも食べたいし、ぎっしり果実類の詰まったカンパーニュも、赤ワインのお供にいいはずと、思わず買い過ぎ。
ごちそうといえば、寿司もいいよねえ。

高山から2時間飛ばし、魚の宝庫富山湾を擁する富山市へ。

「廻る富山湾」がキャッチフレーズの回転寿司屋「すし玉」で昼飯。

「富山湾5種盛り」は、ブリ、カワハギ(肝付き)、カニ、ノドグロ、旬の白エビの豪華版。

山に5回くらい行かせてもらえそう。。
たらふく食べた後、富山県を北上、新潟県境の朝日町をめざす。

朝日町は北陸方面から白馬岳への玄関口、ぼっちも栂海新道縦走の折など、夏には何度も足を運んでいる。

町を流れる舟川の堤は桜の名所で、背景に白馬岳から親不知までの長大な稜線、そして桜に合わせ、富山県名産のチューリップも花開く。

本来の見頃はもっと遅いのだけど、桜に合わせ早咲きを60万本を栽培しているのだそう。

雪国の桜の管理も大変だろうし、御苦労あっての美景でありマス。
15日の夜は、大坐小屋泊まり。

雪もようやく解けかかり、雪下ろしや水道管の水抜きも不要になってひと安心。

夜は、トランブルーのパンと赤ワインがあれば、それだけでごちそう。

特にバケットは、滋味というんだろうか、噛むほどに味わい深かった。
翌16日は、長野市郊外をドライブ。

長野に住んでいた頃、子供たちをボートに乗せに来た、須坂市の臥龍公園。

池の周りを桜が咲き誇り、その背後に、北信五岳(斑尾山、妙高山、黒姫山、戸隠山、飯縄山)が借景になっている。

ここも山馬鹿にはこたえられない美景。
遅めのお昼は、小布施町に移動し、ブラッスリー・ヴァンヴェールというしゃれたお店へ。

蕎麦粉のガレットに、オブセ牛乳。本当はシードルが飲みたいところ。
長い旅行の最後は、温泉で締めくくろう。

「小布施温泉あけびの湯」からも北信五岳が、個性ある姿で並び立って見えマシタ。
 

 

| ぼっち | OFF TIME | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
「登ってほしくない山」―見量山(997m)

祭見物のためせっかく高山に宿をとったから、早起きしてどこか近郊の山へ行こう。

―ということで、15日朝、高山盆地の西に立ち上がる見量山に行って来マシタ。

 

見量山(みはかやま)は標高997m、「ぎふ百山」のひとつになっている。

その山名について『飛騨国中案内』(延享3年(1746年))では、「御墓山」とされ、帝の墓所といい伝えられ、山上の塚に登ると病やけがをするとある。

一方『斐太後風土記』(明治6年(1873年))では、斐陀国造の墓所の山と言い伝えられているというが(注)そんな形跡はない。この山に初雪が降れば15日後に近郷に雪が降り、根雪になることを見量る山だから、見量山だとしている。

(注:どうして帝の墓所が斐陀国造の墓所となったのかは不明)

病気やけがはコワいけど、百聞は一登に如かず。まずは登ってみましょう。

高山市街地から車で約15分、中部縦自動車道の見量山トンネル近くにある風土記の丘に、愛車奥地君を待たせて登山開始。

登り出し地点ですでに標高が600m近いから、実質は400mの里山に登る感じ。

見量山山麓は古代から人が住んでいた場所で、縄文、弥生、古墳時代の住居跡が出土し、風土記の丘には復元住居や遺物が展示された資料館がある。
飛騨国分寺の瓦を焼いた窯跡入口の標識を過ぎると、獣よけのゲートがあり、杉木立の林道になる。

阿寺山地と違い、鍵は掛かっていないので、手で開けて通過できる。
舗装された林道は20分ほどで終り、沢沿いの未舗装の林道となる。

その入口に「入山禁止 これより先は入山出来ません。入山者は、如何なる理由にかかわらず当方の条件で処罰されます」とある。

登山禁止とされるのは山上が松林のためで、シーズンを外し残雪期に登る人が多いとの事前情報を得ていたので、おそるおそる進む。

 

 

 

 

舗装のない林道は沢の奥で行き止まりになる。

右手にほとんど判読不能な「見量山」の標識があり、そちらに進むと、踏み跡程度の道となる。
1975年(昭和50年)刊行の「ぎふ百山」には、「春秋には、高山市内の小、中学生が遠足に訪れ、山上を賑わしている」とあるけれど、そんな気配はまったく残っていない。40余年の歳月に何があったのか。。

残雪の谷に、マンサクの黄色い花ばかりが春を告げている。

次第に谷は浅くなり、稜線が近づく。

稜線上の峠になった場所に到着。

「これより入山禁止です 入山者は、理由にかかわらず当方にて罰金を申し受けます 8月15日より11月10日迄」

小屋掛けと焚火の跡があるから、季節にはしっかり監視されているみたい。なんだか息苦しくなっちゃうな。。
アカマツとヒメコマツに覆われた稜線の道は、ここまでと違い明確。

松林の途中、南に開けた場所があり、位山や舟山が見える。

高山盆地や乗鞍岳なども見えてもよさそうなのに、常緑のマツに覆われ、きちんと展望できるポイントはなし。
山頂の一つ手前のピークに立派なお堂があり、観音の石仏がお祀りされていた。

堂の背後に四角い小平地があり、何らかの儀式がされていたのかもしれない。
登山開始から約1時間30分で山頂に到着。

三等三角点の傍の樹に、ほとんど消えかけた「見量山」の看板と、下半分がなくなった「御墓山」の看板が打ち付けてある。

山頂は手狭で、古代の貴人を葬った塚のような形跡や、位山にあるような磐座らしき大岩はない。

しばらく茂みをかき分けてみたけれど、展望も得られずじまい。

一つ手前のピークに戻ると、むしろこちらの方が山頂らしいたたずまい。

いずれにしても明治6年にも塚はなかったというんだから、祟りもご容赦いただくとしましょう。

 

<登山記録>
2017年4月15日(土)薄曇、下山後雨  単独行 (―:車、…:徒歩)
ホテル5:20―風土記の丘(駐車)5:45 …(林道)…見量山登山口6:00…祠のあるピーク6:55…見量山山頂7:00…祠…風土記の丘8:00―ホテル8:20

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<メモ>

・高山盆地に接する里山であるが、山上が松林となっていることから、地元では8月15日から11月10日まで入山禁止としている。

 それ以外のシーズンも、登山はあまり歓迎されていない雰囲気。

・地元民向けに道の整備は最低限されているが、標識設置や展望を得るための刈り払いなど、登山者に利便を図る整備はされていない。

・展望は、登山口の風土記の丘の方がいいくらい。無理をしてまで登る山ではないでしょう。

 

| ぼっち | 「岐阜百名山」勝手に選定委員会 | 21:10 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
春の高山祭

山の国、飛騨国の中心であった高山。

飛騨を知るためには、高山を知らねば―その高山を知るには、名高き「高山祭」を見なければ。

ということで、連れ合いと下の娘と春の高山祭に行って来マシタ (ロ。ロ/(ヘ。ヘ/(*。*/

高山祭は、春と秋にあり、春は4月14日〜15日は日枝神社の「山王祭」が、秋は10月9日〜10日は櫻山八幡宮の「八幡祭」が開催される。

春の高山祭をじっくり拝見するため、まずはご祭神の日枝神社へ。

日枝神社は、千年近い歴史を持ち、江戸初期は金森氏の高山城の、天領になってからは高山陣屋の鎮護神でもあった。

現在地に移されたのは金森氏の時代だけれど、本殿脇の大杉は樹齢千年ともいわれるから、もともと神聖な場所であったのでしょう。

本殿では、束帯や裃(かみしも)姿で、厳かな祭事がはじまっている。
高山陣屋前の宮川に架かる朱塗りの中橋を、各町の屋台蔵から引き出された屋台が渡っていくと、祭の気分は一気に盛り上がる。

例年ならここに満開の桜が花を添えるはずだけど、今年はまだつぼみ。
春の高山祭には、12台の屋台が出る。

そのうち、先導役の神楽台と、からくりを持つ三番叟・石橋台・龍神台は陣屋前の広場に引きそろえられ、午前と午後の2回、からくりが披露される。

龍神台では、唐子の持つ壺の中から龍神が出現、紙吹雪を散らしながら舞い狂うさまに、拍手喝采。
からくりを見終わると昼時。

高山ラーメンで腹ごしらえをしてと―
午後は、神明通りに引きそろえられた屋台をじっくり拝見。

京都祇園祭の山鉾は歴史が古く、松を飾るなど、神の依代としての性格を色濃く残しているのに対し、江戸中期以降に現在の姿になった高山祭の屋台は、もっと現世的で、洗練されている。

特に麒麟台の唐子群遊など、名工谷口与鹿の彫刻は、日本最高峰のもの。

京や江戸のマネでなく、高山には独自のデザイン力と技術力があったんだな。。
午後からは、日枝神社の神輿が各町を巡幸。

巡幸に連なる、裃や木綿をカラフルに染めた装束に身を包んだ人々。

お仕着せや仮装行列にならず、人本来の威厳をまとって自然体に見えるところがすごい。
16時に御巡幸が終わると、各町では、夜祭りに備え、屋台に提灯を飾り付ける。

ぼっち一家もいったん腹ごしらえに、宿へ。
夕闇が訪れる頃、古い街並みに戻ると、提灯に火が灯され、そこは夜祭の世界。

太鼓や笛の音に、足は自然と誘われていく。
夜の屋台は、昼とはまた違う、幽玄な華やかさ。

子供たちも、普段ならお寝んねの時間なのに、行列の先頭で鈴を振りながら舞い、笛を吹き、祭りの主役として大活躍。


21時過ぎ、夜祭の最後に各屋台は引き分かれていく。

その時歌われる「高い山から」という唄が、祭りの果ての名残り惜しさを、しみじみしたものにしてくれる。

観光化されても、ユネスコの無形文化遺産になっても、今も飛騨の人々の心の祭りであるのが、高山祭の尊いところだと感じさせられマシタ。
 

| ぼっち | ひとりごと | 22:10 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
春日山原始林を行く

古都奈良の名所、春日大社。

そのご神体の山、春日山は、平安前期の承和8年(841年)から樹木の伐採が禁じられ、ほぼ手つかずの原始林が守られてきた。

特別天然記念物、名勝そして世界遺産「古都奈良の文化財」の構成遺産ともなっている貴重な森。

4月9日(日)奈良国立博物館開催の「快慶展」拝観と合わせて連れ合いと行って来マシタ (ロ。ロ/(ヘ。ヘ/
 

花見客と外国人観光客でにぎわう春日大社。

その北外れにある水谷神社前の道路を川に沿って東に進むと、春日山遊歩道の入口が。

いきなり、ひっそりとした原始の森が始まる。
赤い幹の梛(ナギ)、ギザギザの葉の榧(カヤ)、黒く太い幹の樫(カシ)など、温帯の照葉樹の極相林(※)が展開。

※植性の遷移の最終的で安定的な相を示す林。

これだけの原始林に遊歩道で入り込めるところは、滅多にないはず。

常緑の巨木が支配するその合間に、カエデなどの新緑も始まっていた。
遊歩道は若草山を巻くように標高を上げ、その山頂に近い三叉路で、「奈良奥山ドライブウェイ」に合流。

有料の自動車道だけど、原始林を通る区間は舗装がなく、一方通行で、なおかつ通行料も高めの設定なので、車は時々しか通らない。

途中、植林帯を一時通過するところに、この森一番の山桜が。
今回、連れ合いの機嫌は、あまりよろしくない。

「昨日の土曜、人間ドックを終わって、もうダイエットとか運動とか体にイイことはしなくていいと思ってたのにブツブツ」

「まあ、そうは言わずに、今朝作ってきた特製サンドイッチをどうぞ」

食べ物で機嫌を直した連れ合いに待っていてもらい、花山(はなやま:497m)山頂をめざす。


「春日山原始林」というけれど、実は春日山という山はない。

春日大社の東側に続く花山または西隣の御蓋山(三笠山・みかさやま:283m)の通称とされ、花山山頂にある四等三角点の基準点名が「春日山」となっている。

2万5千分の1地形図には、花山への道が記されているのに、現地には見当たらず、適当な尾根で山頂をめざす。

なかなか心細い原始林探索、奥美濃での山修行がこんな時活きマス。
途中、ものすごく大きな杉の切株の傍に、小さな赤い祠が登場。

信仰の場所であることをひしひし認識、厳粛な気持ちで通過、何とか花山山頂に到着。

信仰の対象になりそうな大岩などは見当たらず、展望はまったくきかなかった。
荒木又右衛門が試し切りをしたという伝説を持つ首切り地蔵のところで待っていいてくれた連れ合いと合流。

「待ってる間、春日山石窟仏を見てきたけれど、平安時代の立派なものだった」とのこと。

小学生の時から筋金入りの仏教美術愛好少年(←変なヤツ)だったぼっちとしては、心残りだけれど、それでは先に進みますか。
道は奈良奥山ドライブウェイを離れ、首切り地蔵のところからは、春日山遊歩道をたどるか、柳生街道に入るかに分かれる。

今回は、滝坂の道とも呼ばれる古い石畳の柳生街道を選択。

時代劇にはぴったりのロケーション。
途中、朝日観音と呼ばれる立派な摩崖仏に出会う。

中央が弥勒菩薩、左右は地蔵菩薩の像で、鎌倉中期の文永2年(1265年)の銘が刻まれている。

弥勒菩薩といえば、笠置山への道にも鎌倉時代の摩崖仏があった。

今では、余りポピュラーな仏さまではないけれど、鎌倉時代には、興福寺北円堂の運慶作、醍醐寺三宝院の快慶作などもあり、当時の時代背景に即した信仰があったのでしょう。

噛めば噛むほど味わい深い春日山、植物図鑑と石仏ガイドブックを持ってもう一度じっくり訪ねてみたい場所デシタ。

 

 

 

| ぼっち | 日本4000山 | 06:27 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
春雨の「鎌倉アルプス」縦走

4月1日は、東京で「とあるOB会」が。

せっかく関東まで行くから、どこかいい山ないかな?

と、セレクトしたのが「鎌倉アルプス」。

 

「鎌倉アルプス」は、鎌倉市と横浜市の境界にまたがる、鎌倉の脊梁尾根の総称。

最高点は、大平山の159m。全国に51ヶ所あるとかいう「何とかアルプス」の中で、最も低い(※)。

※:同じく神奈川県の三浦アルプスは、最高点仙元山が118mと最も低いが、実際には二子山(208m)を同時に登る場合が多い。

それでも「新日本山岳誌」に掲載され、「天園」という名で、関東百名山にもリストアップされている。

 

ちなみに天園というのは、大平山の東にある六国峠の別称で、当地に山荘を構えていた東郷平八郎が名付けたそう。

地元では、脊梁尾根を行く路を「鎌倉アルプス縦走路」とは(さすがに)呼ばず、「天園ハイキングコース」と呼んでいる。

北鎌倉駅から建長寺の裏手から尾根に登り、大平山、天園を経て瑞泉寺に至るハイキング縦走に、いざ出発 (ロ。ロ)/オウ

 

天気の回復が遅れ、北鎌倉駅は花冷えの雨。

傘をさして登山口となる建長寺に向かう途中、円覚寺の門前を通り過ぎるのは、やはり忍びがたい。

桜のほころびかけた山門をくぐり、人影少ない境内をひと巡り。
本尊釈迦如来を祀る仏殿の脇に、選仏場という茅葺の質素な堂がある。

選仏とは、仏を選び出すという意味で、修行増の座禅道場だそう。

堂の外には、ビャクシンの大木。

森閑として、雨も悪くない。
参道脇の「国宝洪鐘」の道標に誘われ、急な石段を登る。

鎌倉の街を見下ろす高台に、鐘楼はあった。

「洪鐘」とは大きな鐘の意味で、高さ259.5cmは、関東一。

円覚寺は、弘安5年(1282年)、蒙古襲来時の執権、北条時宗が中国・宋から招いた無学祖元によって、開山された。寺は、国家鎮護、禅を弘めたいという願い、そして元寇の役の殉死者の鎮魂ため建立されたそう。

洪鐘は時宗の子、貞時が正安3年(1301)が寄進した。

天災・火災の多かった鎌倉の地で、円覚寺の創建当時をしのぶ貴重なもの。
円覚寺を辞して、建長寺に移動。

やはり門前や仏殿前にビャクシンの巨木が。

建長寺は、建長5年(1253年)5代執権北条時頼が帰依した宋の禅僧蘭渓道隆によって開山された日本最古の禅寺。こちらも建長7年(1255年)鋳造の国宝の鐘が現役。

(「鎌倉国宝巡りレポート」みたいで、すみまセン。)
建長寺の境内を抜け、山の中腹にある半僧坊への石段を登る。

鎌倉石と呼ばれる凝灰質砂岩の石段は、雨に濡れ、緑を帯びて味わい深い。

一帯は切り立った岩の崖、ようやく少々登山らしくなる。

岩を堀り窪めた「やぐら」という古い墓所も鎌倉らしさをかもし出している。
中腹にある半僧坊に到着。

半僧坊は、浜松にある方広寺という寺の鎮守の神(開山の僧無文元選禅師が中国より帰国時の危難を救った異人)。火伏の神として明治時代に流行し、建長寺にも明治23年勧請されたんだとか。

半僧坊→火伏→秋葉山→天狗 といった連想からか、ここの半蔵坊は天狗になっちゃっている。

防火の願いはそれほど切実だったんだろうけど、開山の蘭渓道隆禅師が見たら、天狗ワールドに腰を抜かさないかな。。
半僧坊からさらに急な石段を上ると大勝献という高台の展望台に出る。

建長寺の境内の向こう、鎌倉の街と海が雨にけむっている。
尾根に上がると、静寂は深まる。

照葉樹林を抜ける路は、ほどほどのアップダウン。

ところどころで、むき出しになった岩をよじ登り、また下る。

約3時間の縦走中、すれ違ったのは、3パーティーと外国人のペアのトレイルランナーだけ。

たしかに、ハイキングって雨天でするものじゃないもんな。

ま、こちらは「縦走」ですから。。
十王岩という岩場が登場。

岩に刻まれた三体の磨崖仏の右側は閻魔大王のよう。

そういえば、建長寺の本尊は、大寺としては珍しいことに地蔵菩薩。

建長寺の境内が広がる谷は、元は「地獄ヶ谷」と呼ばれる処刑場で、地蔵菩薩を本尊とする心平寺という寺があったのを引き継いだのだとか。

そもそも鎌倉という場所そして時代は、争乱、裏切り、暗殺など、旧来の宗教ではとても救われそうにないことが多発した。

中国直輸入の、強い個人の存立をめざす禅宗という新しい宗教が求められたのもこの場所に立てば分かるな。。
十王岩は、ちょうど鶴岡八幡宮の上にあたり、若宮大路がまっすぐ海まで続き、標高100m少しとは思えない好展望の場所。

これで晴れていればねえ。。
さらに進むと、鎌倉市の最高点太平山山頂。

山頂は大きな岩で、(晴れていれば)見晴らしもよく、山頂直下には三浦半島方面がよく見えるはず。

岩の下には芝生の広場があって、(晴れていれば)弁当を開く人でにぎわうんでしょう。

ま、雨でも、独りの方が、ぼっちには向いている。
太平山の次のピークが、天園。

ここは、横浜市の最高点にあたるらしい。

朝早立ちしてきたから、小腹をふくらまそうかと立ち寄った直下の茶店は雨で休業。
モミジの名所獅子舞の谷への道を分け、しばらくすると、人の声が近くなる。

滑りやすい岩を慎重に下ると、ポンと瑞泉寺の参道に出る。

開山の夢想疎石が作庭したという庭園は、背後の山並みや岩肌に、巧みに手を加えたもの。

鎌倉という土地と歴史が、少し身近になったハイキング縦走完了。
腹ペコになって下界を歩いていると、「もぐら食堂」という店を発見。

牛筋と根菜のスープの定食とビールを注文。

観光地には珍しく、とても丁寧に作られ、心にしみる味デシタ。
<登山記録> (―:電車、…:徒歩) (地図はクリックで拡大)

2017年4月1日(土)  雨のち曇 単独行
―北鎌倉駅9:10…円覚寺9:05~9:45…建長寺10:00…半僧坊10:20…大勝献展望所10:25…十王岩10:35…大平山山頂11:00…天園11:15…天園ハイキングコース瑞泉寺側入口11:55…瑞泉寺12:00~12:20…大頭宮…もぐら食堂12:40~13:15…(若宮大通り)…鎌倉駅13:40…(東京へ)
 

| ぼっち | 縦走主義でいこう! | 21:33 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
奥美濃至高の縦走路―美濃俣丸〜笹ヶ峰

奥美濃の山々の最奥部に位置する、美濃俣丸(1,254m)、笹ヶ峰(1,285m)。

特に笹ヶ峰は、その名のとおり厳しいササに覆われ、ヤブ山愛好家には別格の扱いを受けてきた。

しかし、かつてアプローチに使われていた林道が廃道化し、岐阜県側からの入山は一般登山としてはもはや絶望的。

今は、福井県側の広野ダム方面から入山するのが一般的になっている。

 

美濃俣丸だけなら広野ダムから日帰りできるけど、美濃俣丸と笹ヶ峰をつないで周回しようすると相当の長丁場。

事前情報では、笹を押さえる残雪が残り、広野ダム奥の二ツ屋分水堰まで除雪される3月ピンポイントでしか到達は困難。

昨年12月に登山口を偵察、チャンスを狙っていた。

しかし、豪雪の今年は先週段階で広野ダムまでしか除雪されていないとの情報。

もはやヘッドライトで歩くしかないと覚悟して、3月25日(土)今年ラストのチャンスと行って来ました (ロnロ)/

 

自宅を2時30分出発、広野ダムに4時30分到着。

ありがたいことに、二ツ屋取水堰の少し手前まで除雪が進んでいた。

愛車奥地君を待たせ、5時15分ほの明るくなるのを待って出発。

美濃俣丸から笹ヶ峰まで縦走し、天草山経由で周回するルートは、想定所要時間約12時間30分。

単独行で、何かトラブルがあったら夜になってしまうので、緊張感をもって歩きはじめる。

二ツ屋取水堰を渡り、わかんを付け林道を進む。
林道の分岐を左手に取り、尾根をジグザグに登る。

大きくカーブした突き当りの位置に、赤布の目印があり、樹林帯に入る。

しばらく巻くように直進すると、尾根筋に出る。

踏み跡があり、美濃俣丸までは結構人が入っているみたい。
尾根は、途中までわかんで歩ける、ほどほどの斜度。

最初は植林帯、次に皆伐後の二次林となり、最後にブナの原生林となる。

次第に勾配がきつくなり、最後の登りはアイゼンに換えて登りつめる。
9時15分、美濃俣丸山頂に到着。

北に向かって、笹ヶ峰への稜線が続く。

山頂から見えるのは、途中の大河内山(別名ヨセン谷丸:1,288m)、ロボットピーク(別名夏小屋丸:1,294m)まで。

(※通称ロボットピークは、ロボット雨量観測所があったところ。)

笹ヶ峰はさらにその奥となる。

想像以上のすばらしい縦走路に、武者震い。
美濃俣丸の斜面を駆け下りたとことで、わかんに付け替え。

アップダウンは、それほどきつくなく、快適な稜線。

振り返ると、(右から)美濃俣丸、三周ヶ岳、高丸と、白い峰が個性を競い合っている。

これらの山が1,200m〜1,300mの標高とは信じられないほど。

稜線は分厚い雪庇が発達し、一部亀裂が入ってきているので、山岳風景に見とれ過ぎないよう注意。
ここで、すごい勢いで追いかけてきたスキー単独行の方が追い越していく。

滋賀県から来られたとか。

いい天気ですねと、お互いの幸運を祝いあう。
越美山地南部から伊吹山地の山のパノラマが堪能できた美濃俣丸山頂。

北上していくにつれ、今度は白山をはじめ加越山地の山々も展開。(画像クリックで拡大↓)

能郷白山(画像右側)に代表される加越山地、白山(左奥)に代表される加越山地、ブナに覆われた山々が目もくらむ密度で重畳。

奥美濃。こんなすごい山域があることを、関東の方なんかはほとんどご存知ないんでしょうねえ(かわいそう)。。

笹ヶ峰の山頂で、山々を眺めながらスキー単独行の方と話していると、北側から、3人のパーティーが登ってこられた。

福井の方々で、このルートをこよなく愛されるリーダーは、8回来た年もあるとか。

年8回は無理でも、日帰りでこれだけ充実の山時間を持てるルートはまずないから、毎年来てもいいな。。

ぼっち以外は、美濃俣丸に行かれるので、ここからはまた孤独の時間。アイゼンをつけ、急斜面を下る。

振り返る笹ヶ峰は、裾野を急角度でのばし、この縦走コース以外で登るのは相当大変そう。
しばらく県境稜線を北上し、天草山(852m)への尾根へと入る。

長い長い尾根は、午後になって雪が緩み、腰まで埋もれてしまったりする。
天草山の2つ前の小ピークは、尾根が切れているので巻く以外は、だらだら長い尾根。

もう一息で下界に下りるあたりで、雪がなくなり、ササとブッシュに行く手を阻まれる。

短い区間に30分くらいかかってしまった。

雪がない時にこの山域に入るのは、至難でしょう。
ようやく、尾根を下り切り、大河内の廃村に出る。

苔むした「露戦記念碑」など、古い時間が取り残されてある。

下界に戻る長い林道歩きは、ところどころ雪崩にふさがれているにしても、橋があるのは何よりありがたい。

18時、ようやく二ツ屋分水堰に到着、何とかヘッドライトなしに愛車奥地君の元にたどり着く。長い一日だったなあ。。

美濃俣丸から笹ヶ峰の稜線は、行けるチャンスが3月だけと限られるけど、間違いなく奥美濃山域きっての至高の縦走路。

春山縦走としては、日本屈指と、ぼっちが保証しマス。

<登山記録> (―:車、…:徒歩)  (地図はクリックで拡大)

2017年3月25日(土) 単独行
―今庄I.C.―広野ダム―二ツ屋分水堰手前(駐車)5:15…分水堰5:30…林道分岐5:45…尾根取付点6:25…912峰7:45…美濃俣丸山頂9:10〜9:20…大河内山10:35…ロボットピーク11:20…笹ヶ峰山頂11:45〜12:10…天草山15:15…大河内集落跡16:45…二ツ屋分水堰18:00…駐車場所18:15―(帰路)

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<メモ>

・美濃俣丸~笹ヶ峰の稜線は、奥美濃山域では最も残雪期の稜線歩きに適している。

・いずれも、夏場はヤブが生い茂り、登山道はない。

・美濃俣丸だけなら、広野ダムからでも日帰りで往復でき、尾根も山頂直下が急傾斜であるほかは、歩きやすい。美濃俣丸までは目印のテープ類も最低限ある。

・笹ヶ峰には、美濃俣丸から縦走するか、天草山の尾根か源平谷山の尾根で直登する。

 天草山経由は廃村になった大河内集落に出る、源平谷山経由は日野川の渡渉がある。

・今回の、美濃俣丸から笹ヶ峰をつなぎ、天草山経由で降りる周回コースは、長丁場で、二ツ屋取水堰起点でも、好条件で12~13時間かかる。同取水堰までの道路が除雪されるのは、3月中下旬のことが多いが年によって異なる。

・まったくの自己責任の山域、好天を選んで無理はしないように。

 

 

| ぼっち | 縦走主義でいこう! | 10:15 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
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